追加エピソード1 カァルのお見合い

追加エピソードについては時間が前後する場合があります。ご了承ください。

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「樹ちゃん、樹ちゃん。お見合いしてみない?」


 東京に来て最初のゴールデンウイークも過ぎたある土曜日。玄関前を掃除していたら近所のおばあちゃんから声をかけられた。


「え、いや、僕には風花がいるし……」


「やあね、そんなことはここにいるみんな知っているわよ。樹ちゃんじゃなくてネコちゃんの方よ。あの子、去勢してなかったわよね」


 あ、カァルのことね。びっくりしたよ。


「はい、それはしてませんが、相手はどこの子ですか?」


 僕たち出会う前のカァルが飼い猫だったのかノラ猫だったのか分からないけど、去勢されていない立派なオス猫だった。

 竹下の家で飼っていたころも家猫として外に出していなかったし、メス猫も近くにいなかったので去勢する必要がなかったのだ。


「カァルちゃんって一人でお散歩していることがあるでしょう。その姿を見るのを楽しみにしている女の子がいるのよね。よかったら紹介するわよ」


 僕たちが夏さんから借りている家は猫仕様に改造されていて、僕たちが留守の時でもカァルは自由に出入りできる。

 普通のネコなら外を出歩いたら危ないと思うけど、カァルはユキヒョウのカァルなので力は強いし、人間の言葉もわかるから頭もいい。周りを見ないで道路に飛び出す心配はないと言ってもいいと思う。


 でもなー、カァルってたぶん10才近いんだよね。猫としてはもうおじさんの年齢になると思うけど、お相手の女の子は大丈夫なのかな……


「えーと、一度その子と会わせてもらっていいですか?」


 まあ、あとは自分たちで決めるだろう。こういうことは外野が余計なことを言わない方がいいに決まっている。





 翌日の日曜日。僕と竹下はキャリーバックに入れたカァルを連れて、僕たちの家の隣の街区へ向かっている。早速カァルのお見合いが決まってしまったのだ。


「カァルとその子がいい感じになったとして、一緒に飼うわけじゃないんだろう」


「うん、その子の飼い主さんもその子を大事にしているから、たまに遊んであげる相手と子供のお父さんになってくれる猫を探しているみたい」


「へえ、カァルもお父さんになるのか。よかったな」


「ニャー」


 バッグの中のカァルは、毛づくろいに余念がない。カァルは僕たちが言っていることがわかるからね。準備だってバッチリだ。


「最終的にはカァルがその子を気に入るか、その子がカァルを気に入るか次第だけどね」


「でも、あっちから言ってきたんだろう。カァルが気に入るだけじゃダメなの?」


「あちらも遠くから眺めている感じみたいだからね。会ってみたらってことも……」


「そうか……。カァル、お前頑張れよ。第一印象が大事だからな」


「ニャ!」


 いい返事。

 カァル、僕たちは見守ることしかできないけど、もしもの時は骨は拾ってあげるから安心して。


「えーと、ここだ。山本さん。カァル、この場所覚えている?」


 バッグの中のカァルはうんと頷く。

 その家は夏さんが持っている区画と違うところなので、和風の作りではなくて洋風のお宅だった。塀があるので部屋の中は見えないけど、カァルが散歩するときは塀の上を歩いているから、それを中から見たんだろう。


「どんなネコちゃんだろうな。ふわふわの毛で深窓の令嬢みたいな感じかな」


「何それ。どんな子でもカァルが気に入るのなら構わないよ」


 竹下とカァルに目で合図をして、呼び鈴を鳴らす。


 ピンポーン!


「はい」


 インターフォンから女の人の声が聞こえてきた。


「あの、立花です。カァルを連れてきました」


「あ、すぐに開けるわ。ちょっと待っていて」


 ドアの奥に気配を感じ、ガチャリと鍵が開く音が聞こえた。


「どうぞ、入って。待っていたわ」


 40才くらいかな、品のある女性が出てきた。この人が山本さんなんだろう。


「「お邪魔しまーす」」


 僕と竹下はカァルをバッグに入れたまま中へと進み、リビングに案内される。


「そこで座って待っていて、すぐに連れて来るわね」


 部屋のソファーで山本さんを見送る。


「本当にふわふわの毛に包まれたネコちゃんが出てきそうだぜ」


 リビングの窓際の棚には真っ白なレースが敷かれていて、日当たりのいいその場所は、もこもこのネコちゃんがゆっくりと寝そべっていそうだった。


「おまたせ、それでは早速カァル君を出してくれるかな」


 戻って来た山本さんの腕には、スラっとした茶色い毛並みのネコが抱かれていた。


「あ、カァルと同じ毛並みだ」


「ベンガルっていうのよ。カァル君もそうじゃないのかしら」


 僕たちはカァルをバッグの中に入れたまま、飼うことになったいきさつを話した。もし同じ血統だと思っていたのなら、違うって言わないといけないからね。


「――だから、カァルはベンガルという種類かどうかわからないんです」


 カァルは学校帰りについてきた猫だから、雑種だと思っていた。ベンガルという種類かもしれないし、偶然毛並みが似ているだけかもしれない。


「そうなの……。この子、ミルって言うんだけど、カァル君が外を歩いているときには慌てて窓に駆け寄って鳴いているのよ。きっとこっちを向いてって言っているのだと思うの。血統なんて関係ないわミルの幸せが一番よ。お願い、カァル君を出してくれないかしら」


