第22話 「三つ巴の攻防」
■男子ダブルス
奏芽がサーブのモーションに入ろうとすると、対戦相手のスゲがサービスボックス手前で変顔をしているのが目に入った。少しでも相手の集中力を削る作戦なのだろうが、残念なことにそういう行為は立派な
小賢しい中学生が考えそうな手だと、奏芽は苦笑いを浮かべる。決勝戦とはいえ
教育的指導の意味を込めてきちんと対処しようかとも思ったが、結局、奏芽は指摘すらせずにそのままサーブを打った。圧倒的な実力差を埋める為の、彼等なりの涙ぐましい努力だと好意的に評価した……などというわけではなく、シンプルに面倒臭かっただけだ。
強い
「オーケイ、ナイスボレー」
「いいね、ナイスサーブ」
サーブで崩し、チャンスを作ってペアが決める。ダブルスとしては理想的な形でポイントを決めると、
「ごめんスゲ君!」
「いいって、返せてるよ! 次行こう!」
中学生ペアも失点はしたが、2人とも前向きに励まし合う。試合が始まってからここまで殆ど良いところのないスゲ・ヤベだが、元の性格なのか相性が良いのか、暗い雰囲気になる気配は無い。相手は格上で負けてもともとなのだから、気後れしたり吞まれることも無いのだろう。
ゲームカウントは
奏芽は見た目こそロックスターやヴィジュアル系バンドのように派手な格好をしているが、その性格は実に冷静沈着で慎重だ。また、複雑な家庭環境に起因する幼い頃の経験から、普段の言動にはやや刺々しいところがあり、斜に構えたような態度で人を見下すきらいがある。だが打ち解けるまでに時間が掛かる一方で、心を許した相手にはとことん深く関わろうとする義に厚いところを持ち合わせている。
(杞憂だったか?)
滅多に起こらない偶然が
(聖じゃあるまいし、神なんざ信じちゃねぇ。だがまぁ、流石に警戒し過ぎか?)
対戦相手の中坊2人は、中学生にしてはそこそこ基本が出来ているように思う。だが技術的な部分もそうだし、更に言えば精神的な未成熟さがかなり目立つ。典型的な、
比較的レベルの高い連中が集まる試合であることは知っていたが、それでも普通に考えてマサキ・デカリョウが負けることなどそうそうあるものではない。だが、現実として
相手2人は何か策を用意している気配も無いし、このままならストレートで勝てるだろう、奏芽がそういう風に考えていた時だった。コートチェンジのタイミングで、ペアのブンが中坊2人をおちょくる様に言った。
「どうした~?このまま美味しくベーグル頂いちゃうぜ~?」
ブン、マサキ、デカリョウの3人は幼馴染で付き合いは長い。そして対戦相手の2人は後輩で、彼らとの付き合いもそこそこ長いらしい。そういう背景を考えれば、試合中であってもこの程度の軽口は言い合える仲なのだろう。ブンの軽いおちょくりに対し、ボウズ頭のスゲも余裕の笑みを見せながら応戦した。
「参ったなぁ、
先輩の軽口に生意気な後輩が煽り返した。交わされた言葉だけを聞けば、その程度の些細なじゃれつき合いだと思える。だが、その場の空気の明らかな変質に、奏芽はすぐさま気が付いた。
てっきり何か言い返すかと思ったブンが、無言のままだ。
そんなブンを横目に、ニヤニヤと笑いながら先にコートへ入っていく中坊2人。
――何だ?
今の一言で、空気が変わった。
「ブン?」
彼は答えない。
一瞬、彼の肩が見間違いかと思うくらい微かに震えているように見えた。
不意に2人の間を、天気の割に冷えた風が吹き抜ける。
奏芽の頭の中で静かに、だが確かに、
★
■女子ダブルス
桐澤雪乃・桐澤雪菜 VS
(強い! まるで隙が無い!)
