第54話 「情熱と冷静のバルカローラ」
国際ジュニア団体戦 大会2日目
予選リーグDブロック 第2試合 日本 VS イタリア
男子ダブルス
日本 :
イタリア:ロシュー・フルテット&ペーシェ・リーチ・ドイズ
日本対イタリアの試合は、メインスタジアムの次に大きなオープンスタジアムで行われる。会場は詰めかけた来場客によって満席で、試合開始を待つ彼らの熱気があふれ返るようだった。聖にはその興奮に満ちた空気が、まるで徐々に膨らんでいく風船みたいに思えて、ある種の異様さを感じてしまう。
(国際試合とはいえ、ジュニアの大会でこれだけ熱狂的な雰囲気になるのは、やっぱりこの大会が
会場を包むどこかバカ騒ぎじみた雰囲気に、白々しさを憶える聖。
「っしゃあ! まずはオレ等だッ!」
「景気よく白星上げてくっから待っとけ!」
そんな聖をよそに、威勢よく声を上げる
「おっと、
マサキがしゃくれた自分のアゴをさすりながら、スタジアムの上部に目を向けて満足そうに笑う。視線の先には、ホログラムで描かれた電光掲示板が宙に浮かぶように映し出されている。そこには、最初の試合に出場する日本とイタリアの選手それぞれ4人のプロフィールと、
「オッズって、低い方が人気あるってことだよね?」
確認するように聖が尋ねる。
「そ。んで、チームの勝ち負けに関係なく、個人で勝つと賞金が出る」
首を回しながらマサキが答え、金額は多くて20万だと付け加えた。
「賞金っていうか、ファイトマネーか? ま、チョロイもんよ」
「もらったらなに食おうかな」
「もう勝った気でいるし。相手も強そうだよ?」
すでに賞金を取った気でいるマサキとデカリョウに、ミヤビがイタリアチームのベンチに視線を向けていう。相手選手2人は、既にコートのうえで各々身体をほぐしながらスタンバイしている。上下黒いウエアを着た、長身で手足は長く、金髪をオールバックにした人相の悪い男と、パイナップルのような髪型をした、背は低いものの割とガッシリした身体つきで顔立ちのあまり整っているとは言い難い男。
<アニキとその子分、みてェな2人だな>
アドの相変わらずなあだ名の付け方に、思わず吹き出しそうになる聖。咳払いで誤魔化し、試合に出る2人とハイタッチして送り出す。
「んじゃあ行ってくるぜ!」
2人は勇ましく拳をあげ、マイアミの青い空の下にある戦場へ出陣していった。
★
「ギル、どうだ?」
イタリア側のベンチで、ティッキーが視線をコートに向けたままつぶやいた。
「異常なし。ま、今のところはだけどね」
オレンジ色のバンダナを頭に巻いたギルと呼ばれた少女は、気だるそうに携帯端末をいじくりながら応えた。右の手の平に収まっている端末の画面には、目の前のコートを取り囲む観客席が映っている。映像をチェックしながら、彼女は左手に隠し持ったコントローラーで端末に映像を送っているカメラを操作していた。
「しかしスゲーなこのドローン。マジで誰も気づいてないじゃん。ま、ハチぐらいの大きさの超小型ドローンなんて、誰もわかりゃしないか」
「盗聴器の件で観客に対するセキュリティレベルは上がったそうですね。本来予定の無かった持ち物チェックと、メインスタジアムでのみ行われる観客の本人確認が実施されたようです。完全には無理でも、かなりの抑止になったでしょう。ギル、ドローンの連続飛行時間は短い。試合が始まる前に、いったん戻してください」
「あいよ」
ジオにそういわれて、ギルは飛ばしているドローンを操作する。ドローンは本物のハチを思わせる軌道を描きながら、ゆっくりと降下を始めていく。コートの上では選手たちがウォーミングアップを終え、間もなく最初の試合が行われようとしていた。
「ゲスどもの横やり警戒するのはいいけどよお、肝心の試合は勝てんのかあ?」
赤いニットをかぶったグリードが、エラそうにふんぞり返った姿勢でいう。
