エピソード 0-1-3
「はっ」
こうして朧気ながらに起き上がるアラタ。時刻は夕方。太陽は真白から橙へと色を変え、そろそろ門限である夜へと近づこうとしていた時だった。
「……うーん……あれ?……」
アラタは自分が助けた小さな竜を探す。するとまだ眠りについていた。アラタは触れようとしたが起こすのも不味いだろうと考え、静かにその場から立ち去った。
(この事は秘密にしよっと、またいつか会って父さんに自慢するんだ!そしてお願いするんだ!僕と『契約』してくれないかって!)
こうしてアラタは、この一連の物語を誰にも言わずにそっとしまった。いつか尊敬する父親にちゃんと自慢したいという想いから、笑顔を浮かべて門限までに帰った。
こうして一夜が過ぎた。一晩アラタはずっとあの小さな黒い竜について考え、朝方、起きて家族と朝食を済ませると一目散にあの大木の元に駆けた。
◇
「はぁ…はぁ……ついた…」
肩で息をしながら大木へと駆けたアラタは、注意深く、けれども驚かさないように慎重に歩いて小さい竜を探した。そして丁度歩いて90度の所に、今にもあくびをして起きたてのような表情の、小さな黒い竜がそこに座っていた。
「…………ぐるっ」
「あ、いたっ!!!————」
大きな声を驚かさないように抑えていたつもりだが、本物の竜に思わず腹の底からの声が漏れた。
「…………ぐるるぅ…」
小さな竜は眠りから完全に覚めたようで、小さな体を起こしてアラタを警戒するように全身を見つめていた。
アラタも警戒されているのが分かっている様でどうすればいいのか困惑していたが、とりあえず動かずにあの竜に判断を任せることにしたのだ。
最も竜という生き物は凶暴で、それが幼体であっても人を襲い怪我を負わせることが出来る生き物である。だがアラタの直感が、あの竜が自分を害する事はないと耳元でささやいていたために判断を委ねてみたのだ。
「………ぐるっ」
もいれば、その声に従いたいアラタの欲望も出ていた。もちろん勝ったのは欲望。ゆっくりとした動きで近づき、そしてうずくまる竜の隣へと座る事が出来た。
(俺の隣に竜が————)
父親の竜を見たことはあるが、あれは父親と一心同体の、いわば父親のパートナーとしての目線が強かった。だが子供とはいえ間近で竜を見れたことで、アラタのテンションは急激に上がっていた。
「…………ぐるるるぅ…」
そして竜もアラタの事を見ていた。目と目が合う。アイコンタクトの中にアラタが見たものは、竜からの感謝だった。
“どういたしまして”を言いたかった。心の中で出たそれを、言葉では決して伝えられない事は分かっていた。アラタは無意識の内にうずくまる竜の背中へとその手を向けていた。
嫌がるかもしれないという考えは、アラタにはなかった。いけるという気持ちに支配されていた。だが結果として、それは良い方向へと動いた。
まだ幼い竜の背中を撫でる。柔らかいが誇らしい竜の鱗を、アラタは撫でた。
「ぐるぐるぐるぅ……」
目を細めて身をかがめた。その声と目を見て、聞いて。アラタは
「ハハッ」
と、乾いた様に笑った。アラタにとって、この竜を信頼したのはこの時だったと、今では間違いなく言える。幼いアラタにとって何故乾いた笑みが自然と零れたのかはわからなかっただろうが、今では間違いなく言えることだ。
◇
「うーん……。お前は竜だが…、このまま“リュウ”って呼ぶのもなぁ……なんか、名前があればいいのになぁ」
「…?ぐるっ?」
アラタは、この竜に何か、せめて自分が呼ぶときぐらいは名前が欲しいと思った。向こうは恐らく何を言っても分からないとは思うが、アラタは他の竜と、自分が助けた竜の区別ぐらいはしたいと考えていたのだ。
(名前……名前……なんか、せっかくならかっこいい名前がいいよなぁ…)
『————「お前を母さんが生んだ時な、名前考えるの必死だったんだぞ~?“アラタ”っていうのも遠い地方の言葉でな?大人になったら酒でも飲んでその意味を教えてやろうと思ってるんだがな?他の候補としては“グレン”“ヴァルガ”“カガン”、あとは———」』
「————クーガ、よし、今日からお前の名前はクーガだ!」
アラタが、記憶の片隅にある父の酒飲み話から引っ張ってきたこの名前もまた、世界に大きく名を轟かせる事になる事もまた、幼いアラタは知らない。だがそれでも、アラタとクーガの物語はここから始まったのだ。
◇
アラタはクーガと名付けた竜に、話すことはしなくとも触れ合って、一緒にいるだけで何故か落ち着いた。たまに鱗を撫でると鳴いてくれた。それだけコミュニケーションとしては十分だった。アラタは、クーガが自分の体を寝そべってリラックスしているのを見ているだけで笑みがこぼれた。
こうして、アラタは草原に佇む大木の下で、クーガと過ごす時間が大半を占めていった。
◇
クーガと出会って一週間が過ぎた。最初はどこかに消えるアラタを見て鳴いていたが、それも昼頃に毎日やってくることを知ればいつしか日が昇るのを待って、アラタが来れば笑顔になるクーガを見ることが出来た。
アラタと出会うたびにクーガはリアクションの幅を大きくしていった。まるで段々と心を許しているかのように笑顔や喜び、落ち着きや安堵など、そのリアクションの判別をアラタでもできるぐらいにクーガはアラタに心を許していた。
そして大きくなっていったのは信頼度だけじゃない。クーガの体もまた、手の平よりも少し大きいぐらいだったクーガが、伸ばした腕より大きくなるのに3週間ほど、そして2か月もすればその体はアラタの大きさ・高さを優に超え、翼は育ち尻尾も長く大きくなっていった。
「クーガ~?」
「ぐるっ?」
「……なんでもない!」
「グルッ!」
意味は分かってないのだろう。ただクーガは、アラタの反応が見たくてリアクションを返しているだけ。だがそれだけでもよかったのだ。アラタもクーガも、意味が分からずとも反応してもらえるだけで満足だった。
そして月日は流れた。あの猛暑の日から時は過ぎて、少し寒くなってきた頃。クーガとの思いでは数知れず、ただ空に流れる白い雲を見るだけでも、互いに笑みを浮かべられた。新緑の草原の色だけでも、そこにクーガの黒色があれば楽しむ事が出来た。
意味もなく会話をした。クーガは決して意味を理解してはいないだろうが、それでもお互いが言葉を発しあうだけで楽しく成れた。この3か月はそんな楽しさだけしか残らないものだった。
アラタはずっと信じていたし感じていた。これからもずっとクーガとそばにいることが出来ると、そばにいて共に過ごせると、もしかしたらクーガと一緒に夢の竜騎士になる事すらできるかもしれないと考えると、涙が出るぐらいうれしかった。
だからこそ、あの時は悲しくなった。
3か月を過ぎたころ。クーガがあの大木から消えて、3週間がたったあの日。あの木の前で泣いたアラタの姿がそこにはあった。
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