帰りのホームルームが終わり、クラスメイト達は千差万別の放課後を過ごしている。ある者は部室へと駆け出して、ある者は教室に残り友人との会話を楽しんでいる。白石さんは、隣のクラスの黄木さんと二人で会話をしている。内容を盗み聞きしたかったが、僕も僕で用事がある。今日は水曜日。アルバイトの日だ。

 校門を出て、家路とは反対の方向の道を一人歩く。駅に向かう道のため、他の多くの生徒も歩いている。そんな生徒の間をくぐり抜けるように早歩きをすると、勤務時間の二十分も前にアルバイト先の喫茶店「喫茶アカサカ」に着いてしまった。「喫茶アカサカ」は駅前にある商店街の路地裏を入ったところにある古いラブホテルの横にひっそりと佇んでいる。近くには大手のチェーン店も軒を連ねていることもあり、売り上げは芳しくないと店長の赤坂さんはいつも嘆いている。店内は赤坂さんのこだわりのアンティーク雑貨が所狭しと置かれており、元々広くない店内に余計な圧迫感を与えている。客席も二人がけのテーブル席が二つと、カウンター席が四つしかない。一見すると怪しい雑貨屋さんにしか見えない。

「いらっしゃ……なんだ黒田君か」

 店の扉を開くと、カランコロンとドアベルが鳴った。その音でお客さんだと勘違いをした赤坂さんが、カウンター越しで嬉しそうに扉の方を向いたが、来店者の正体が僕だと知るとあからさまに落胆をした。

「おはようございます」

 僕は一言挨拶をして、バックヤードへ向かった。バックヤードと言っても、四畳ほどの広さしかなく、パソコンが置かれた机と椅子だけで窮屈だった。椅子の後ろに鞄を置いてチャックを開けると、中から洗濯をした「喫茶アカサカ」のエプロンを取り出して、制服の上から着る。

「まだ開始まで十五分くらいあるから、ゆっくりしてれば良いのに」

「いえ……暇なので」

「そうかい。最近調子はどうだい?」

「普通です」

「そうかそうか、普通が一番だよね」

 全く会話が盛り上がらないのはいつもの事。それでも赤坂さんは僕に話しかけてくる。そもそもこんな小さな喫茶店でわざわざアルバイトを雇っている理由が、赤坂が若者と交流を持ちたいからだと以前に聞いた。

 赤坂さんは今年で五十二歳になる。白髪混じりの髪型をジェルで後ろに流しており、一見するとどこかの会社の重役のような雰囲気を持っている。実際、二年前までは大企業の役職に就いていたらしく、五十歳というタイミングでセミリタイアをして「喫茶アカサカ」を開店したという。

 しばらく赤坂さんと雑談をしているが、一向にお客さんが入店する気配がない。ただ突っ立って赤坂さんと会話をするだけで、時給八百円が貰える楽な仕事だ。

「いらっしゃ……なんだ青山さんか」

 突然鳴ったドアベル。ようやくお客さんが来たかと思ったが、入店してきたのは青山さんだった。青山さんは二十一歳の大学三年生で、僕と同じく「喫茶アカサカ」でアルバイトをしている女性だ。明るい茶色のショートボブに大きな瞳。すらっとしたスタイルで読者モデルもしている彼女は、確かに見た目だけならテレビに出ていてもおかしくはない。ただ、僕は青山さんが苦手だった。

「あれ、今日のシフト私じゃなかったっけ?」

「違うよ。今日は黒田くんの日」

「ええー、せっかく来たのに……。ねえ黒田、今日シフト代わってくれない?」

「嫌ですよ。僕も今月厳しいんですから」

「良いじゃん、代わってくれたらご褒美にほっぺにキスしてやるからさ」

 どうして自分のキスがご褒美だと思えるのだろうか。きっと、自分の容姿に絶対的な自信があるのだろう。僕は青山さんのこういうところが苦手なのだ。

「嫌です。諦めてください」

「ちぇっ……ところでなんか良いことでもあったの?」

「え?」

 突然の質問に思わず固まってしまう。変なところで勘が良いのも青山さんの特徴だ。

「待って。当ててみせるから」

 青山さんは手のひらを前に出して、僕の発言を制止すると、小さく唸り声を上げながら考え込む。暫くすると全ての謎を解いた名探偵の如く晴れやかな表情を浮かべて僕を指差した。

「ズバリ恋愛関係で良いことがあったでしょ?」

「え、なんで分かったんですか」

「よし当たった。なんとなくだよなんとなく。いつもより口調が明るい感じがしてさ、高校生が声を弾ませる出来事なんて恋愛くらいでしょ?」

 そんなことは無いとは思うが、とにかく青山さんの勘の良さには驚かされる。いや、きっとそれは勘などではなく、しっかりと人のことを観察できている証拠だ。読者モデルもしている青山さんなら、交友関係も広いはずなので、自然と人を見る目が養われたのだろう。友達も少ない僕とは大違いだ。

「それで、どんな良いことがあったの? もしかして女の子と付き合ったとか?」

 目を輝かせて聞いてくる青山さんと、その後ろでコーヒーカップを拭きながら聞き耳を立てている赤坂さんを交互に見ながら、僕は困ったように頬を人差し指で掻く。

「付き合っていないですよ。ただ、気になる子と会話を交わしただけです」

「いいねー、青春だねー。どんなこと話したの?」

「別に普通のことですよ」

 嘘をつく理由もないので、僕は学校での白石さんとの会話内容を伝えた。すると青山さんと赤坂さんはお互いの顔を見合わせて破顔した。

「え、それだけ? それだけで嬉しいの?」

「良いじゃないか青山さん。うん、可愛いね黒田くんは」

 フォローしてくれている赤坂さんも、頬を緩むのが抑えられていない。僕はあからさまに不機嫌そうな口調で「話したのが馬鹿でした」と一言漏らして二人から離れた。そう、僕が馬鹿だったのだ。普段なら絶対にこんなことを話さないはずなのに、この日はつい話してしまった。それほど僕にとっては嬉しい出来事だったのだ。それを二人には分かるはずがない。

「ごめんごめん。それで、その白石さんって子と付き合いたいと思ってるの?」

 僕が機嫌を損ねたことに気付いて謝りながらも、青山さんは依然として質問を続けてくる。僕はもうこれ以上話すつもりもなく、内心早く帰ってくれと願うばかりだった。そんな願いが通じたのか、ドアベルが鳴った。

「いらっしゃいませ」

 お客さんだ。青山さんもお客さんが来てしまったら自分は邪魔だと悟り、軽く会釈をすると「それじゃあお疲れ様です」と一言挨拶をして店を出て行った。今日ほどお客様を神様だと思った瞬間はない。

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