第43話

     Victim


 渡ノ瀬 紗季から呼び出されていた。

 彼女の家は地元の名士であり、父親はこの辺りにある会社の役員をいくつも兼務しているそうだ。要するに、地元に話を通すときに必要な顔役……といったところらしい。そのせいで、彼女が父親の仕事について、よく知らなかったのだ。

 ただ、そんな名士の名に傷がついたのが、今回の一件だ。兄の逮捕という事態をうけ、大騒ぎになったことは想像に難くない。娘を救ってくれた、そんなオレへの感謝の一つもない。

 それはいいとしても、一ヶ月近くたってやっとこの家を訪れたのも、マスコミなどが減ってきたからだ。

 紗季の部屋は、非常にすっきりとした、清潔感のあるものだ。家自体は古く、古民家というほどではないにしろ、昭和の時代に建てられた、二階建ての豪邸だ。

 こういうところも、兄を犯罪集団にひっぱりこんで、その妹を狙う事件につながったのだろう。

 波乱に巻きこまれた一家は、この家の中でひっそりと暮らしており、オレは紗季の部屋で、彼女と対していた。とても歓待するムードではなく……。


「助けていただき、ありがとうございました。両親ともども、感謝しています」

 形ばかりの感謝の意と、両親の不在を伝えている。本来なら、両親から一言あって然るべきであろう。ただ、紗季の表情にはそれをあえて拒絶する、そんな強い態度が見え隠れする。

「どうして、アナタは事件を未然に防げたのですか?」

 彼女の警戒心は、そこに集約されているのかもしれない。たかが中学一年生、半グレ連中を向こうに回し、それを上回ってみせたのだ。

「キミのお兄さんが付き合っている連中……。その噂を耳にした。そこから、今回の犯罪について想像した。キミを危ない目に遭わせて申し訳なかったけれど、相手が動かないと、こちらも動けなかったから……」

「そうではなく、何でアナタは、そこまでのことを……。アナタは、英雄と呼ばれていますよね?」

「英雄はただの称号さ。それを有利に使えるときもあるけれど、一方では枷となる。キミもそうだろ? 何てコイツは、あんなことができたのか? と警戒する。人助けの代償は、オレを危険な目に遭わすこともある。逆に、加害者の家族や、被害者から恨まれることだってある。キミみたいにね……」

 そう、彼女は被害者であり、加害者家族という、二重の意味で今回、追い詰められているのだ。

「オレを蔑んでくれていい。恨んでくれていい。キミにはそうする権利がある。英雄とは、そういうものを受け止める者につけられた、蔑称さ」


 それまでオレのことを険しい表情で睨んでいた、紗季の表情が歪む。

「問い詰めようと思っていたのに……。そんなこと言われたら……、何もできなくなるじゃないですか」

 彼女の頬を、涙が伝い落ちる。兄を失った悲しみを、最悪の形でそれを為した、英雄と呼ばれる悪魔のことを、本気で恨んで、嫌悪し、そして真実を詳らかにしようとして、ここまで張りつめていたものが、プチンと音を立てて切れた。それは、そんな涙のようにも見えた。

「問い詰めてくれて構わない。キミにはその権利がある」

「私に……その権利はありません」

 涙は滂沱となって、彼女の顔を覆っていく。

「英雄だの、人助けだの、そんなことを目的にしても、結局は哀しみを生むだけなんだよ。オレもこれまで色々と体験してきて、それがよく分かった。でも、オレはそれを止めない。

 それがオレに与えられた、使命だと思うから。キミのような、被害者の悲しみを受け止めるのも、オレの責務なんだよ。だって、そうしないと本当に人を助けたことになんて、ならないんだから」

 恐らく、これが十三歳しか生きていない男だったら、とても受け止めきれないだろう。七十七まで生きたオレだから、そうしたこともふくめ、全部うけとめてあげることができる。

 そうじゃないなら、やり直した意味がない。幼馴染の七海を救おう……そう思って選んだやり直しの人生だ。とことんまで行くだけ。オレもそう決めていた。


「もしアナタが悪党だったら、エゴでこんなことをしていたら、どれだけ楽だったでしょう。本気でアナタを恨んで、一生その恨みのパワーで、あのときのことを忘れずに生きたかもしれません」

 紗季は涙をぬぐう。

「でもあのとき……。兄に呼び止められて車に乗ったときより、段ボール箱の外から聞こえてくる、アナタの声を聞いたから……。それに安心する、自分がいたから……。私にはそうすることができない。

 私がお願いして、この事件に携わってもらった。アナタには何の得にもならないのに、体を張って私をすくってくれた。アナタなら、私のことを助けてくれると、そう思ってしまった。

 私にとって、アナタは英雄です。…………好きです」


 その告白を聞いて、オレは喜ぶよりも激しく動揺していた。

 彼女は恐らく自分で気づいてもいないだろう。自らの股に手を置いて、そこを握りしめるようにしている。

 時の強制力――。もし前の人生で、彼女が誘拐されているときに男たちに性欲のはけ口にされていたら……。彼女は今、訳も分からず、体の奥から湧き上がってくる疼きを感じて、戸惑っているはずだ。

 そしてその戸惑いが、今の告白につながっているのでは……? いくら頭で否定しても、懐疑の方が大きくなる。

 お子様すぎて、それが何かも分かっていなかった梅木は、オレとのキスで解消できたけれど、この子もまた……。

「私は兄を失いました……。両親は、兄さんとの家族関係を絶とうとしています。私にも、兄はいなかった、そう思いなさいって……。

 だから、私の兄になって下さい!」


 …………兄? 彼女は自分でも気づかないうちに、ショートパンツの間に手をおいて、自然とそこを触っているのだけれど、その体の奥底から湧き上がる、情動に抗してみせたのだ。

 オレもそう思うことにした。

 ……否、彼女にとって、今はそれができる精いっぱいなのかもしれない。何しろ、実の兄は今でも拘置所から、少年院送致が決まるかどうか……というところであり、十四歳という年齢も、色々と加味されるようだ。

 そんな中で、被害者で、加害者家族でもある自分が、情動も抑えられずに暴走してしまったら……。

 彼女にとっては、英雄と呼ばれ、自分のことを救ってくれた相手を恨んで遠ざけるのか? それとも近づくのか……?

 彼女も色々と悩んだのだろう。

「オレがその代用となるかどうかわからないけれど……、いいよ」

 彼女はすぐに立ち上がった。一度、止まっていた涙が、またその双眸から溢れてくるのがみえた。

 オレも立ち上がると、彼女はそのままオレの胸に顔をうずめてきた。そのまま顔を押し付け、声も押し殺して泣きだす。

 その頭を、その体を優しく抱きとめてあげた。今は堪えるしかない。彼女が置かれた複雑な事情は、小学六年生にして、大人でさえ受け止めきれるかどうか……。

 人助けをするなら、中途半端にするわけにはいかない。血が半分だけつながった実の兄から救った、オレが彼女を支えてあげないと……。オレの胸の中で震える彼女を抱きしめて、そう感じた。












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