第9話 単位

 夏休みが折り返し地点を迎えた頃、俺はノートパソコンの画面と睨めっこしていた。

「まさか、いや、でも……」

 更新マークを繰り返し押してみたが、やはり結果は同じだった。

 俺は大きな溜息をついて、コネクト・ミーを立ち上げた。

 

 現在の俺:……単位落とした

 過去の俺:単位落とすってどういう意味?

 現在の俺:ああ、そうか。お前まだ中学生だもんな

 過去の俺:馬鹿にしてる?

 現在の俺:いや、してない、してない。これマジで。

 過去の俺:なら許す

 現在の俺:大学の授業に合格すると、単位ってのがもらえるわけ。一単位とか二単位とか。卒業までの四年間で○○単位取得していたら卒業できるって基準が決まっていて、学生たちは自分のペースで授業を受けて卒業を目指す仕組みになってるんだ。まあ、だいぶざっくりとした説明だけど。

 過去の俺:へえ、じゃあそこまで落ち込まなくてもいいんじゃない。期限は卒業までなんでしょ?

 現在の俺:いや、まあそうなんだが……折角受けた授業が落ちてたら、やっぱり落ち込む。

 過去の俺:一生懸命勉強したの?

 現在の俺:……

 過去の俺:してないんかい

 現在の俺:いや、後悔先に立たずって言うでしょ。

 過去の俺:まあね。てか、未来の俺いないね、今日

 未来の俺:いるぞ

 過去の俺:いたんかい! 経験者としてのアドバイスは?

 未来の俺:単位落としたことは忘れろ。てか時期に忘れる

 現在の俺:まあそうだろうけど

 過去の俺:ちなみに何の授業がダメだったの?

 現在の俺:東洋芸術の基礎ってやつ

 過去の俺:へえ、面白そうじゃん。どんな内容だったの?

 現在の俺:……

 未来の俺:……

 過去の俺:おい、どうした?

 現在の俺:忘れた

 未来の俺:同じく

 過去の俺:……そりゃ単位落とすよ


 その日の家での昼食は冷やしうどんだった。

 九月に入って秋めいてきたし、冷やしを食べるのは今年最後かもしれない――なんて他のことを考えて単位のことを忘れようとしていると、「そういえば前期の結果はどうだったの」と薫が尋ねてきた。昨日の夜に今日前期の結果が出ると家族に伝えてしまった自分が恨めしい。

「……落としたよ」

 母さんはテレビドラマに夢中で聞いちゃいない。

 父さんは仕事でいなかった。

「ふぅん。何を」

「東洋芸術の基礎ってやつ」

「へえ、そうなんだ」

 それだけ言うと、薫は冷やしうどんを黙々と食べ進める。

 ちょっと拍子抜けだった。もっとねちねちと言ってくるかと思ったのに。

 少しして、「バイトの方はどう」と訊いてきた。

「ああ、カテキョー? ぼちぼちやってる」

 さすが薫の友達と言うこともあって飲み込みが早い。教える側の人間にとったらだいぶ楽だ。薫にはいいバイト先を紹介してもらった、感謝だな。

「週にどれくらい働いてるの?」

「二日。一日三時間教えてる」

「ふぅん。……大変じゃない?」

「ん? いや、むしろ楽。薫の友達――佐城さじょうさん、頭いいし」

「そう、ならいいんだけど」

 薫はうどんをすすりながら、時折ちらちらと上目遣いにこちらを見てくる。

「何か訊きたいことでもあるのか?」

 視線が気になって、今年最後の冷やしうどんを堪能できないではないか。何かあるならさっさと言ってくれ。

「いや、別にそういうわけじゃないんだけど……」

 薫が煮え切らない態度をとるなんて珍しい。よほど訊きにくいことなのだろう。

「ただ、その……紹介した立場としてはさ、気になるっていうか」

 鈍い俺にも薫の言いたいことが分かった。つまり、薫の気持ちを一言で表すのなら――。

「心配してくれてるんだな、俺のこと」

 薫はうどんを一気に平らげて、食べ終えた器を手に持って立ち上がると、「別に心配なんかしてないし」と言って台所に足早に向かう。

 可愛いやつめ。

 パタパタといつもより早く遠ざかるスリッパの音を耳にしながら、俺は最後に残しておいたゆで卵を口に放り込んだ。

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