これはデートですか?
確かに俺は現代版世捨て人のような生活をしているが、だからといってこおりちゃん以外のことはどうでもいい、と考えているわけではない。
その証拠がこの紺色のサマージャケットだ。
普段ならTシャツにハーフパンツという姿で外出するところを、今日はその上からジャケットを羽織っている。俺の一張羅。
人と出かける時の最低限の身嗜み、というやつだ。周りの目を気にするくらいの人間性は俺にも残っている。少なくともこれで一緒に歩く木崎さんまで笑われることは無いだろう。そう信じたい。
一応財布に二人分のお金を詰め、俺は玄関を出た。時刻は午後六時五十分。六月の生温い風が肌を撫でていく。
木崎さんが住んでいる高級マンションへは徒歩一分だ。この時間に出ても七時に遅れる道理はない。
その証拠に時計が五十三分を示す頃にはマンションへ着い…………あれ?
木崎さんが住んでいる高級マンションの前に誰かがいる。薄暗くてはっきりとは分からないが、あれは木崎さんじゃないか?
記憶の中の木崎さんと、今見えている女の子が同じか照合しようと試みたが、そもそも木崎さんのディティールをそこまで覚えていないことに気付く。めちゃくちゃ可愛かったことだけは記憶に残っているんだが。
十メートルほどまで近付き、女の子の細部が明らかになる。
黒いキャップを被り、「分かる人には分かります」といった風情の謎の油絵がプリントされたビッグサイズのTシャツが上半身から太腿の中程まですっぽりと覆っている。
一瞬下を履いてないように見えてぎょっとしたが、よく見たらTシャツに隠れてデニムのショートパンツを履いていた。
足元には白いスニーカー。
こういうのはなんと言うんだろうか。ストリート系?
確証はないが状況的に恐らくあの子が木崎さんだろう。
あまり見るべきじゃないのは分かるが、すらっと伸びた健康的な生足がめちゃくちゃ目に毒だ。嫌でも目を惹く。意識しないとつい目が行ってしまいそうだ。
イカンイカン。俺はそんなつもりで助けたのではないし、木崎さんもそんなつもりで俺を誘った訳では無いだろう。気持ちを切り替えろ。
女の子はそわそわと周りを見回していたが、俺の姿を発見すると小走りで近寄ってきた。
そのままガバッと頭を下げられる。帽子が落ちそうになって慌てて押さえていた。
「あのっ! 今日はよろしくお願いします!」
「木崎さん。ごめん、待たせちゃったかな」
「いえっ、今来たところなので!」
「そっか。なら良かった」
女の子はやはり木崎さんだった。
ところで何だこのやり取りは。まさか俺の人生で「今来たところです」を聞くことになるとは思わなかった。俺は小さな感動に内心打ち震えた。
「それじゃあ早速行こうか。と言っても俺は目的地を知らないんだけど」
「あっ、そ、そういえば言ってなかったですね! 今日は焼肉をご馳走させて頂ければと! ……思って、マス」
何故かさっきから慌てふためいている木崎さんの顔をまじまじとみる。相変わらずというか、とても整った顔立ちをしていた。
俺のようなどこにでもいるモブみたいな男がこんな可愛い子を連れてたら職質されたりしないか?
俺は結構本気で不安になった。
などと考えていると木崎さんと思いっきり目が合った。アイドルみたいに大きな瞳に視線が吸い込まれる。
目が合うと木崎さんは物凄い勢いで視線を逸らしてしまった。
「あ、あのあの……なん、デス、カ? なにか、おかしい所……ありますか…………?」
見れば顔が耳まで真っ赤になっていた。目が四方八方をキョロキョロしている。
しまった。ついつい見過ぎてしまった。
ほとんど初対面に近い異性に顔をガン見されたら嫌にもなるよな。俺は慌てて顔を逸らした。
「ごめん。いきなり顔をジロジロ見られて嫌だったよな。木崎さんが可愛くてつい見てしまったんだ。本当にごめん」
「かっ、かわッ!?」
何だこの釈明は。意図しない形でキザったらしいナンパみたいなことを言ってしまった。
「ああ、ごめん! ちょっと変な言い方になってしまった。深い意図はないから気にしないで欲しい」
「……はぁーっ…………ふぅーーっ……」
木崎さんは思い切り手を上下させ深呼吸をしていた。
「えっと……大丈夫……?」
何だかさっきから挙動不審だ。もしかして体調でも悪いんだろうか。
「だっ、大丈夫です! ちょっと思わぬ攻撃を食らっただけですから!」
攻撃……?