彩葉は対戦相手との実力差を痛感していた。桐澤姉妹の連携力は実に見事だった。一卵性双生児ゆえの完全に瓜二つな外見、統一されたウェア、息の合ったコンビネーション、そして何よりも、2人とも
2対2のダブルスのはずが、まるで2対4で戦っているかのような錯覚さえ覚えるほどだ。要所でいつの間にかラケットの持ち手を変えてくるせいで、ボールの軌道に慣れることができない。そもそもが質の高いプレーをしてくる上にそんなトリッキーな真似をされてしまったら、テニス歴3年程度の彩葉と鏡花ではまるで歯が立たない。
実力差があることは重々承知していた。最初に戦ったギャルみたいな2人にも、その後で戦った社会人のペアにもコテンパンにやられて今日は1ゲームも獲れていない。それでも、前2つの試合ではちょっとくらい、ほんの数本ではあったけど、良いプレーが出来たのだ。自分たちの成長を実感できたし、きっと頑張ればいつかは手が届きそうな予感がした。
だが、この2人は別次元だ。才能も、努力も、経験も、何もかもが圧倒的。もう少し何か出来るはずだと自惚れていた自分が恥ずかしくなるぐらい、話にならない。知っていた。分かっていた。凄く強い相手と戦うことは覚悟していた。だけど、心のどこかで何かを期待していた。
甘かった。
こんなどうしようもない相手と戦うというのに、何か出来る気でいた自分が恥ずかしい。試合内容的にも、どうやら対戦相手2人は自分に標的を定めているような気配がある。先ほどから彩葉がボールを打つ回数が多く、その度にミスを連発している。
強いショットで一撃に仕留められるのではない。緩急をつけ、わざとボールに追いつかせ、ノータッチエースよりもこちらのミスを誘う展開で
殴られ、蹴られ、地面に這いつくばらせた相手の頭を踏みつけて、とどめを刺さずにひたすら嬲る。相手にそういう屈辱を与えるような、酷く嗜虐的なプレー。圧倒的に強いクセに、どうしてこの2人はこんな戦い方をするんだろう?
初めは悔しくて何としても返してやると必死に抵抗したが、彩葉の足掻きを嘲笑うかのようにいとも簡単に相手の術中にハマってしまう。体力が削られていき、次第に悔しさは焦りに、焦りは惨めさに変わっていった。
試合開始から15分も経たぬ間に、5ゲームを連取された。
転がったボールを取りに行った彩葉は、そこで立ち尽くしてしまう。
ミスを重ねる度、最初にあった戦意はどんどん
代わりに、心の奥底で閉じ込めていた惨めさが徐々に膨らんでいくのを感じる。
――
不意に、とっくに払拭したはずの、名前の
劣等感と、惨めさ、相手の戦い方に感じる理不尽さ、そういう色々なものが混ざり合って彩葉の胸は張り裂けそうになった。自分自身の何もかもが否定されているようで、今にも心が折れてしまいそうだった。
「彩葉ちゃん、大丈夫?」
ペアである鏡花の優しい声が、絶望の底にいるような気分の彩葉に届く。
今にも泣き崩れそうだった彩葉の手を、鏡花がそっと握る。
「しっかりして。彩葉ちゃんが諦めたら、私、一人じゃ戦えない」
握った手に力を込めて、そう励ます鏡花。だが、いくらなんでも相手が強すぎる。分かっていたことではあるが、ここまで実力に差があると諦めたくもなる。何せ、相手は日本最高峰のテニスアカデミーに所属する最強の女子ダブルスペアなのだ。
「でも……私たちじゃあの最強ペアには手も足も……」
「彩葉ちゃんがいないと困るの。ねぇ、貴女の名前は?」
「え?」
唐突な質問に戸惑う彩葉。しかし鏡花は、優しい眼差しで問い掛ける。
「名前、自分の名前を言ってみて」
「五味……彩葉」
「うん、じゃあ、私は?」
お互いの名前を聞くこのやり取り。
自分の名前に
自分と彼女の名前が並ばないよう、可能な限り関わり合いになりたくなかった。しかし彩葉の思いとは裏腹に、鏡花は彩葉と積極的に関わろうとしてきた。2人の名前の特性を笑いのネタにしてやろうと、卑怯にも彩葉が怒るか怒らないかのギリギリのラインで度胸試しするようにちょっかいをかけてくる連中がいたにも関わらず、鏡花は気にせず彩葉と親しくなろうと話しかけてきた。
鏡花はいつだって堂々と振舞っていた。気品に溢れ、優雅で、常に余裕があって。その自信に満ちた彼女の振る舞いは、彩葉とは大違いだった。始めこそ
――貴女、
――あんたは、
「鏡花」
大切な宝物を扱うように、その名前を呟く。
名前を呼ばれて、嬉しそうにほほ笑む鏡花。つられて、彩葉も目を細める。
「私たちは」
「彩葉と、鏡花で」
――さいきょう、だよね。
内緒話をするように、コソコソとささやき合う2人。
「ふふ、ばっかみたい。あのバカ2人に影響されちゃって」
「ほんと、だっさいね。でも、ホントのことだもんね」
互いにクスクス笑い合うと、自然と暗い気持ちは晴れていった。
そうだ、私たちは。
「さ、まだ終わってないよ」
瞳に強い意志の光を灯した鏡花が言う。
「うん、やろう」
辛うじて零れなかった涙を拭い、晴れ晴れとした表情で彩葉が答える。
今はまだ蕾の2人。
互いに手を取り合って、一緒に力強く、前を向いた。
★
■
能条蓮司・雪咲雅 VS 東雲挑夢・月詠夜明
「オオォォルァァッ!!」
挑夢の咆哮と共に繰り出された強烈なストレートは、ミヤビの守備範囲へ目掛けて襲い掛かった。一瞬遅れて反応したミヤビのラケットにぶち当たり、弾かれたボールは返球されることなく転がっていく。
「いった~……もう、馬鹿力め~」
衝撃で痺れた手を振りながら、独り言ちるミヤビ。挑夢の身長は、すでにミヤビよりも大きい。しばらく見ない間に、随分とまぁ逞しく育ったものだと、孫や甥っ子の成長に驚く親戚の人みたいな感想を持つミヤビ。もしかすると、子供の頃に態度がデカいやつは背が伸びるのではないか、などとどうでも良い考えが浮かぶ。
「平気?」
転がったボールを拾ってきた蓮司が近寄ってくる。ミヤビは肩をすくめながら、平気と答えた。今の失点で相手ペアがサーブをキープし、ゲームカウントは2-2となっていた。
ここまでの展開で、概ね対戦相手の情報は集まった。元
その一方で、ペアである月詠夜明はお世辞にも上級者とは言えない。精々が一般の中級者レベルといったところで、特筆すべきところは何もない。そしてこの2人が組んでいることでハッキリしているのは、挑夢と夜明のレベルに差があり過ぎて、ダブルスとしての連携が全く機能していないということだ。
勿論それは相手も重々承知しており、その不利を覆すべく挑夢が大暴れしている。自分がサーブの時はフォルトを全く恐れずにダブルファーストを叩き込み、リターンの時は遠慮なくフルスイング、ミヤビを狙える時はあからさまにハードヒットをぶち込んで来る。
夜明のサーブの時は、ツーバック――ペアが2人ともベースラインに立つ陣形――を取り、こちらが夜明にリターンしたボールを挑夢が強引に奪い取るように強襲を仕掛けてくる、というかなり無謀な戦法を仕掛けてきた。
初っ端にそれをやられて面喰い、挑夢のスーパープレーもあってキープされてしまった。とはいえ、もう一度来る夜明のサービスゲームでは恐らく遅れを取ることもないだろう。高確率でブレイクは可能だと思われた。ミヤビはまず自分がここをキープし、その後で夜明のサーブをブレイクすれば優勢に傾くと睨んでいる。
