ときどき発狂するけど護ってくれますか

@kakenaikakeru

第1話 プロローグ

 おれは昔から怪異や都市伝説といったものが大好きだ。

 いつかそういうモノに遭遇してみたいと思っているが、現実にはそんなモノはない。

 でももし本当にそういった――怪異に遭遇したとしたらどうするか。

 怪異好きとして観察するか、手で触れてみるか、もしくは話しかけてみるか。

 たぶん、違う。

 

 おれは間違いなく――逃げるだろう。


   *


『逃げるなんて、同じ怪異を愛する者として嘆かわしいですね。せめてそこは正体を見極めるとか言わないんですか』

 スマホが短く震え、画面にメッセージが表示される。送り主は古ぼけた本のアイコンに、アイネという名前。

 アイネは中学時代SNSで知り合った友達だ。といっても顔を見たこともなければ声も聞いたこともない。でも同じ怪異話が好きな者として、リアルも含めた中で一番仲の良い知り合いだ。

 今みたいな学校の休み時間のように、空いてる時間があればアイネとはよく話している。

『こっちは異能とか持ってる高校生じゃないんだぞ。怪異になんか遭遇したら、殺される一択なんだから、逃げる以外にないだろ』

『イチロは怪異同好会メンバーとしての自覚がありませんね。怪異まとめのあ行から全部見直して来て下さい』

 イチロとはおれの名前だ。本名は真渡一郎(まわたりいちろ)。「いちろう」ではなく、「いちろ」と読む。どうして「いちろう」ではなく「いちろ」なのかと親に聞いてみたが、差別化だという本当なのかどうかわからない答えが返ってきたのを憶えている。その差別化のおかげで、ありがたいこと初対面で読み方を当てられた人は今までいない。知らない人にはそれが本名だと思われないため、SNSのアカウントでも「イチロ」と名乗っている。

 おれと違ってさすがにアイネは本名じゃないだろうけど。

「よ、イチロ。今日もせっせと都市伝説の収集か?」

 アイネに返事をしようとしたところで、近くでグループを作っていたクラスメイトが話しかけてくる。おれとは普段交わらない、陽気で活動的なグループだ。おれは顔も上げずに適当に返事をする。

「実はさ、今度女の子何人かと廃墟探索? ってのに行こうって話になってさ。イチロならちょうど良い感じのところ知ってるだろ。お勧め教えてくれよ」

「廃墟探索が好きなんて、良い趣味してる女の子だな」

「変な趣味だろ、でも可愛いから許す。あ、でもお前は数に入ってないからな、お勧めだけ教えてくれれば良いからよ」

 滅茶苦茶危険な場所を教えてやろうかという考えが一瞬よぎったが、何か事故があっても困る。怪異探索系動画で良さそうなところでも送ってやれば良いか。

「後で送っておいてやるよ」

「うい、サンキュ……」

 すっと影が差し、おれは顔を上げた。

「ごめん、そこどいて」

 濃い紅茶色の髪をした少女がそこに立っていた。氷を切り出したような白い頬に、物憂げに少し閉じられた瞳、ほのかに筆で桜色を走らせたような小さな唇。顔立ちは整っているが、どこか存在感の薄い人形のような女の子。

 おれの隣の席の、比良守祈里だった。

「席、座りたいから」

 感情の読めない瞳が、おれたちをじっと見つめる。

「ああ……、そうだ、今イチロと話してたんだけど、比良守さん廃墟探索とか興味ない?」

「ごめん、興味ないから」

 抑揚のない声で祈里がそう答えると、誘ったクラスメイトは乾いた笑いを浮かべた。

「そ……そうだよね、ごめんごめん。はは……今どくよ」

 祈里が無言で椅子を引いて席に着くと、さっきまで話していたクラスメイトたちも顔を見合わせて離れていった。

 人目を惹く顔立ちのため、祈里は去年高校に入ったときから三年生まで含めて数多くの男子から告白されたらしいが、そのすべてをあっさりと断ったということで有名だった。親しい女子生徒の友達もいないようで、ときどき遊びに誘われているのを見かけるがそれも断っているようだった。

 おれも二年生になって同じクラスになり、隣の席になって三週間経つが朝の挨拶以外で言葉を交わしたことがなかった。休み時間もひとりでいるところしか見たことがない。

 おれが見ていることに気がつくと、祈里が少し顔を傾ける。眠たそうに少しまぶたを閉じた目が、見ていたことがバレたと慌てるおれを捉えた。

「ねえ、イチロ君もさっきの廃墟探索に行くの?」

 それは意外な言葉だった。祈里が他人に自分から話題を振っている姿を見たことがなかったのもあるが、廃墟探索に興味を持っているというところも予想外だった。

「い、いや、行かないけど。良い場所があるかって聞かれてただけで、誘われたわけじゃなかったから……」

 正直に答えると、祈里は小さく頷いた。

「そうなんだ。うん、行かない方が良いよ」

「え?」

「そういうの、やめた方が良いから」

 それってどういう、と聞きかけたところで祈里はこれ以上話すことはないとでも言うようにおれから視線を外した。会話のはしごを急に外されたおれは、問いかけた言葉を無理矢理飲み込んで視線をスマホに戻した。

 話している間にアイネからのメッセージが大量に届いていた。半分以上が無視するなというものだったが。

 指を上に弾きつつログを流し読みしていく。そのうちの一通で、指が止まった。

『そういえばイチロが住んでる街で、最近怪異の目撃談が何件か上がってるみたいですよ』

 そのメッセージに、おれはぴくっと眉を上げた。アイネはとにかく情報通で、最新の怪異の目撃情報や新しくできあがりつつある都市伝説などをほかのどの怪異系SNSよりも早く教えてくれる。

 祈里から言われた言葉を忘れ、おれは一も二もなくアイネに場所を尋ねた。


   *


 見上げた白い月を背に、赤黒い長身の影が伸びている。

 服の袖から覗く病的なほど白い手には、身長を超えるほど長い棒を手にしている。

 腰に届くほど長い髪の隙間から見える女性的な顔つき。

 しかしその片足は、影を切り抜いたかのように失われている。

 さらにその口は――


「ねえ、わたしきれい?」


 ――耳元まで大きく裂けている。

 裂けて赤く爛れた口の肉を震わせて、その人影が再び「わたしきれい?」と尋ねてくる。


 ――おれはこの日、怪異を知った。

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