雨炎 アルファポリスにて重複投稿

ソウカシンジ

雨炎 アルファポリスにて重複投稿

 私の住んでいるアパートが燃えた。詳しいことはわからないが、恐らく石田さんの煙草の不始末が原因だと思う。あの人は高齢で、ヘビースモーカーだ。煙草の火を消すことを忘れ、放置していたのだろう。梅雨の時期、雨が降ることを止めぬ中、私はその火事を帰路から見届けていた。少し遠くでゴウゴウと燃えるアパート。梅雨の雨如きでは、その勢いは止まることを知らなかった。間もなくしてサイレンが聞こえ、消防が到着して消火活動が始まった。アパートを呑み込まんとする炎の色は赤かった。私はホテルに泊まり、一夜を凌ぐこととした。偶然近くのホテルが空室で助かった。それに加えて、私の部屋は物が少なく備え付けの家具が殆どで、テレビもなければ真面なクローゼットすらなかったため被害も少ない。惜しいのは電子レンジと部屋着のジャージ、マットレスくらいだ。元々拘りを持たないタイプなので、部屋の雰囲気も質素そのものだった。

 諸々を済ませベッドに入った私は、寝付けずにあの光景を思い出していた。鮮明に思い出される。炎を纏い、大きく燃えるアパート。呑まれていく、焦げていく。その光景を前に私は不謹慎ながらも少しの美しさを感じた。雨雲により暗い街に、大きく赤い光が見えることに胸の高鳴りを感じた。何故だろう。理科の授業で実験をしていた中学生の時、炎を前に興奮する男子たちを馬鹿々々しく思っていた私が、何故このようなことを感じるのだろう。暫く考えてから私はこれ以上考えてもわからないだろうと割り切り、慣れないマットレスで眠りについた。

 その夜、私は夢を見た。燃える前のアパートの部屋にいたのだ。私の部屋だ。質素で、つまらなくて、死人でも住んでいそうな部屋だ。アイツにしてみれば、私は死人同然だったらしい。アイツというのは元彼のタクマのことだ。タクマは付き合った途端に私の部屋に転がり込んできて働きもせず居候する、所謂ヒモだった。そして部屋でだらけているタクマは頻りにこう言っていた。この部屋は質素でつまらない、まるで死人でも住んでいそうな部屋だと。嫌なことを思い出した私は夢の中、ベッド脇にある小さな棚に歩み寄り、そこに飾られていた写真立てを手に取った。タクマと遊園地でデートしたときに撮った写真だ。何故ここに来てしまったのだろう。観覧車の中、楽しそうに笑う二人は私の憎悪を駆り立てるだけだった。憎い。私の部屋に居座り、私から金を巻き上げた挙句、私よりも可愛い女と浮気し、置き手紙もなく出ていったアイツが。そんなアイツに溺れ、されるがままに金を、愛を、初めてを捧げた自分が憎い。気づけば私の部屋は炎に包まれていた。私はその光景に驚き、思わず体を竦めた。その拍子に手放した写真立ては、中の写真と共に黒く焦げ、激しく燃えていた。写真立ては床につく間もなく炎に焼かれ、塵となって消えた。その瞬間、私の心を覚えのある、しかしどこか新鮮な感覚が襲った。思い出した。あの時の雨の中燃えるアパートを見た時の感覚だった。まるで絶景を見たかのような感動と、思わず口元が緩んでしまうような高揚感。今わかった。私は嬉しかったんだ。アイツとの思い出が、アイツのヘラヘラした顔が、アイツの仮初めの愛情が、アイツが消えるのが。私は炎に包まれながら両手を広げ、声高らかに笑った。息が切れるまで笑い続けた。とても気分が良かった。心のままに気持ちを出し切り、少し疲れた私は前かがみで膝に手をついた。すると、落ちた目線の先に激しく燃えた左胸が見えた。

 それを認識した瞬間、意図せず涙が流れた。こんなものではこの炎は消えないというのに。激しく燃えるその心から憎しみは感じられなかった。

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