第11話 居場所



「また来週な~」


 ガブリエルのツアーの中休み。宮内に見送られて飛び乗った新幹線は、無事に梅沢駅に到着した。


 関口はスマートフォンを開いてメールを送る。駅についたら連絡を入れろと蒼に言われていたからだ。


「さて、帰りますか」


 東京の雑踏とは一変し、ホームには人がいない。これぞ田舎のプラットホームと言わんばかりのもの寂しさだが、関口にとったら、それは心地のいい空間だった。


 人いきれの淀んだ空気とは違って、澄んだ空気はどこか、植物のような、土のような匂いが混ざっていた。


 改札口を出てから、長い階段を下りて、それから駅西口から自宅を目指す。


 蒼と一緒に暮している自宅は、駅から徒歩十分程度の場所だった。繁華街で賑わう東口とは裏腹に、西口周囲には、コンベンションホールが立地し、落ち着いた雰囲気になっている。少し歩けば、あっという間に住宅街にはいるのだ。

 関口の祖父母が建てたその家は、古い和風の平家だ。建てた当時は、ご近所も同じような佇まいだっただろう。しかし、祖父母の世代は姿を消している。売りに出ては新しい家族が越してきたり、世代交代が進み、どの家も今時の新しいスタイルの家並みだ。だから余計にポッカリとそこだけ取り残されたみたいに見えた。


 祖父母が死んでから、関口の父親は維持するために相当の経費をかけているらしい。彼にとっても思い出の家なのだろう。


 人通りもない閑散とした交差点で赤信号が明日に長く感じられた。地方都市の平日の夜はこんなものなのだろうか? 数時間前までいた東京の賑やかさが嘘みたいだった。


 東京と梅沢を行き来すると、この落差に戸惑を覚える。我が家をたった数日、留守にしただけだというのに、随分と時間が経過してしまったかのような感覚に陥った。


 ——早く帰りたい。


 蒼との夕飯を想像し、関口は足取りも軽く我が家の前に立った。


 ——しかし。


「?」


 蒼はとっくに帰宅しているはずだ。玄関の脇にあるカーポートに彼の自転車が納まっているからだ。


 だがしかし。様子がおかしかった。玄関外の街燈が橙色だいだいいろに染まっているだけで、玄関のすりガラスから伺える自宅内が暗かったからだ。


 関口は古びた木製の引き戸に手をかけた。鍵でもかかっているのではないかと、身構えて横に引いてみると、ガラガラとガラス戸が震える音がして、玄関が開いた。


 鍵が開いているのだ。ということは、蒼は在宅しているはずだ。


「蒼——? ただいまー。蒼? いるの?」


 玄関先に、無造作に脱ぎ捨てられている靴をそろえ直してから、関口は上がりかまちまたぎ、廊下に上がり込む。


 中は真っ暗だ。どこも灯りがついていないのだ。


「蒼? 蒼——?」


 彼の名を呼びながら、彼の姿を探す。

 玄関からすぐの防音室は、関口の練習部屋で、蒼が出入りをすることはない。よって除外だ。

 

 次に右手にある居間の襖を開ける。カーテンは開け放たれたままで、月明かりが青白く差し込んでいた。まさかとは思いつつ、今の隣の自室も覗く。ここは仏間になっている。

 

 出てきたままの状態の自室に、楽器と荷物を置き、向かい側の台所やトイレにも顔を出すが、勿論、蒼の姿は見当たらなかった。


 関口は、最後に蒼が使っている、一番奥の部屋に足を向けた。


「蒼? いるなら返事して……?」


 関口が中を覗き込むと、そこには蒼が膝を抱えて小さくなって座っていた。


「蒼。どうしたの。いるんじゃない。返事くらい……」


「——」


「え? なんか言った?」


「——おれ、出て行く」


「え?」


 蒼がなにを言い出したのか、関口には理解ができなかった。だがしかし。薄暗い、月明かりの光に浮かぶ蒼の顔は、なんだかこの世の生き物には見えなかった。そう、不吉な。まるで目の前にいる蒼は、幻なのではないかという錯覚に囚われたのだ。


 手を伸ばしたくてもそれは、まるで拒絶されそうなビリビリとした空気に気圧された。


 言葉を失い、ただただ蒼を見つめている関口の反応を、彼はどう受け取ったのだろうか。


 蒼は燃えるような紺青色こんじょういろを瞳に宿している。外から差し込む月の光が反射しているのだ。

 関口は『いつもの蒼ではない』と気がつくと、ざわざわとした不安に支配された。


 彼は関口をまっすぐに見つめたまま、小さい声で言った。


「関口。ここにいられないんだ。おれ、関口と一緒にいるような男じゃないんだ……」


 ここで初めて、彼の言葉の意味を知る。関口のくすぶっていた不安が、一気に吹き出す。


 一体。彼の身になにが起こったのだろうか?


 いくら考えても関口は、その答えを持ち合わせてはいなかった。







 — 第一曲 了 —

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