何を言ってるのかよく分からないが、とりあえず体調不良でないなら良かった。
「ほっ、ほら! 行きましょう!」
木崎さんが駅に続く方角を指指して歩き出す。ウイーン、ウイーンという擬音が聞こえてきそうなほどぎこちない歩き方だった。
もしかして木崎さんは見かけによらず面白い系のなのか?
俺は小走りで木崎さんに追いつくと車道側に並んだ。
別に彼女でもデートでもないが、女性には優しくしろと親に教わっているからな。
◆
ろくに会話も弾まないままたどり着いたのは駅前にあるファミリー焼肉だった。
木崎さんが「予約していた木崎です」と店員に告げ、個室に案内される。
へえ、この店行ったこと無かったけど個室なのか。珍しいな。
突然なんだが焼肉屋って一人で入りにくくないか?
肉を食べたいと思うことは多々あるんだがどうも尻込みしてしまうんだよな。気軽に誘えるような友達も東京には居ないし。
そういう訳で焼肉屋に来るのは結構久しぶりで、俺は内心テンションが上がっていた。鼻腔をくすぐるタレの匂いにお腹が「早く食わせろ」と騒ぎ出す。
俺達は四人がけの席に向かい合って座った。
木崎さんは相変わらず目の動きでトンボでも捕まえようとしてるのかといった様子であちこちに視線をさ迷わせている。もしこれがアニメだったら目が渦巻きで表現されているところだ。
「えっと……とりあえず適当に頼もっか」
「そっ、そうですね! 食べ放題で予約してるので好きなの頼んじゃってください!」
そういうと木崎さんは注文用パネルをずずいと押し出してくる。
食べ放題か。それならあまり気を遣わなくて済みそうだな。
「じゃあ適当に頼んじゃうね。食べれないものとかある? ご飯いる?」
「えっと……レバー以外ならとりあえずは………ご飯は……じゃあ…………お願い……します……」
「了解」
俺は適当に二、三注文するとパネルを充電器に戻した。
戻した所で、沈黙が訪れる。
木崎さんはラミ加工されたフェア商品のお知らせに目を落としているが、目の滑り様からロクに見ていないのは明らかだ。
さっきからの変な態度は、俺が思うに緊張しているんだろう。
よく知らない異性と個室に二人きりという状況は、若い女の子ならかなりプレッシャーを感じるはずだ。
これきりの関係とはいえ、ここは年上の俺が話しやすい空気を作るべきだろう。
「木崎さん」
「ひゃいッ!?」
俺の声に木崎さんはビクッと身体を震わせる。やっぱり緊張しているんだな。
「自己紹介とかしない? 俺達、名前以外何も知らないしさ」
「あ、そ、そうですね! しましょう!」
木崎さんがガバッと上半身を乗り出してくる。決して小さくない胸が強調され、Tシャツにプリントされた油絵を歪ませた。俺はあまりの光景に咄嗟に視線を外した。
「じゃあまずは俺から。名前は
「む……エムエムですか」
「知ってる?」
「はい。私もやってるので」
木崎さんは怪しげな表情でブツブツ言いながら何やら考え込んでいた。
「じゃあ次。木崎さんどうぞ」
俺の声に木崎さんが現実に帰ってくる。
「あ、えーっと……
木崎さんはそこで詰まると何故か俺の顔を上目遣いでチラチラと覗き込んでくる。
どうしたんだろうか。
「……えーっと……好きなものは……! ち、ちはっ」『お待たせしましたー! 牛ハラミ二人前とライスと特製サラダでーす』
ノック音と共に個室のドアが開き、店員が商品をテーブルに並べ始めた。
うおおおおおぉおおおおお!!!!
久しぶりの肉!!!!
肉だ!!!!
呼応するように胃袋がぎゅるるると雄叫びを上げた。
……はっ!?
