魔法少女AFTER

黒周ダイスケ

#1 ぜんぶ覚えている。

 なぜ私が選ばれたのだろう。


 あの日、全てが変わってしまった。突然社会から……この世界から切り離され、地獄に投げ込まれた日。


 そして私は帰ってきた。帰ってくることができた。帰りたくても帰れなかった子達を差し置いて。“自分なんかが”帰ってきて良かったのだろうか? と自問しても、もちろん答えは出ない。永遠に答えは出ない。出してくれる人もいない。ましてや他人も答えてくれない。誰も共感などできない。鋭い刃が肉にめり込む感覚。骨が折れる手応え。ごぼごぼと血を吐きながら「かえりたい」と呟いたあの子。首を絞められ、物言わぬ骸と化したあの子。そんな叫びを一体どれくらい聞いただろうか。

 自分以外に、あの地獄を誰が理解できる?


 わたしがころした。


 夢に出るたび、断末魔の悲鳴と共に、彼女たちは自分に怨嗟の言葉を囁く。何でお前が。お前なんかが。あたしだって帰りたかったのに。ゆるさない。おまえをゆるさない。死ね。死ぬより辛い目に遭え。一生背負っていけ。不幸になれ。しあわせになどさせるものか。


 あんたの余生に、呪いあれ。


―――


「ヨウコ?」


 母親の呼ぶ声で飛び起きた。


 冷房のタイマーが切れていたらしい。

 部屋は蒸し暑く、湿ったシャツやシーツは肌に張り付き、不快極まりない。

「朝ご飯よ。起きられる?」

「うん」

「冷房つけておかないと、熱中症になるわよ」

「うん」

「じゃあ降りていらっしゃい。もう出来てるから。今日、監察局の人と会うんでしょう」

 うわの空でヨウコが応えると、母親はリモコンでもう一度冷房をつけ、静かに部屋の扉を閉めて出て行った。


 そうか。今日は面談の日だっけ。


 湿った衣服を脱ぎ捨て、タンスから新しいシャツを出す。母親の手で丁寧に洗濯された清潔なシャツ。

 それにしても、とヨウコは自室の扉を見やる。母親が洗濯をして、そして毎日朝ご飯を作ってくれているなんて、何の冗談だろうか。子供の頃も、中学に上がってからも、暖かい朝ご飯はおろか弁当ひとつ作ってくれることなど無かったのに。

 あの日から母親は勤めを辞め、専業主婦になった。ヨウコの元に振り込まれる“手当”のおかげだ。多くはなくとも毎月充分な額が入ってくる。共働きをする必要もなくなった。自分がいれば。自分が家にさえいれば。だから母親も手厚く振る舞ってくれるのだろう。

 まるで別世界のようだと彼女は嘲う。一年ぶりに帰ってきたら、からっと家族の態度が変わっていたのだから。


 あれから絶えず自問してきた。

 ここは、本当に現実なのだろうか?


―――


 午前十一時。


 最寄り駅から二駅。駅を出て、大通りから外れ、歩いて少し。

 待ち合わせ場所の喫茶店に入ると、マスターが無言でドアの看板を『CLOSE』にする。ここは“面談”の場としてたびたび貸し切りにされる、特別な喫茶店。

 監察局とのいつもの面談。これを定期的にこなすのがヨウコの数少ない“予定”であり、手当が支給される条件。

 どうせ形だけの面談。いつも通りだけど。


 だがヨウコの予想は思わぬ形で裏切られる。


 奥の席に、見慣れない人間がいた。

 いつもの、メガネをかけた臆病そうな女性ではない。代わりにそこにいたのは、ふてぶてしい態度をしたワイシャツ姿の男。年の頃はヨウコの父親と同じくらいだろうか、瞼の下がった細い目の奥に光は少なく、こちらを見るなり無表情のままスッと手を上げる。男のテーブルには半分ほど飲みかけたアイスココアと、十本ほど吸い殻の盛られた灰皿。

「あの」

 ヨウコが訝しげな口調で口を開く。

「監察局の人、ですか」

 男はシャツのポケットからすり切れた名刺入れを出し、一枚を片手で差し出す。


『元魔法少女 予後監察局 西東京担当局員 / 毒島 茂雄』


「……ど、どく……」

「ブスジマです。前の人が来られなくなっちゃったんで、今日から担当になります」

 そんなこと聞いてない、と言いかける。


「よろしくね」

 フラットで抑揚のない、それでいてこちらを重く圧するような、そんな声。


 ヨウコの目の前に、マスターが無言でアイスコーヒーを差し出す。


「あ、オレ、アイスココア、おかわりで」


―――


 昭和が終わり、平成も半ば、21世紀を迎えた頃、日本でとある現象が発生した。


 ニ年に一度、日本全国から16、17歳までの少女を対象とした集団消失。

 たった一日の間に、全国規模で少女達が消えた。その数、きっかり百人。


 初めて事象が起きた時、ヨウコはまだ1歳だった。犯罪か拉致か何かのカルトか、様々な憶測やゴシップが流れ、謎の集団失踪事件として世間は騒然とした――と、当時を知る人間からは聞いている。警察の大規模な捜索にもかかわらず、失踪した少女達は一人残らず戻ってはこなかった。


 そして事態が急変したのは、ちょうどその一年後。

 失踪した少女達のうち、二十五人……つまり、四分の一が帰ってきた。


―――


「ヨウコちゃんは第八回の帰還者、でよかったんだよね」

 ずぞぞぞぞ、とアイスココアを啜った後、ブスジマは手帳に書き込む。

「はい」

「じゃ、あれからちょうど一年か」

「あの」

「うん」

「前の……コニシさん、どうしたんですか」

「ああコニちゃんね。いきなりやめちゃったの。だからオレ……あー、自分が代わりになったの」

 先月会った時はいつも通りだった。そんなことあるんだろうか。

「引き継ぎとか、なかったんですか」

「引き継ぎ? まあ、あったような気もするし、なかったような気もするなあ」

 まるで要領を得ない。一瞬、監察局を騙る偽物かとも浮かんだが、名刺はおそらく本物だ。そもそもこの喫茶店に入ることもできないはず。ヨウコは警戒を解かず、一定の距離を保ちつつブスジマを見やる。