「相手のスモウレスラー、噂じゃサーブの速度は220kmを越えるらしいぜ? しかも1stの確率が高くてコントロールもいいそうじゃあねえか。うちの2人も弱くはねえが、ダブルスでビッグサーバーを相手に勝つのは相当難しいぜえ」
対戦相手である日本のペアは、ヨーロッパの大会でも実績を残している日本ジュニアのトップ選手だ。とはいえまだ2人とも15歳という若いため、プレーに多少の波がある。しかしそれでも、彼らは昨年ドイツで行われた、プロ選手も出場する国際大会で優勝するだけの実力を持っているのだ。ペア歴も長く、信頼関係も厚い。早ければ年明け、遅くとも2年以内にはプロへ転向するだろう。今大会の男子ダブルスペアのなかでも、日本のペアは上位に位置する存在だ。
「確かに、ロシューとリーチがペアを組み始めたのは最近だし、大きな実績はない。だが、うちのメンバーで男子ダブルスをやらせるなら、あの2人以外にないだろう。特に、攻略の難しいビッグサーバーを相手にするなら、ロシューのようなやつが適している」
「ロシューがビッグサーバーを相手にするのに適してる? なんでだ?」
ドローンを回収したギルが、よくわからないといった表情を浮かべて疑問を口にする。ティッキーはコートで淡々とウォーミングアップを行う2人の仲間を見つめながら、落ち着いた声色で、しかし決然といった。
「あいつらを信じろ。それより、我々はあいつらに代わって警戒しなければならない。気を抜くんじゃあないぞ」
そして、コートでコイントスが行われ、最初の試合の幕が切って落とされた。
★
コイントスで最初のサーブを獲得したのは日本ペアだった。デカリョウがボールを受け取り、サーブのポジションにつく。会場がにわかに静まり返ると、デカリョウはおもむろにその巨体に似合わぬ軽やかさと、柔らかな仕草でトスを上げた。
そして――
爆発のような打球音が、コートに轟いた。
轟音が鳴り止むより早く、ボールはサービスボックスのなかへ着弾する。リターンを受けたロシューは、辛うじてボールを目で追うことはできたものの、身体は反応できなかった。サーブの速い選手は何人も知っているが、これほど質の高いサーブはロシューも初めて見る。
(あの身長で、高いトス。上から振り下ろし、叩きつけるサーブ。バウンドした後の失速率が尋常じゃないほど少ねぇ。なるほど、こりゃあ日本トップクラスってのも頷けるぜ)
続く2ポイント目も、サービスエースが決まる。ロシューと同じく、リーチもボールに触ることすらできなかった。サーブの速度を計測していたスピードガンの表示は、ゆうに200kmを越えている。3ポイント目はロシューがなんとかボールをラケットに当てるが返球にはいたらず、イタリア組は3連続で何もできずポイントを奪われた。そして迎えた最初の
「ロシュー兄ィすまねぇ、全然手も足も出なかったよ……」
最初のコートチェンジ。リーチは相手のサーブに触れもしなかったことをロシューに詫びる。強烈なサーブではあるが、2連続でノータッチエースを獲られるのはさすがにバツが悪かったようだ。謝ったところでどうしようもないと分かっていても、リーチは謝らずにいられなかった。
「気にするな。あのサーブをいきなりどうこうするのは無理だ。今のゲームは忘れろ、リーチ。それよりも、重要なのはこっちのサービスゲームだ。ビッグサーバーが相手である以上、簡単にブレイクを許すワケにはいかねぇ。まずは根競べだ。こっちも必ずキープするんだ。リーチ、見せてやれ。サーブは
ロシューの力強い言葉と、その瞳に宿る自分への信頼の眼差しを受けたリーチは、奥歯を噛み締めて頷く。そうだ、テニスはサーブの速さ比べではない。速けりゃ良いってもんじゃない。そのことを、連中に思い知らせてやるとリーチは固く決意した。
第2ゲーム
イタリアペア最初のサーブは、リーチが先に担当した。リターンサイドである日本ペアは、