いかん、つい肉に意識を取られてしまった。
「ごめん、最後の方被って聞こえなかった」
「あ、ああああ! すす、好きなものはゲームです……」
木崎さんは何故か縮こまってしまった。顔から湯気が出んばかりに頬が紅潮している。人前が苦手なんだろうか。
これまでの短い時間で、木崎さんが恥ずかしがり屋だということは何となく察することが出来た。
俺が話しかけやすい雰囲気を出せていないのかもしれない。折角なら楽しく食べたいし、やんわりと話しかけてみよう。
「あっ! サラダ取り分けます!」
木崎さんはバッと体を起こすとテキパキとサラダを取り分け始めた。
「ありがとう」
俺はサラダを取り分ける木崎さんをつい眺めてしまう。
……やっぱりめちゃくちゃ可愛いんだよな。さっき来た店員もチラチラと木崎さんを見ていたし。
考え方によってはこれは物凄いチャンスなんじゃなかろうか。こんな可愛い子と二人きりでご飯を食べるなんて経験は俺の人生においてもう二度と訪れないだろう。
ただなあ。
こんな可愛い子が俺に惚れるなんて事は天地がひっくり返ってもありえないだろうし、それを置いといても、そもそも俺にそういう欲求があまり無いんだよな。
彼女が欲しいとか、そういうの。
正直こおりちゃんがいればそれでいい。
こう思ってしまうのは結構ヤバいんだろうか。まあヤバいんだろうな。でもそうなんだから仕方ない。
「はい、どうぞ!」
木崎さんが笑顔でサラダを差し出してくる。俺はお礼を言いながらそれを受け取った。
人体の吸収効率的に、焼肉屋に来た時は最初にサラダを食べた方がいいらしい。最初に食べた方が多く栄養が吸収されると聞いたことがある。
だがそんなの関係ない。俺は肉が好きなんだ。
「よし、肉焼くか」
久しぶりのお肉にヨダレが出そうになる。
がっつき過ぎだって?
うるせえ。腹減ってんだこっちは。
◆
はー食べた食べた。
流石にテンション上げすぎたか。お腹が結構苦しい。
木崎さんも緊張が解れたのか、最終的にご飯を二杯も食べていた。会話も最初よりは弾むようになった。やっぱり一緒にご飯を食べるのって仲良くなる最高のツールなんだな。俺はそう実感した。
「えっと……本当にいいの? 奢ってもらっちゃって」
向こうがお礼だからと言っているとはいえ、一応払うつもりはある。こういうのは社会人のマナーなのだ。
「はい、大丈夫です。今日はお礼なのでご馳走させて下さい」
「そういうことなら、ご馳走になります」
俺は財布をしまった。無駄だと思うかもしれないがこういうやり取りが社会人の間では多く行われている。
「もう会うこともないかもしれないけど、楽しかった。本当にありがとう」
「えっ……!?」
俺の言葉に木崎さんは悲しげに顔を歪ませた。
予想外の反応に俺は慌てる。木崎さんは可愛いし、恋愛絡みの警戒心も高いだろうから、こっちから連絡する気は無いよ、好きになったりはしてないよと安心させるために言ったつもりなんだが何か間違っただろうか。
「…………もう会ってくれないんですか……?」
木崎さんが上目遣いに俺を見てくる。その目には涙が浮かんでいた。
「え、いや、え……? 嫌じゃないの?」
待て待て待て待て。何故ここで泣く!?
この反応は俺の常識に無いぞ。何が起きてる。
「嫌じゃないです! …………私、千早さんとお友達になりたいです」
お友達?
マジか。
こんな面白みもない人間と友達になりたいと思う人がこの世にいたのか。しかも異性で。
一瞬何か騙されてるんじゃないかと警戒心が首をもたげるが、すぐにかき消す。そういうのでは無いことくらい、今日接していて分かった。
騙される人は皆そう思っているのかもしれないが。
「木崎さんが嫌じゃないなら、是非」
そう言うと、木崎さんがぱぁ……と表情をほころばせる。
俺としても友達が出来るのは大歓迎だ。上京してからというものこっちで誰かと遊んだ記憶がないくらいには友達がいないからな。
「菜々実です」
「えっ?」
「菜々実って呼んでください。私ばっかり下の名前で呼んでるじゃないですか」
流石にそれは俺もちょっと恥ずかしいんだが。しかし木崎さんの真剣な表情を見たら、断れる雰囲気では無さそうだと察せた。
「えっと、じゃあ…………菜々実……ちゃん」
「はいっ!」
菜々実ちゃんは今日一番の、向日葵みたいな笑顔で笑った。
現実の恋愛にはあまり興味はないが、そのあまりの可愛さに、ちょっとドキッとしたのは内緒だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます