第84話

     Ignominy


 渡ノ瀬 紗季から相談をうけた。彼女は同じ中学の一つ下で、とある事件でオレと知り合い、オレのことを仮初の兄と慕う少女だけれど、友人とのSNSでトラブルが起きている、という。

「クラスの女子で、みんなでチャットグループをつくったんですけれど、そこでイジメが横行していて……」

 あり得る話だ。そもそも実生活でさえイジメが起きるのに、顔の見えない会話では尚更である。人間は、相手の表情をみて、言葉にはふくまれていない機微を補いながら会話するのだ。同じ言葉でも、怒っていっているのか、笑っていっているのか、絵文字、顔文字をつけたところで、その細かい描写まで確認できるはずがない。それが誤解を生み、すれ違いを生じる。

 言葉はコミュニケーションツールであるのと同時に、攻撃する兵器であり、自分を守る盾でもある。

「イジメられているの?」

「私は最初から、ほとんど会話に加わっていないので……」

 寂しそうな顔をする理由も、何となくわかる。渡ノ瀬は、実の兄から誘拐されかけた。もう一年以上前の話だし、中学生になったことで一旦はリセットされているけれど、やはりその話題にふれることもあるだろう。

 彼女にとって、人とコミュニケーションをとることは、その話題を避けて通れないということでもある。オレと一緒にいたがるのも、オレとの間ではその話題も決してネガティブなものではないから……とオレは思っていた。


「じゃあ、誰が?」

「それが……。誰ということではないんです。その日、そのときの気分や状況で、その誰か……対象が決まるんです。罵声を浴びせ、悪口をいい、それをみんなで笑う。延々とそんなことがくり返されていて……」

「でも、抜けられない?」

「クラスの女子全員で決めた、全員参加という縛りが、抜けたら実生活でもイジメられる……という恐怖になっていて……」

 それはそうかもしれない。話題についていけなくなり、自然と距離を開けられることもあるだろう。仲間外れ、という形が自然にできてしまう。

「翌日、笑い飛ばせる子ならいいのですけれど、学校をお休みする子もいて……」

 全員から誹謗中傷をうけ、それは心が折れる子もいる。

「なるほど、それを何とかしたいのか……」

「このままだと、クラスの中がぎくしゃくする……というか、もうぎくしゃくしていて、夏休み明けには大変なことになりそうなんです」

 不登校……。それで済めばいいけれど、学校に行きたくない……という感情が昂ぶり、自殺する子もいるかもしれない。学校には通わないといけない。それはプレッシャーであり、誰もがそれを前提で話をする。学校を休むなんておかしい、病気でないのなら行くべきだ、と……。

 しかしその結果、板挟みとなった子供が唯一の逃げ道として自殺をする選択をしてしまう。まだ頭痛がしていないけれど、そうならないよう、今のうちに何とかすべきだと、オレもそう考えた。


 結論から先に書こう。オレはそのチャットルームを閉鎖に追いこんだ。ハッキングによってチャットルームに侵入、乱暴な言葉を浴びせ、もうセキュリティーが破られていることをまざまざと自覚させたからだ。

「ハッキングなんてできるんですか?」

 渡ノ瀬は目を丸くするけれど、これはどこでもできる、というわけではない。七十七年生きた、前の人生でこのタイミングで、脆弱性をもつネットサービスがいくつかあったことを憶えていた。そのサービスを、彼女たちがつかってチャットしていたのでできた、という話だ。

「何か、ちょこちょことやっていたら、勝手に入れたよ。恐らく、また別のところでチャットルームをつくろうとしても、参加したくない子もでてくるだろう。そのキッカケは出来たんじゃないかな?」

「そうですね。私がもう参加しない、と公言したら、周りの子も結構そういう子がいて……。仲良しグループで、勝手にやる分には構わないですけど、クラス全員でやるチャットは、もう終わりです」

 全員参加……なんて縛りがなければ、チャットルームだっていくらでもやればいいのだ。でも、最初から距離を開けていた、渡ノ瀬がそれを言い出したことはよかったのかもしれない。周りも納得しやすいからだ。

「人はつながりたい……という感情と、つながりたくない……という感情と、両方をもつ。問題は、そのタイミングが人によってばらばら、ということだ。だからつながろうとする人と、そうでない人に意識の差が生じる。

 一緒に遊びに行こうとしたってテンションの差があるのに、いきなりチャットルームで、同じテンションになれ、なんて言ってもムリな話なのさ。

 それを踏まえていないと、何で自分とちがう……という感情が昂る。互いに顔を突き合わせていれば、そこで感情も突き合わせることができるのにね」

「難しいですね、人間関係って」

「これまでは、みんな一緒でいい、という時代だった。でも、これからはみんな違って、それでいい、という時代になる……というか、なったんだ。でも、SNSではまだそういう常識がない。違いを受け入れられず、きつく当たったり、カン違いしたまま攻撃したりする。

 違っていいじゃない、と言えないんだろうね。相手の顔がみえないから。感情が先走ってしまうんだろう」


「私は郁兄さんとだけ、つながっていたいな……」

「今から人間関係を狭める必要はないさ。まだ中学生、これから人生の師と仰ぐ人と出会うかもしれない。親友になってくれる人もいるかもしれない。今は事件のことを色々と取り沙汰されることもあるかもしれないけれど、そのうちそれも昇華され、ちがう形で君にかかわってくるかもしれないよ。暴漢に襲われたアイドル、なんて形で売れる時代なんだから……」

 そう、未だに柳沢 雛姫はそのコンセプトで売っていた。

「私、アイドルでいけますか?」

「紗季はかわいいんだから、いけると思うよ」

 渡ノ瀬は真っ赤になって、照れたように俯く。それは「かわいい」と言われたからか、「紗季」と呼んだからか、どちらかは分からない。でも、渡ノ瀬も事件のことを少しはポジティブにうけとめ、前にすすむ時期に来ていることは確かだ。

 渡ノ瀬は顔をみせないよう俯いたまま、すっとオレの隣に体を寄せてきて、自分の右手をオレの左手にからめると、恋人つなぎにしてきた。しかも、さらに左手でオレの手を包みこみ、いとおしむように上からさすってくる。

「まだ、人間が怖い?」

「少し……。でも、少しずつ人を信じられるようになってきたのかもしれません。この前の海……、楽しかったです」

 小早川 知彩と、美来の二人とはすぐ仲良くなった。年下ということもあるのかもしれないけれど、あの二人なら、渡ノ瀬とも仲良くできると思った。

 渡ノ瀬も、両親との関係があまりよくない。兄とは半分しか血がつながっていなかったけれど、それを簡単に切ってしまったことも、彼女の中ではわだかまりとなっている。

 彼女が本当に人とつながれるようになるまで、こうして手をつないであげることがオレの使命だと思っていた。












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