デカリョウはサーブのポジションについたリーチの姿を観察する。コートにいる4人のなかで身長が一番低いのはリーチであったが、彼は2番目に背の低いマサキよりも胸板の厚みや筋肉量は優っているようだ。
ダブルスでは、ペアのうちサーブの優れている方が先にサーブを担当するのがセオリーだ。そのことを踏まえると、デカリョウは先に小柄なリーチがサーブポジションについたことが意外に思えた。体格が良ければサーブが強力になると言い切れるものではないが、やはり一般的に身長の高さは有利に働くことが多いのも事実。てっきり、あの目付きの悪いギャングのような男が打つのかと思っていた。
(まぁ、必ずしもサーブの良い方が先に打つって決まってるわけでもないか)
そう考えながら、リターン位置につくデカリョウ。ふわりとトスが上がって、直後にサーブが放たれた。さきほど自分が打ったときに会場へこだました打球音とは全く異なる、擦れるような乾いた、しかし鋭い音がボールより先にデカリョウの耳へ届く。
(
リーチの放ったサーブは、コートの上で鋭い三日月のような弧を描く軌道で飛来する。デカリョウから見て右手方向、
「上げたぞ!」
そう短く叫びながら、デカリョウはなんとか崩れた体勢のまま
「すんげ~曲がったな」
「あぁ、しかも相手前衛が左利きだから、体勢を立て直したばかりのデカリョウがちょうど守り難い場所へスマッシュ打たれちまった。サーブからの良いポイントパターンだった」
日本側のベンチで、
続く2ポイント目。リーチの放ったサーブは、最初のポイントで打ったサーブの軌道をまるで鏡映しにしたような綺麗な弧を描いた。その軌道のサーブが放たれた瞬間、リターンのマサキは内心で舌を巻いた。その鋭い軌道に対応しきれず、リターンをミスしてしまう。
(
通常、右利きのプレイヤーは身体の構造的に右から左に向かって曲がっていくサーブを打ちやすい。立ち位置が
だが、その逆となると話は変わる。右利きの者が
(リバース自体はごくたまに使うやついるけど、こいつ、ほぼ同じフォームで打ったぞ。打つ直前にラケット面の向きを変えたのか? 手首の柔軟性と肩甲骨の可動域、どうなってやがんだよ)
相手の見事なサービスエースに驚きを隠せないマサキ。ペアであるデカリョウが、スピードとパワーを武器にした頼もしいビッグサーバーだとするならば、相手のリーチという選手は回転とコントロールを武器にした、実にやらしい
「上等だぜ」
マサキが好戦的な笑みを浮かべていると、デカリョウが歩み寄ってくる。
「やるねぇ、相手」
「あぁ、面白くなりそうだな」
口元を隠しながら、2人はこそこそと言葉を交わす。ポイントは先行されたが、相手のスタイルは今の2ポイントで確認できた。こうなると、あのクセのあるサーブを攻略するには、いかに相手の思考を読んで狙いを見抜けるかどうかにかかっている。
コートの反対側では、こちらも同じようにロシューとリーチが口元を隠しながら2人で額を寄せ合うようにして会話をしている。相手が何を考え、どう対応し、そして反撃に転じるか。考えられるケースを想定し、攻撃パターンを予測する。
「根競べだぜ、リーチ。根競べだ」
「あぁ、そうだねロシュー兄ぃ。でもブレイクはどうするんだい? やっぱり狙うならあの小さい方のサービスゲームだよね」
正直言って、リーチにはデカリョウのサービスゲームをブレイクできるイメージが沸かない。こういう言い方をするとロシューは怒るだろうが、デカリョウのサービスゲームは捨ててしまう方が賢明だ。今の自分たちに、あのサーブを攻略する手札はハッキリ言ってないだろう。だが、ロシューは鋭い眼つきをリーチに向けていった。
「なにいってやがるリーチ。ブレイクするなら、あの
「え、えぇ!? 本気ですかい!?」
「うるせぇ、今はキープに集中しろ。話はそれからだ」
