岡千早の動揺
「鳥沢さんって、実家暮らしだったんだね」
「…………そうですね。生まれも育ちも、ここです」
エムエムを起動させながら、何となく話を振ってみる。
俺は有名なバーチャル配信者は皆高級マンションに住んでいると思っていた。まあ沢山稼いでいるだろうし、防犯面とか防音とか考えたらそういう所に住むのかなって。事実神楽さんは高級タワーマンションに住んでいた。
だから教えられた住所を調べたら一軒家が出てきた時はびっくりしたし、実際に行ってみたら一目で「お金持ちなんだな」と分かるくらい大きな家の、これまた大きな門に埋め込まれた立派な表札に『鳥沢』と書かれていて、そこで初めて「有名なバーチャル配信者も実家で暮らしてることもあるんだなあ」としみじみ思った。
「バーチャル配信者って皆マンションに住んでるものだと思ってたよ」
俺の言葉に鳥沢さんは考え込むように顎に手を当てた。文学少女のような雰囲気にそのポーズが妙にマッチしていた。
「…………えっと、バーチャリアルの方は、マンションに住んでる人……多いです。……ありすちゃんとか……あと姫もそうだったはず、です」
姫もなんだ、と言いかけてギリギリで踏み留まる。鳥沢さんには俺が神楽さんの家に行ったことを言っていなかった。余計なことは言わない方がいいだろう。
「…………そうなんだ。やっぱり多いんだね」
「…………そういえば。岡さんは……ありすちゃんの家に……行った……んですよね?」
「…………えっ?」
心臓をきゅっと掴まれたような錯覚に陥る。
「……ありすちゃんに、聞いたんです。…………仲がいい、って」
…………なんだか、責められているような気がする。
思わず鳥沢さんの方を振り向くと、鳥沢さんはぷいと顔を背けてしまう。
「……急に……見ないで……ください。恥ずかしい……ので……」
「ああ……うん、ごめん。神楽さんとは確かによく遊んでる。家に行ったこともあるよ。でも普通にゲームしてるだけだから」
俺は何故か彼女に女友達との遊びを糾弾される彼氏のような言い訳をしていた。
確かに隠してはいたが、それは余計な疑いを掛けられないようにする為で、何もやましい事はないはずなのだが。
「神楽さんは友達だよ。鳥沢さんと同じ」
「…………友、達……」
「うん」
鳥沢さんは俺の言葉を噛み締めるように繰り返した。
「私は……岡さんと……お友達、なのでしょうか」
家にお呼ばれしているから、少なくとも友達ではあると思ったんだが違っただろうか。
確かに繋がりだけでいえばまだ知り合い程度ではある。もしかしたらいきなり家に誘った俺はかなりデリカシーが無かったかもしれない。反省すべきか。
「俺はそう思ってるけど……ごめん、もしかして馴れ馴れしかったかな?」
「あ、いえ! …………ただ、嬉しかった……ので。友達とか……あまり、いませんから」
鳥沢さんは恥ずかしそうに俯く。
「そっか、良かった。じゃあこれから友達としてよろしくね」
「…………は、はい……!」
鳥沢さんの声と重なるように、モニターから爆発音が響く。「うるさい」とネットで大不評のエムエムの起動音だ。
モニターに向き直り、俺のアカウントでログインする。今日は俺にとっても貴重な機会だ。上達して菜々実ちゃんや神楽さんを驚かせてやろう。
「とりあえず普通にプレイすればいいかな?」
「…………えっと、はい。まずはそれで……」
「了解。難しいかもしれないけど、遠慮せず悪い所はズバズバ言ってくれていいから。その方が上達出来ると思うし」
カジュアルマッチを選択し、ゲームが始まった。
ゲーム序盤はとにかく武器やアイテム集めが大切だ。出来るだけ敵がいないような場所に行き、極力戦闘を避けるのが大切だと菜々実ちゃんに教わった。
が、毎回上手くいくわけではない。序盤から接敵してしまうことも多々あるのがこのゲームだ。
「やばっ、被っちゃった」
序盤から敵と接敵することを「被る」という。このゲームは一般的なバトルロワイアルゲームと同じようにゲームが開始すると上空からマップの好きな地点に飛び降りるのだが、その飛び降りる位置が敵と「被る」と序盤から接敵する羽目になるのだ。
被ると近くにあった武器が強い方が勝つという運の勝負になりやすい。まずはこの「被り」を減らすのが上位のランクに行く最低条件だと菜々実ちゃんは言っていた。
被ってしまったものは仕方がない。俺は近くにあったハンドガンを装備すると、目の前にいる敵に向かって攻撃を仕掛けた。
「…………マジか!」
俺の攻撃に反応して相手が撃ち返してくる。なんと相手が持っていたのはアサルトライフルだった。到底ハンドガンで勝てる武器ではない。俺はあっけなくやられてしまった。
「……やっぱり被るとダメだなあ」
被らない様にマップに降りるのも立派なスキルだ。ちゃんと練習しないとダメか。
俺がもう一度ゲームを開始しようとすると、鳥沢さんが声を上げた。
「…………あの。もしかしたら……感度があっていないかも……」
「感度?」
