天の川をはさんで

 新宿駅前に、場違いなペンギンのオブジェがある。


 可愛くデフォルメされたそのペンギンは若者に大人気で、そのオブジェは有名な待ち合わせスポットになっている。


 どこぞの犬のオブジェやら、東京には有名な待ち合わせスポットというのは数多く存在するが、そういうのは俺には関係の無い話だと思っていた。


 何故なら待ち合わせというのは一人では出来ないからだ。





 俺はペンギンのオブジェのすぐ側の壁の、丁度日陰になっている所に背中を預け、スマホを確認した。


 時計は午前十時を示していた。待ち合わせ三十分前。予定通りだ。


 当たり前だが、待たせるよりは待った方がいい。時間に間に合えばいいという考えは俺にはなく、待ち合わせの時は極力相手より先に到着していたいと思っている。


 そして鳥沢さんは、恐らく待ち合わせの二十分前には来るだろうと俺は予想していた。

 初めてプライベートで会った時、俺たちは同じく新宿駅前で待ち合わせをしたが、俺はその日、二十分前に到着していた。

 そして俺が到着して五分後に鳥沢さんがやってきた。つまり待ち合わせ十五分前だ。


 鳥沢さんの頭には「俺が十五分以上前に来ている」という印象が残っているはず。今回はそれより前に来るだろうというのが俺の予想の根拠だ。


「……いたちごっこだな、これじゃ」


 鳥沢さんより前に来たい俺と、俺を待たせたくない鳥沢さん。待ち合わせをすればするほど両者の目覚まし時計が早くなることは明確で、それはとても無駄なことに感じられた。


「次はその辺も話し合うか……」


 独りごちて、当たり前のようにまた次があると思っている自分に気が付いた。女の子と休日に会うことに「特別」を感じなくなっている自分を認め、思わず苦笑いする。

 ……この二ヶ月、俺の生活は驚くほど様変わりした。色褪せていた俺の人生が、急激に色彩を取り戻したようだった。


 菜々実ちゃんに、栗坂さんに、神楽さんに、鳥沢さん。


 あんなに綺麗で可愛らしい女性と立て続けに仲良くなる機会なんて、おそらくもう二度とないだろう。俗に言う「モテ期」というやつが到来しているのかもしれない。少なくとも嫌われてはいないというのは、女性経験の薄い俺でも何となくは分かるのだ。


 ただそれで付き合えるのか、脈があるのかと言われると、それはそれで全く分からないのだった。それを判断するには、悲しいほどに経験が不足していた。


 俺が思うのは、女性に少し優しくされて自分に気があると勘違いしてしまう、通称「勘違い男」にはなりたくないなということだ。それは常々思っている。


 それに、好きだという確信が持てない人と付き合うのは、それは違う気がするのだ。


 菜々実ちゃんに膝枕した時。


 神楽さんが抱きついてきた時。


 鳥沢さんが手を覆い被せてきた時。


 ドキッとした。たしかにドキッとはしたが……それが「好き」という感情なのかと問われれば、俺はよく分からなかった。

 仮にもしそうだとするならば、俺はとても恋多き男ではないか。

 チョロいにも程がある。


 なんだかそれは肉欲が先行しているような気がして、俺はそんな自分に強い嫌悪感を覚えた。


 もし仮に誰かを好きになるとしても……それは肉欲、つまりは性欲とはかけ離れた所からであって欲しい。

 童貞臭いと思われるかもしれないが、俺はそう考えている。


 だからもし仮に…………本当に仮にの話だが、俺が誰かに告白されたとしたら……俺は真剣にその子のことを考えたいと思う。俺には高嶺の花だからこそ、安易に首を縦に振らずに、本当にその子のことが好きなのかを、自分の心にしっかりと確認したいと思う。