 山本さんの腕の中のミルは、バッグの中のカァルのことが気になるのか、さっきから体を動かしてカァルの入ったバッグを見ているようだ。


「あっ!」


 山本さんの腕からするりと抜け出たミルは、スタッと着地し僕たちの足の間に置いてあるバッグの前まで駆け寄ってきた。


 ミルはバッグの前方の格子から中をうかがい、鼻をスンスンとしている。中のカァルも同じように鼻を突きだしていたから匂いを嗅いでいるのだろう。


「にゃー」


「ニャー」


 二匹は格子をはさんで鳴き合う。僕はバッグのチャックを開けるために手を伸ばす。ミルは僕がやろうとすることを分かってくれたのか、少し下がってくれた。

 チャックを全開にする。前方が開けたカァルはポンと飛び出し、ミルの前へと向かう。


 二匹は改めて匂いを嗅ぎ合い、そして毛づくろいを始めた。


「ふふふ、お見合いは成功みたいね。二人とも座って、お茶を入れるわ」






「山本さん、ミルちゃんはいくつですか?」


 僕と竹下はソファーに座り、出てきた紅茶を飲みながらミルのことを山本さんに尋ねている。


「半年よ」


「……は、半年!? やばいぜ樹。カァルってミルちゃんに比べたらおじさん過ぎるんじゃねえの?」


 ミルがカァルよりも一回り小さいと思っていたらそういうことか。


「ま、まあ、本人たちがいいのならいいんじゃない」


「そうよ、あのミルの顔を見て、幸せそうじゃない」


 カァルとミルの二匹は、さっき見つけた棚のレースの上で午後の日を浴びながら丸くなっている。時折それぞれが思い出したように毛づくろいをしていて、見ているだけでほほえましい。


「ミルはね。私の心の支えなの、せっかくなら幸せにそして長く生きて欲しいわ。だから病気にならないように避妊手術をさせたいんだけど、子供も育てさせてあげたいのよね。そこでカァル君に協力してほしいの!」


 猫の女の子は避妊することで病気になる確率を下げることができるらしい。でも、一度でもその手術をしちゃうと一生子供が産めなくなってしまう。飼い主としては悩ましいところだろう。


「わかりました。僕たちでよかったら協力します」


 僕だってカァルの子供は見たいからね。


 ただ、ミルは小さいのでまだ発情期が来ていないらしい。ということで、カァルの子供はしばらくお預けだけど、二匹を時折遊ばせる約束をしてこの日は帰った。







 それから数か月が過ぎ、ミルの初めての発情期を逃さなかったカァルはお父さんになった。


「うおっ!、可愛いぜ。それにニャーって鳴いてやがる」


「お姉ちゃん。猫なんだからニャーって鳴くよ」


「それにしてもカァルやりやがったな。おめえにそっくりだぜ」


「ニャー」


 ミルの赤ちゃんが生まれたという知らせを受けて、僕と竹下だけでなく風花と穂乃花さんも一緒に山本さんの家に来ているのだ。当然お父さんのカァルも一緒だ。


 ミルはふかふかのクッションの上に寝そべっていて、そのお腹ではミルとカァルと同じヒョウ柄の子猫が五匹、仲良くお乳を吸っていた。


「樹君ほんとにありがとう。これでミルをお母さんにさせてあげられたわ」


「僕だって、カァルの子供が見られて嬉しいです」


「よかった。それで相談なんだけど、この子たちがもう少し大きくなったら、このうちの一匹を貰ってくれないかしら。一匹はうちで育てて、後の三匹は貰い手が決まっているんだけど、もう一匹がまだなのよね」


 カァルの子供なら引き取ってもいいけど、今の家は夏さんに借りているものだしどうしよう……


「なんだ樹、悩んでんのか。それならあたいが貰って育てるぜ」


「えっ、お姉ちゃん! おばあちゃんに聞かずに勝手に答えていいの?」


「説得は頑張るからさ、風花も手伝ってくれよ。いいだろう?」


「しょうがないなー。カァルの子供だもんね」


「というわけだ、樹。すまねえな」


 悩む間もなく結論が出てしまったよ。


「よかったの? 樹君」


「はい、夏さんの家ならいつでも会えますし」


 カァルとミルの子供たちもみんな幸せに暮らせそうだね。

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