そういってロシューはポジションへ戻る。てっきり、今のうちからマサキにボールを集めて彼の傾向を分析するフェーズに入るものばかりだと思っていた。事前の調べで彼が優れたボレーヤーなのは分かっている。反面、サーブはそれほど脅威ではなかったはずだ。とはいえ、それはデカリョウのサーブが凄すぎて目立たないだけで、マサキのサーブのプレースメントが悪いというわけではない。だが、付け入る隙があるとすればマサキの方のはずである。しかしロシューはそれを否定し、狙うならデカリョウの方だといった。
(何か秘策でもあるんかな? よし、今はとにかくキープに集中するんだ)
考えることをいったん保留し、リーチは気持ちを切り替えてサーブのポジションにつく。相手のリターン位置はさきほどと変わらず。だが、身体の開き具合がやや外に向いている。さきほど外に追い出したサーブを意識している証拠だ。
(図体のわりに、左右は動けるんだなスモウレスラー。なら、こういうのはどうだい?)
リーチはトスを上げると、まるで釣り竿でも放るようなフォームでサーブを打つ。先ほどよりも更にボールを打つ時の音は小さく、またそれ以上に短い軌道をボールが弧を描く。
(ヤロウ!)
自分が外に追い出されたサーブと、マサキが受けたリバースを見ていたデカリョウは、相手のリーチが回転とコントロールを得意とするプレイヤーだということは見抜いていた。とすれば、先ほどと同じように
しかし、リーチの打ったサーブはそのどれとも違った。山なりのサーブだったが、ネットを越えるよりも前に最頂点を終え、ひゅるひゅると力なく飛んで来る。ボールはギリギリのところでネットを越え、サービスライン付近に立つ前衛のマサキよりもネットに近い位置でバウンドする。
それも、絶妙に
続く第4ポイント。
マサキはいったん奪われた3ポイントのこと全てを忘れ、リーチの挙動、サーブのフォームをよく観察することにした。トスが上がり、膝を沈めるリーチ。ラケットの角度、身体の向き、トスの位置、ほぼ全てが先ほどと同一。この男、見かけによらずとんだクセ者だ。そうマサキが思った直後、マサキが想定していたタイミングよりも早く、リーチのラケットが加速する。
(マジか!)
リーチは自分で放り上げたボールが
驚異的な反射神経で、マサキは辛うじてボールをリターンするが、またしても前衛であるロシューに捕まり、ボレーを決められてポイントを失った。まるでやり返すかのように、イタリアペアもサーブ4球でサービスゲームをキープしてみせた。
「これで前後左右、それから高低自在に打ち分けられる選手だってのが分かったな。しかも、スイングフォームからコースを見極めるのがかなり難しい。こうなると、たぶん隠し球としてもっと速いフラット、アンダーサーブ、もしかすると
コートの真ん中に集まると、マサキが口元を隠しながら自分の考えをデカリョウに伝える。サーブで相手を崩し、作ったチャンスを前衛が決めるというダブルスの王道パターンを見事に実現している。それはマサキとデカリョウが得意としているスタイルでもあり、このスタイル同士が戦うことになると、必然的に試合の流れを決める要点が明確になる。それは、すなわち。
「根競べだな」
「あぁ、根競べだ」
2人は、パチンと力強い音を立ててハイタッチする。
「崩れるなよ?」
「オマエこそ」
互いに挑発するかのように言ってポジションへつく。試合はまだ序盤だが、コートの上にいる4人の表情は例外なく集中に満ちている。全員、身体の底から熱いものが込み上げてくるようでありながら、思考は冴え澄み渡っている。僅かな油断さえ見逃すまい、幽かな動揺さえ感じさすまいとする彼らの心根には、情熱の炎と冷静の氷雨が同舟していた。
続く
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