 まあ、無い話だと思うが。


「…………あれ」


 昨日ぶりのか細い声が耳朶を打ち、俺は顔を上げる。


 爽やかな空色のワンピースに身を包んだ鳥沢さんが、驚いた表情で俺を見ていた。


「こんにちは、鳥沢さん」


 鳥沢さんはすぐに顔を引締め直すと、小走りで駆け寄ってきた。


「…………私の方が……早いと思ったのに……」


「あはは、女の子に「ごめん、待った?」って聞かれるのが夢でね。待ち合わせ相手より早く来ることにしてるんだ」


 気を使わせたい訳でもないから冗談で場を流すことにした。が、鳥沢さんはそれを聞いて何かを考え込んでいる。


 やがて胸に手を当てた鳥沢さんが、俺を上目遣いに見る。頬を赤らめながら口を開いた。


「…………えっと…………ごめん……待った……?」


「…………おお……」


 俺は感動に打ち震えていた。リア充のみが行うことが出来る伝説のやり取り「ごめん、待った?」「ううん、今来たところだよ」。まさか俺が実際にすることになろうとは。それもこんな可愛い女の子と。俺は今日という日を一生忘れないだろう。


「…………えっと……何か、言って下さい……」


 我に返ると鳥沢さんが恥ずかしそうに俯いている。

 あまりの衝撃についつい返答が遅れてしまった。


「ううん、今来たところだよ。じゃあ行こっか」


 俺は今、伝説になった。





 俺が今回デートスポットに選んだのは、プラネタリウムだった。


 勝手なイメージだが鳥沢さんは暑いところが苦手そうだし、言うまでもなく人混みも苦手だろう。となるとこの夏という季節、大半のデートスポットは選択肢から外れる。

 俺のほとんどない女性経験から導き出された結論は水族館かプラネタリウムの二択になり、なんとなくイメージにあっていそうなプラネタリウムを選択したのだ。これを伝えたところ鳥沢さんは楽しみにしていそうだったし、いい選択が出来たんじゃないだろうか。


 俺達は電車で数駅移動し、プラネタリウム施設が入っている商業施設に到着した。

 スマートにチケットを購入し、一枚を鳥沢さんに手渡す。鳥沢さんは躊躇っていたが、譲るつもりのない俺を見ておずおずとチケットを受け取った。少し強引だったかもしれないが、これくらいはしてもいいだろう。


 入場すると、やや肌寒いくらいの冷風が肌を撫でていく。客入りは半分程度と言ったところ。プラネタリウム業界のことはよく分からないが、よく入っている方ではないだろうか。


 空いている箇所を見つけ、2人並んで腰を下ろす。


「寒くない?」


「……えっと……はい。大丈夫です」


 入口でブランケットを借りられると案内に書いてあったが必要ないか。


 鳥沢さんと話しながらしばらく待っていると、放送が流れゆっくりと照明が消えていく。


 プラネタリウムに来るのなんて何時ぶりだろうか。子供の頃に一度来たような気がする。それ以来だから……少なくとも十年以上振りだ。

 まさかこの歳になって来ることになるとは思わなかった。


 一人では絶対に行くことはない。

 そういう場所にも、二人でなら来ることもあるんだな。





『東の空に浮かぶ三角形。綺麗な直角三角形をしているこの星々は、夏の大三角と呼ばれています。一番明るいこの星は……こと座のベガ。そしてその右下にあるこの星が、わし座のアルタイル。この星達は別名『織姫』と『彦星』とも呼ばれ、七夕伝説では一年に一度、二人の間に架かる天の川を越え再会を果たすと言われています』


 落ち着いた女性の声で紡がれるナレーションが、会場にしっとりと染み込んでいく。


 七夕伝説。


 織姫と彦星。


「…………」


 私はそっと横目で流し見る。


 お互いに肘掛けに乗せた手が、ほんの少しの隙間を挟んで…………まるで天の川に分け隔てられた織姫と彦星みたいで。


 私の手にはまだ、昨日触れた岡さんの手の感触が、消えぬ熱のように残っている。


 もしこの手が織姫と彦星だとするならば。次に会えるのはまた一年後。


 ……一年後というのが、何とも奥手な私らしくて、妙に腑に落ちてしまう。


 私は一年後、岡さんと手を繋げているだろうか。


 そんなことを思いながら、私は星空を見上げている。

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