「どうしたの」

「いえ」

 目が合う。生気に欠けた瞳。表情の読めない男。

「あの。面談、しないんですか」

 手元に置かれたアイスコーヒーの氷が、からん、と鳴る。

「面談。ああそう、面談ね」

「……」

「ヨウコちゃん、最近どうなの」

「どうって」

 心底興味もない、という問いかけだった。

「特に。何も」

「あ、そう」

 沈黙の時間が流れる。ふと目をそらす。喫茶店のマスターはカウンターの隅の椅子に腰掛け、文庫本を読んでいる。

 前担当だったコニシは情緒的な女性で、会うたびにメンタルケアだのなんだのと色々な理論を持ち出してくる“仕事熱心”な人間だった。ブスジマとは真逆だ。おそらく例え引き継ぎがされていたとしても、この男は一切参考にはしなかっただろう、とヨウコは思う。

 ブスジマは口を開くことなく、こちらをじっと見つめている。そこに感じるのは圧迫感ではない。ただ見ているだけ。何の感情もなく、ただ、こちらを。

 やがて彼はテーブルの上のライターを左手で弄びはじめ、煙草に火をつけた。

「そういえばさ、ヨウコちゃん」

 紫煙をくゆらしながら、ブスジマが手帳の間から一枚の写真を取り出す。不自然に切り取られた写真には、一人の少女が写っている。

「この子、知らない?」

「いえ」

 ヨウコは即答した。

「あ、そう」

 ブスジマが写真をしまう。


「まあいいや。今日はこれで終わろっか。ヨウコちゃんもお腹すいたでしょ。だから次はまた今度にしようよ」

「……」


「じゃ、よろしくね」


―――


 からん、とドアのベルが鳴り、ヨウコは喫茶店を後にした。


 残ったのはブスジマとマスターの二人だけ。ヨウコが去った後もなお、店内は静寂を保ったまま。

 ブスジマはもう一度写真の切り抜きを取り出す。そしておもむろに財布を出し、そこからもう一枚の切り抜きを出す。ふたつを重ね合わせる。符丁のようにふたつはぴったりと合い、一枚の写真ができあがる。そこに写るのは少女と肩を並べる男――ブスジマの姿。彼はしばらくそれを眺め、煙草を揉み消してから再びそれぞれをあるべき場所にしまった。


「マスター。オレも腹減っちゃった。サンドイッチもらえる?」


―――


 ヨウコは帰りの電車に乗り、窓際に立って外を眺める。

 その顔はこわばっていた。もちろん、ブスジマの存在も気になってはいる。表情の読めない、石のような存在感の男。だが理由はもう一つある。ブスジマに差し出された切り抜きに写る少女――あの子は。


 どうしてわたしをころすの。

 家に帰りたいだけなのに。

 いきができない。

 おねがい。ころさないで。この悪魔。

 ひとごろし。


 見覚えがない、はずもない。そんなわけはない。

 殺した少女の顔はぜんぶ覚えている。

 手すりを握る指に力がこもる。


 あの子は、私が殺した子の一人だ。


―――


 あの日。“第一回”の際に帰ってきた二十五人の少女達は、世間に驚きをもって迎えられた。だが帰還後、二十五人のうち六人は一週間以内に自ら命を絶った。


一人は遺書を残していた。

『私が死ねば良かった。私はあの子たちの代わりになれない。あの子達の命を奪った罪を一生背負っては生きていけない。だからごめんなさい』


 間もなく、他の少女達も異常を来しだしていた。


 ある日、別の一人(仮にAとする)が家族相手に傷害事件を起こし、警察に逮捕された。かつて失踪する前は家族思いの良い子だった、とAの母親は語っていた。母親は包丁で腕を切りつけられ、全治2週間の怪我を負った。それでも母親はAを信じていた。何かの間違いではないかと。


 警察の調べに、Aは発狂するわけでもなく、いたって冷静にこう応えた。


『殺さないと生きられないって、頭の中で声がしたんです。目の前にいる人達を殺さなくちゃって。それがあの一年間の地獄から、殺し合いから抜け出すたった一つの方法――“魔法少女”の役目を果たすこと――だから』


 言うやいなや、彼女は自らの手首にかかった手錠を引きちぎり、警官数人を尋常ならざる力で押し倒し、逃走し――後日、潜伏先のネットカフェで命を絶っていた。Aは自らの首を自分の腕力で引きちぎり、死んでいたという。


―――


 精神的、そして身体的に異常を来した失踪帰還者達。

 やがて調べにより次第に明らかになっていく彼女たちを――世間はこう呼ぶようになる。


 “元魔法少女”と。


―――


 ヨウコは電車を降り、よたよたと力なく駅の階段を降りていく。降りた後の車内、彼女の握っていた手すりは、異常な力でほんの少しだけ変形していた。


 ヨウコ。十八歳。元魔法少女。“第八回”生き残りのうちの一人。

 かつて“バイスフィンガー”と呼ばれた少女。


―――


 二年に一度、少女が消える。一億二千万の人口のうち、百人が消える。そして四分の一が帰ってくる。ただそれだけだ。それしきのことで、この日常は大きく変わらない。昔も今も。

 選ばれた百人を除いては。


 どこかで誰か。


 それらは、まだ続いている。

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