感度というのは、マウスをどれだけ動かしたらキャラの視点がどれだけ動くかという設定の事だ。高感度だとマウスを数ミリ動かしただけで視点が大きく動くし、逆に低感度だと精密な操作が可能になる。どちらにもメリットがあり、これといった正解はなく完全に好みによるとされている。
「……はい。エイムがあっていなさそうだったので………一回訓練場に行ってもらってもいいですか……?」
「訓練場? 了解」
訓練場というのは、一人用の練習モードだ。全ての武器とアイテムが準備されていて、色々な大きさや動きの的相手に射撃の練習が出来る。上手い人は毎日ここで練習するらしい。つまらないから俺はほとんどやったことがなかった。
「……じゃあ、まずはあそこの的を……撃ってみてください」
鳥沢さんが示した的は二十メートルほどの距離の的だった。この距離なら七割くらいは当てられるはずだ。
お気に入りのサブマシンガンを装備すると的に向かって弾を撃ち込んでいく。調子が良くて八割以上当てることが出来た。
「よし。めっちゃ当たった気がする」
俺は得意になって鳥沢さんを見たが、鳥沢さんはモニターを難しい顔で見つめていた。
「…………岡さん。まずは……この距離を全弾当てられるようになりましょう」
「ええっ!? 全弾!?」
銃を撃つゲームのほとんどにはリコイルというものが存在する。簡単に言うと銃の反動だ。ほぼ全ての銃は撃っていると勝手に照準が上に行ってしまう。おそらく本物の銃もそうなんだろう。マウスを操作してそれを抑えることをリコイル制御といい、これの出来具合で弾がどれだけ当たるかが決まるのだ。因みに完璧に抑えることはめちゃくちゃ難しい。
「……はい。リコイル制御が……あまり出来ていない様に思えたので……」
痛い所を突いてくる。確かに俺はほとんどリコイル制御の練習をしたことはない。だってつまらないんだ。リコイル制御の練習は的に向かってひたすら銃を撃つだけなのだ。だから俺はいつも雰囲気で制御している。
まあ、上手くなるためにはいつかはやらないといけないとは分かっていた。今日はいい機会かもしれない。
「確かにリコイル制御はあまり得意じゃないんだ。練習したことがなくて」
「……なるほど。練習したらすぐ当たるようになりますよ」
鳥沢さんは柔らかな笑みを浮かべた。
やはり鳥沢さんはエムエムが絡むとリラックス出来るみたいだ。気付いているかは分からないが、喋りもかなり流暢になっている。このやり方は正解だったみたいだな。俺もエムエム上手くなれるし一石二鳥だ。
「……岡さんは、そのサブマシンガンがお好きなのですか……?」
「うーん、そうだね。よく使うかも」
俺が持っているのはサブマシンガンの中で一番強いと言われているものだった。サブマシンガンというのは基本的に近距離で使うものだが、この銃は中距離でもかなり強くてこれ一丁で色々な場面を戦うことが出来る。菜々実ちゃんに初心者おすすめ武器と教わってからよく使うようになった。
「……では、まずはその武器のリコイルパターンを覚えてみましょう」
リコイルパターンというのは、銃の反動の軌道のことだ。銃によって様々に設定されていて、ただ上にいくだけではなく左右にブレたりする。理論上はこのリコイルパターンの丁度反対の動きをすれば完璧にリコイル制御をすることが出来る。
俺は鳥沢さんに言われるがままリコイルパターンを覚えた。
この銃はこういう反動になっていたんだな。よく使うのに知らなかった。
リコイルパターンを覚えたら、あとはひたすら的に銃を撃つだけだ。パターンの丁度反対になるようにマウスを動かしていく。
が、上手くいかない。鳥沢さんに言われ感度を変更してみたり他の設定を弄ったりしたが、どうにも難しい。当たり前だがそう簡単に習得出来るものではないのかもしれない。
「うーん、難しいなあ」
リコイル制御はマウスの一ミリほどの繊細な動きの中の話なので、感覚を掴むしかない。鳥沢さんも特に言えることがなく困っているようだった。
「せめて一回感覚を掴めればなあ」
俺が何の気なしにぼやくと、悩んでいた鳥沢さんが何かを決心したように小さく頷いた。
「…………失礼します……!」
鳥沢さんのか細い手が、マウスを握る俺の手の上に重ねられた。ひんやりとして柔らかい感触が右手を包む。
「え、えっと、鳥沢さん!?」
「わっ、わたしが動かすので……岡さんは感覚を掴んでください!」
鳥沢さんを見ると、もう太陽みたいに真っ赤になっていた。真っ白な肌が「人間ってこんなに赤くなるんだ」と少し冷静になってしまうくらい紅潮している。
「わ、わかった」
鳥沢さんがマウスをゆっくりと動かしていく。もぞもぞと不思議な感触がして、くすぐったい。
弾は綺麗に全弾的を撃ち抜いた。
「ど、どうですか? ……掴めましたか……?」
「う、うん。な、なんとなくは」
嘘だ。
鳥沢さんの手の感触に意識が行き過ぎて、全然分からなかった。
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