夏夢戯画

水無月ハル

ーーーーー

 何にもない、ただの暗闇の中で僕はまた、俯き座っている。

 陽炎のように朧げな赤い炎が、いくつもゆら揺らぎ、僕の頭の上で輪っかを作り幻想的に踊る。

 パッと消えた瞬間、水の揺らぐ音と塩っけを含んだべたつく風が、僕の元へと誘いかけてくる。

 変にくぼんだように感じる膝になんとか力を入れ、僕はよろよろと立ち上がりそちらへ向かう。

 長い暗闇の果てに見えた、目をつんざく光の先には、ただ青い空と白い雲が広がっていた。

 僕の足首くらいしかない、どこまでも続く大きな水たまりは、広い空を鮮明に写し込んでいた。

 いや、むしろどっちが空で水たまりで、どっちの僕が水たまりに写った不安定な僕なのか…


―――…■□**□■#■,〆□□▲▽…:


 清々しいほどに青白な世界は、どこか混沌としていて寂しげで、心踊った。

 右を向くと遠くに、ボロい屋根付きの、無機質なコンクリートの電車のホームが、ポツンと立っていた。

 足元の水の中を見ると、よく磨かれた銀色に輝く線路があった。

 僕は線路をたどってそのホームへと進む。

 線路は遠目でもキラギラと光り、水の羽衣と太陽の宝石を身にまとい、どうだと言わんばかりに自慢をしてくる。

 だから僕は、線路を強く踏んで歩いてやる。

 空を見上げれば、青が少し侵食した白金の太陽が、地上にいる僕を干からびさせようと頑張っている。

 でも、僕は白金よりも赤がいい。赤の方がかっこいい。


ーー☆"/*〒^= 💧…


 ジワリとにじむ汗は、僕の黒いシャツをさらに黒くする。

 ちょっと喉が渇いたので、柔らかくて透明な足元の水を、すくって飲んでみる。変な味がした。匂いは海みたいなのに、苦くて甘かった。…ちょっぴり酸っぱい。

 変な味に顔をしかめながら進み駅のホームに着くと、ホームの日焼けした少しボロい木の椅子に、彼女はいた。

 不思議なくらいに白い肌を、雲のようにふわっとした真っ白なワンピースで包み、艶やかな赤のリボンがついた大きな白い帽子を、深くかぶった少女が座っていた。

 その少女は僕の存在に気がつくと、パッと向日葵のような笑顔を咲かせた。

 僕はその笑顔に頭をはじかれたように、いつもぽかんとしてしまっていた。あと、つい頬が熱くなった。

 ホーム横の階段を登り、君の隣に座った。

 何から話そうかと考えていると、僕の首に冷たい何かが突然触れた。

 冷たさに反射して隣を見ると、君は笑って、汗をかいたラムネの瓶を僕の頬に当ててきた。…ちょっとムッとした。

 ラムネの蓋を開けて、僕達はいっせーので、ラムネを渇いた喉に流した。

 ラムネの炭酸が喉の中で暴れ回り、花火のようにバチバチと弾けた。

 思わず僕達は溶けてしまった…。


 君はラムネの瓶を置き、僕に話をせがんだ。僕はわざとちょっとだけ焦らし、意地悪をして様子を見る。君は焦ったりちょっと落ち込んだりと表情を変え、鮮やかに色を変える万華鏡みたいでちょっと面白かった。

 ラムネのお返しだ。


ーー±\○.$☆❖■□@


 「夏の魔物が出てくる話」、「海のようなラムネのプールの話」、「雲の中のお祭りの話」……、

 君はどの話も目を輝かして聞いていた。

 僕が「空に憧れた赤い花の話」をし終えたあと、君はこういった。

   〝次は秋の話がいい!

     その次は冬、その次が春で

   また夏のお話がいいな〟


…ーー*#@,・


 〝もちろんだよ〟


 唇の端を噛みしめながら、バレないように笑顔を繕って僕がそう言うと、君は向日葵にも負けないほど輝かしい笑顔をした。

 そして、次はどんな話なのかと考えているようだった。


 …もちろんさ、いくらでも話そう。いくらでも話を作ろう。いくらでも夢を見させよう。いくらでも続けよう。

 フェアリーテイルが好きなお姫様の為に、僕はネバーランドのおかしな案内人になりきり、手を引いて魅せてあげよう……だから、お願いだから…………。


 君は椅子から立ち上がり、「もうすぐ夏が終わるね」と言った。


 …ひゅっと喉が鳴り、全身から血の気が引いた。

 咄嗟に立ち上がり手を伸ばしたが、細く白い腕は僕の手をギリギリですり抜け、君は線路の方へ駆け出してしまった。

 真っ白なワンピースをふわりとなびかせ、線路に思いっきり飛び出してしまった。

着地と共に大きな水しぶきと波紋を作り、すぐにこちらを振り返る。

 ラムネの瓶を宙へ放り投げ、目深に被っていた帽子を風に預ける。両手足をグンと伸ばし、体を後ろに傾け、小さな体いっぱいに太陽の光を受け止める。

 流れた艶やかな長い黒髪は、太陽の光が反射して小さなダイヤを幾つも生み出した。

 大きく跳ねた水しぶきは、夏いっぱいの香りを詰めて、君の周りで軽やかにダンスをする。

 真っ白なワンピースは、まるで天使の翼のようにふわりと広がった。

 投げられたラムネ瓶は宙で回り、蒼悲を含んだ鮮やかな青緑色を、一面に散りばめていた。

 君は白い肌を見せつけて、笑って言った。

「〝大好きだよ!〟」


…… .,_


 この時、この場所、この世界が、悔しいほどなによりも一番美しく、僕の目に写った。

 それはまるで、少しごちゃっとしているけれど、誰にも触れられないように詰め込んだ、大切な僕の船のようだった…。

 全てがスローモーションのように動き、鮮明で艶やかな万華鏡を覗き込んでいるように…神秘的だった。

 空に光る一等星に腹が立って、夜世が近づいてくるのを僕は睨みつけることしかできなかった。

 馬鹿みたいにがむしゃらに手を伸ばそうが、、赤いリボンは紅の鬼灯を咲かす。

 空は僕達よりも早く動き、藍の朝顔を空に落とし、自分が嫌になるくらいに美しい貝殻を散りばめる。


〝逝かないで…〟


 その言葉は虚しく電子音に溶け、時間は元に戻る。

 ゆっくりと迅速に…軽やかに重く……小さな体は大きく………


 あぁ、瓶が割れた……、


end…?

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夏夢戯画 水無月ハル @HaruMinaduki

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