第16話 暴力はぜったいにいけません!?

 「後悔先に立たず」って、田舎のおばあちゃんも言っていた。


 やってしまったことの重大さは、終わってから気づくものである。

 児童会役員選挙に向けた金曜日の公開演説会。そこでわたしが放った今川くんへのドロップキックは、わたしが思っていた以上に、大きな問題となって洛和小学校全体に波紋を広げた。

 いじめみたいな今川くんの悪質な野次に正義の鉄槌を下したつもりだったんだけれど、それは軽率な行動だったみたいだ。


「――木春菊さん。先生はちょっと残念だったわ。……生徒の民主主義に基づく自治を押し進める児童会。その児童会役員選挙戦のスタートを切る演説会で、いきなりの暴力沙汰だなんて」

「……ごめんなさい」


 月曜日、わたしは一人、職員室に呼び出されて、児童会顧問の和以貴子先生からお説教を受けていた。土曜日と日曜日を挟んで、問題が大きくなっていることはなんとなく理解していた。休日の間に何回か自宅にも電話がかかってきて、お母さんにまで「あんた何したの?」って困ったような顔で聞かれた。

 我が家はどちらかといえば放任主義で、何か問題があっても基本的には子どもの意思を尊重してくれる。だからそこまで怒られたりはしなかったけれど、お母さんとお父さんが真剣な顔で話し合ったりしていて、それを見るにつけ「心配をかけちゃっているなぁ」と、申し訳なく思ったりもした。


 面談室に先生と二人っきり。貴子先生は、職員室に入るなり他の先生方に白い目で見られたわたしを、奥の面談室へと通してくれた。

 わたしは、今川くんとのトラブルは「ただの子ども同士の言い合いから発展した喧嘩」ってくらいに思っていたんだけれど、――全然違った。それが「児童会役員選挙」という場であったことが、ものすごく重要な意味を持っていたようだ。

 いまさら悔やんでも仕方ないけれど……。時間を戻せるならば、わたしはドロップキックを取り消したい。本当に。切実に。


「あらためて話しておこうと思うけどね、木春菊さん。児童会みたいな話し合いに基づいて色々決めていくことや、投票による選挙っていうのはね、歴史を振り返っても、権力による横暴や、暴力により支配を克服するために、みんなが一生懸命作ってきた仕組みなのよ。それが民主主義。まだ、難しいかもしれないけどね。だから選挙と暴力っていうのは、あなたたちが目指すべき児童会と、本来『真逆の存在』なの」

「――真逆の存在……」


 貴子先生は「そう」と頷いて続ける。


「だからね、木春菊さん。児童会長や副会長を目指すあなたたちは、誰よりも暴力を許さない存在であって欲しいの。自ら暴力を振るうなんてもってのほか」

「はい……。すみませんでした……」


 ぐうの音も出ない。きっと全面的にわたしが悪いのだ。

 もちろん今川くんのあの物言いは駄目だと思う。でも暴力を振るってしまったのはわたしなのだ。それについての言い訳は――一切できない。


「あの……、わたし、どうすれば良いんでしょうか? 何か……ペナルティとか……」


 わたしが心配そうに言うと、貴子先生は深くため息をついた。


「先生方にもこの件を重く見る人が多くてね。明日、職員会議が開かれることになりました。処分はそこで決まるわ」

「――処分……ですか? たとえばどんな……?」

「そうね。残念だけど、場合によってはあなたと、連帯責任で織田くんの立候補の取り消しもあり得ると思うわ。残念だけど……」


 立候補の取り消し。つまり、戦う前に敗北確定ということ? 三人で、あんなに一緒に頑張ろうって誓ったのに! あんなに一生懸命、みんなで公約について考えたのに! それが全部無駄になっちゃうんだ。わたしの軽率な行動のせいで! だめ……泣きそう。


「今川くんは……どうなるんですか?」

「そうね。暴力に関して彼は被害者だけど、『言葉の暴力』っていう意味では彼が先に手を出したんだもんね……。本当に明日の職員会議の結果次第なんだけれど……。場合によっては喧嘩両成敗の意味もあって、彼にも立候補取り消しがあるかもしれないわ」


 そう言って貴子先生は、本当に残念そうに眉を寄せた。

 今川くんのことは好きじゃない。選挙だって負けたくない。だから、今川くんなんて落選しちゃえばいいと思っていた。……でも、なんだろう。立候補取り消し? そんな終わり方は嫌だ! ちゃんと選挙で戦いたい! 選挙で戦って勝ちたいっ!


