第65話 「ミックスの醍醐味」
開幕のポイントを先制することに成功した日本ペアは、しかしブレークには至らなかった。続く第2、第3ゲームをお互いにキープし、ゲームカウントはイタリアが先行の2-1に。そして第4ゲームは鈴奈のサーブを迎える。
「あたしのサービスゲームが一番の肝だからサ。セイ、よろしくね」
鈴奈が口にした「セイ」という呼び名に、少しドキリとする
(いつもは「ひじリン」って呼ぶのになぁ)
試合中「咄嗟に声をかけることもあるから、互いの呼び名を決めておこう」と鈴奈から提案され、発声しやすいからという理由で聖は「セイ」、鈴奈は「スズ」ということになった。とはいえもっぱら指示を出すのは鈴奈で、聖が鈴奈の名前を呼ぶことは滅多にない。
(もし、ペアがハル姉だったら……)
聖はふと思い出す。昔、ハルナに言われるがままペアを組んでいたときのことを。ほろ苦い記憶ではあるが、大切な思い出でもある。もし、成長した今の聖がハルナと組むことができたなら、決して足を引っ張ることはないのではないか。
「うぉい!」
隣に座っていた鈴奈が、町中で因縁をつけるヤンキーのように肩をぶつけてくる。
「今、他のオンナのこと考えてたっしょ?」
ギクリとしながら、誤魔化すように首を横に振る聖。
「イエ、決シテ、ソンナコトハ」
「ウソ下手かよ。良いけどさ~、べっつに」
言いながら、ジト目で口を尖らせる鈴奈。
「ま、とにかく集中してね。大事な試合だから」
鈴奈の言うことはもっともだ。これは個人戦ではなく団体戦だし、自身の勝敗は個人のITFランキングの実績にも関わってくる。気を抜いているつもりはないが、試合前のやり取りがあったせいか、どこか緊張感が欠けているような気がした。聖は両頬をパチンと手のひらで叩いて意識を締め直し、立ち上がる。
「よし、やろう。スズ」
思い切ってそう呼んでみるが、視線は合わせられない。
「おっ? 頑張ろうね、セ・イ♪」
にま〜っと笑う鈴奈が、わざとらしく甘い声で呼び返す。
2人はグータッチを交わし、コートへ向かった。
★
「相手の2人、今回組むのが初めての試合なんだと。初々しいなあ~?」
水分補給しながら、グリードが気楽そうにいう。話を振られているウナーゾは、聞いているのかいないのか、ウンともスンとも返事をしない。座りながらも両足を小刻みに動かし、集中力を絶やさないようにしていた。
「オレ等もよお、なんだかんだ付き合い長いよなあ〜? 3年ぐらいかあ?」
返事をしないウナーゾを無視して話を続けるグリード。
「シングルスや男ダブ、女ダブも良いけどよお、やっぱテニスを楽しむならミックスが一番だよなあ。そりゃあ観る側は物足りないかもしんねぇけど? どうせなら観るだけじゃなくてテニスはやってこそだぜ。で、やるなら当然ミックスさ。知ってるか? テニスはもともと、貴族の社交場で流行った遊びなんだとよ。遊びだからよお、男も女も関係なく一緒に楽しめるのがテニスの主流だったワケ。今でも男女混合のミックスっていう文化が競技として残ってるのは、テニスが男女分け隔てなく参加できる遊びだったからさ。それこそ、大昔は男と女が同じコートで楽しんでたらしいじゃあねえか。こんなの、他のスポーツにはねえよなあ。男女参加が前提なんてよお。男と女が協力しあう、これぞミックスの醍醐味だぜ」
じょう舌に語るグリード。しかしウナーゾの表情は変わらない。
「オメェの専門が女ダブなのは知ってるが、ミックスもいいもんだろ? トリシャ」
「その呼び方はやめて。あんたにそれを許した覚えはない」
ピシャリと言い放つウナーゾ。グリードはまるでつまみ食いの手を叩かれたかのように、手のひらを向けて降参を示す。彼がウナーゾをおちょくっているわけではないのは、彼女も承知している。気負い過ぎている自分を宥めようと気を遣ってくれているのだ。だが、今の彼女にはまだ、その気遣いを素直に受け入れる余裕はない。
「悪かったよ。だが、そんな深刻そうなツラじゃ本当の
諭すようにいうグリードだが、ウナーゾは無感情な表情を崩さない。
「あの子が、私の心配をする? イタリア人である私と組んだせいで酷い目に遭ったあの子が? それはないね、絶対に」
吐き捨てるようにいって、ウナーゾは一人コートへと向かう。やれやれ、とグリードはベンチの背もたれに身体を預ける。何の気なしにイタリア勢のベンチに視線を向けると、こちらを真っ直ぐ見つめているリーダーのティッキーと目が合う。真剣な眼差しを向ける彼女に、グリードは大きな目をさらに見開き、おどけるようにニカッと笑ってみせた。
★
――マイアミで大会に参加する数週間前
「では問題。
「男性と女性がいて、身体的な能力にどうしても差が出る、ですか?」
「うん、まぁ正解。じゃあ、役割分担はどうするのがイイと思う?」
スポーツにおいて、男性と女性の肉体的能力差が顕著にあらわれるのはいうまでもない。無論、女性のなかにも突出して強いフィジカルを持ち、男性顔負けのプレーをする例外的な選手は存在する。だが一定のレベルを越えると、その例外さえ無くなる領域に至り、残酷なまでに肉体強度の差がプレースメントを左右してしまう。
「男性の方が筋力的に優れているわけだから、男性が攻撃、女性が守備?」
「ブブ~! 逆でぇ~す! ひじリン1ペナ~」
<ハイ残念、没シュート! マコト以下だなァてめェはッ!>
鈴奈に言われるならまだしも、便乗して煽ってくるアドに若干の鬱陶しさを覚える聖だが、表情には出さない。他人との会話の間にちょくちょくアドが茶々を入れてくるのにも、すっかり慣れてきた。
「確かに攻撃力のある男性が攻撃した方がポイントは獲れそうに思うし、実際その方が良い場面もあるよ。ただ、シングルスにも共通することだけど、半端な攻撃はカウンターの餌食。ダブルスは特にそう」
ミックスダブルスでは、相手ペアの女性を徹底的に狙うのが基本だと、鈴奈は最初に教えてくれた。勝負の世界なのだから、互いに弱点になり得る場所を攻めるのはセオリーだと聖も頭では分かる。だが、いざ練習でミックスの試合をしてみると、女性に甘くないボールを集めることへの心理的抵抗が意外なほどあった。
しかしハイレベルな選手同士が戦う以上、心を鬼にしなければならない。そもそも、男が相手なら打てるボールが、女相手だと打てないというのは女性に対する傲慢だと鈴奈は断言した。性別のことは忘れ、冷徹にダブルスの基本戦略である『2対1の状況』を作って戦うべきなのだ。
「あまりにもチャンス過ぎて逆にミスるっていうのは、まぁプロでもあることだけど。でもダブルスの前衛は、少しでも味方のボールが甘くなったら攻撃に備える。だから強い攻撃を仕掛けるのは、100%決め切れると確信したときだけ」
なるほど、と聖は頷く。
「そうなると、男性は攻撃に据えるよりも守備をさせた方が良いワケさ。身体能力を生かして攻撃できるシチュエーションを男性が作って、然るべきタイミングで女性がトドメを刺す。男が女を立てる、それがミックスのセオリー。つまり!」
鈴奈がずい、と聖のそばへにじり寄る。背の低い彼女が近くに寄ると、必然的に見下ろす形になり、そうなると視線の先には、彼女の顔と……。
「女性の活躍は、男性に懸かってるってコト。頼むよ? セ・イ♡」
★
ピストーラの放つ強烈なショットが、軌道を変えてコートに落ちる。一見するとアウトしそうな高い角度で打ち出されたボールが、強烈なスピン回転によって急激に落下し、バウンドして跳ね上がったあとも威力が衰えない。
(これは
強力な推進力と回転力という二つのエネルギーを同時に内包するエッグ・ボールを、聖はどうにか返球。幸いなことに、後衛であるお互いのポジションが正面のため、今はストレートの打ち合いとなっている。もしこれが
(オラオラ、ぬるい球打ってるとよお、巨乳ちゃん狙うまでもねぇぞお!?)