「先生……。わたし、どうすればいいですか!? わたし、このまま終わりたくはないです……」


 先生は深くため息をつくと、慰めるみたいな笑顔を浮かべた。


「先生も職員会議で、あなたが反省していたってことと、児童会役員選挙にやっぱり挑戦したいって言っていたこと、ちゃんと説明してくるから。待っていて。明日、結果が出たら、伝えるからね」

「――はい」


 わたしはそう答えるしかなかった。


 職員室から出たわたし。教室に戻ろうとしたところを呼び止められた。隣のクラス――6年1組の教室から出てきた黒い髪の少女――式部紫さんに。


「木春菊さん。ちょっと良いかしら」

「式部さん……」


 わたしは恥ずかしかった。今は、この人に会いたくなかった。


「金曜日のこと、いろいろ大変だったみたいね――」


 彼女の言葉は変わらず優しくて、理知的だった。

 でもその声は図書室で話したあの日に比べて、なんだかずっと冷たく感じた。


「――でも、残念だったわ。木春菊さん。こんなことを言いたくはないのだけれど。わたしはあなたのことを買いかぶっていたみたい。結局、あなたは民主主義の意味も、児童会の意味も分かっていなかったのね」


 ヴァイオレットさまは毅然と立っていた。わたしに目を細めながら。


「本当はどこかでわたくし、あなたがわたくしのライバルになってくださることを期待していたのかもしれませんの。――今はしっかり反省して。そして、もし、選挙戦に復帰してくることがあるなら、その時は心を入れ替えて、ああいう行動で神聖な児童会の場を汚さないようにしてくださることを祈りますわ」


 落ち着いた声で、わたしにそういうと「それでは、ごきげんよう」と式部さんは背を向けた。わたしはただその背中に「ごめんなさい」を言うことしかできなかった。


 教室に戻ったわたしを、メイちゃんと織田くんが迎えてくれた。


「どうだった? サッチー。貴子先生は何て?」


 織田くんの机までたどり着くと、メイちゃんも近づいてきた。

 わたしは先生に言われたことを二人に伝えた。そして、明日の職員会議次第では、わたしたちの立候補取り消しもありえるってことも。


「そっかー。もしかしたら、とは思っていたけれど。そういう可能性も出てきたんだねぇ……」


 メイちゃんがため息をつく。


「ごめんね、ごめんね、ごめんね。わたしのせいで……。せっかくみんなで一緒に頑張ろうって決めて、『公約』だって作ったのに……!」


 だめだ。なんだか情けなくて泣きそうだ。


「サッチー、謝らないで。だって、サッチーは僕のために怒ってくれたんでしょ? だったら僕はサッチーのことを責められないよ」


 織田くんが優しくわたしに話しかける。


「私だって味方。何があっても、私はサッチーの味方だからね」


 メイちゃんがわたしの頭を、なでなでしてくれる。


「メイちゃん〜、織田くん〜」


 親友二人の優しさが嬉しくて、わたしはまた別の涙を流しそうになった。


 その日、新聞部によって恒例のアンケートが採られた。児童会役員選挙で当選してほしい候補についてのアンケート。いわゆる「予備選」だ。

 そして次の日、その結果が廊下にある掲示板に壁新聞として掲載されたのだった。


 1位 式部紫 178票

 2位 今川一騎 48票

 3位 織田呉羽 14票


 圧倒的票数で式部さんが一位を取る中。6年2組のクラス票すら固められず、わたしたちのチームは最下位に沈んだ。


 職員会議の結果を待つまでもなく、わたしたちの敗退は決まったも同然だった。

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