ピストーラはさらにテンポを上げ、エッグ・ボールを連撃。クロス方向はウナーゾがネット前にポジションし、割って入るチャンスを常に窺っている。聖は視界の端でそれを捉え、どうにか隙を与えないよう懸命に死守。
(このままじゃジリ貧だ、イチかバチか!)
ピストーラの猛攻に耐えきれず、聖はコースを変更。
コートの外側から
しかし――、
(来ると思った)
男性2人の打ち合いを横合いから虎視眈々と狙っていたウナーゾが、機敏に反応。聖のショットは、ピストーラのエッグ・ボールが持つ強力な回転でやや当たり損ね、コースこそ狙い通りだが大した攻撃にはならない。それをチャンスとみたウナーゾが鈴奈のボディへ向け、素早いタイミングでボレーを打った。
「わッ!」
身体をかわしながらどうにか返球を試みた鈴奈だったが、近距離にいる相手のボレーを正確にさばくことはできず、これをミス。このポイントを失ったことで、ゲームカウントがイタリア先行の4-3となった。
「すいません、スズさん」
チェンジコートのタイミングで、聖は謝罪を口にする。鈴奈のミスでポイントを失ったように見えるが、状況的には聖の判断ミスが招いてしまった結果なのは明らかだった。
「謝るの禁止~」
「っと、そうでした」
ミスしても謝らない、というのが2人の取り決めだった。謝ったところでどうにかなるものではないし、謝られたほうも許すよりほかない。反省や謝罪は試合のあと。謝って無かったことにするのは甘えだ、というがATCのコーチである
「厄介な球打ってくるねぇ。あれだとプレッシャーかけ難いったらないよ」
ピストーラの打つエッグ・ボールは打ち出しの軌道が高い。そしてネットを越えたあたりから急激に落下する。そのため、ネット前に詰めている鈴奈がピストーラに対してフェイントをかけても、大して効果が出ない。一方で相手の前衛であるウナーゾは背が高いため、ネット前で少し動くだけで聖に対しプレッシャーをかけることができる。ダブルスの攻防戦において、ボールを触っていないときの前衛の動きは非常に重要だ。その点において聖たち日本ペアはイタリアペアに劣っているといえた。
「胸じゃなくてさぁ、背が大きければ良かったね?」
鈴奈は自分で胸をむにむにしながらあっけらかんという。
「あの、めちゃくちゃコメントしにくいんですが」
「スズはそのままでも可愛いよ、っていいなサイ」
にっしっしと笑う鈴奈。こういう態度を取られると、もしかして本当に彼女は自分を、などという気がしてきてしまうから厄介だ。彼女は大体誰に対しても、いつもこうだというのに。
(アドじゃあるまいし……オレに気をつかってくれただけだ)
聖は鈴奈の振る舞いをそう解釈し、ゆるみかけた集中力を引き締める。
「あのボールは下がって打ったら相手の思うつぼな気がします。なのでちょっと難しいですけど、できるだけ
「真っ当だね。いいよ、それでいこ」
「よし」
鈴奈の同意を受け、聖は立ち上がる。だが鈴奈は座ったままだ。
「スズさん?」
「先にいって。シューズのヒモ、結び直すから」
「? はい」
促された聖は、ひとりコートへ向かう。
座ったままの体勢で、シューズのヒモに手を伸ばす鈴奈。途中、太ももに胸がつかえて手が止まる。いつもよりキツく固定したバストバンドのせいで、前屈がし辛い。鈴奈は身体を起こし、ハッ、と短く嘲り混じりの溜息を吐くと、
「ほんっと、邪魔だよ
誰にも聞こえない声でつぶやく鈴奈。
そこには、心底うんざりしたような、嫌悪と怨嗟の色が混じっていた。
続く
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