それにしても、とミヤビは夜明に視線を送る。彼女のプレーを見ていると、何かが引っ掛かる。あの子のプレーはどこかで見たことがあるような、無いような、そんな気がしたのだ。無論、彼女と会ったのは初めてだし、彼女のテニスを目にするのも初めてだ。にも関わらず、ミヤビは彼女のプレーにどこか見覚えがある。一体それが何なのかいまいち判然としない。蓮司にも聞いてみたが、分からないという。
フォームが誰かに似ている、ということではない。
強いて言えば
思い出せそうで思い出せないもどかしさを感じていたが、ミヤビは一先ずその疑問を棚上げしてサーブのポジションについた。まずは試合に勝ち、その後で色々聞くとしよう。いつからテニスを始めたのか、挑夢とはどういう関係なのか、ぶっちゃけどう思っているのか、とか。
さて、どう攻めたものか。相手側のリターン陣形は、
彼の実力をもってすれば確かに出来ないことはないが、それはさすがに相手をナメ過ぎというものだ。試合もそろそろ中盤に差し掛かろうという場面を迎え、いい加減そのふざけたやり方にお灸を据えてやらねばなるまいとミヤビは考えている。
(折角ミックスしてるのに、夜明ちゃんが可哀想でしょ)
挑夢のやり方は完全に夜明をお荷物扱いしている。確かに彼女のレベルを考えれば、ヘタに3人の超上級者が展開するテニスに巻き込むと事故の可能性もある。だがそれなら、ペアである挑夢が
仮にこれが公式戦であったとしても、ミックスであまり露骨に女性を狙うのは褒められたものではない。勿論、その勝敗に大きな意味がある場合や、何としてでも勝ちたいという時であればその限りではないのだが、女性を集中的に狙うのはやはりマナーとして歓迎されないというのが一般的だ。ましてや、対戦相手の実力差が明らかな場合は尚更だ。
ミヤビと蓮司は作戦方針として、夜明の手が届きそうな場所にボールを集めることにしていた。集中的に狙うというより、夜明が思わず手を出したくなりそうなところへ誘い球を送るのだ。
この作戦のメリットは主に2つ。
1つは、夜明のミスを期待出来ること。もう1つは、挑夢の意識を夜明のポジションに引き付けることが出来る。前者は言わずもがな。一番練度の低い夜明にボールを触らせる事が出来れば、蓮司・ミヤビは労せずポイントが獲れる。後者は、挑夢が常に夜明のカバーを意識せざるを得ない状況を作り、肉体的・精神的に挑夢を追い詰める。
自分のポジションを守備しつつ、ペアのカバーをしなければならないのだから、文字通り挑夢の仕事は2倍になる。シングルスよりも横幅が2.74m広くなったダブルスコートを、たった一人で全て守るのは不可能に近い。
つまり、夜明を狙っているようで
彼が崩れてしまえば、このペアは崩壊する。
見る見るうちに疲弊していく挑夢を、夜明が心配そうに見つめるが声はかけない。高まっていた集中力が体力と共に削られ、徐々に相手の術中にハマっている焦燥感からフラストレーションを溜めているのがネット越しでも分かる。もう少しだ。もう少しで挑夢の集中力は完全に切れる。
ミヤビが打った緩いボールが、夜明の頭上辺りに飛んでいく。普通ならスマッシュチャンスだが、夜明が構えるよりも早く「どけ!」という挑夢の鋭い声が飛び、夜明の動きを止める。強引に落下点へ割り込んだ挑夢だったが、叩き込んだボールはネットに吸い込まれた。
コートチェンジして迎えた夜明のサービスゲームを楽にブレイクし、ゲームカウントは4-2となった。ゲームを連取した蓮司とミヤビは、視線を交わして互いに頷き合う。
次は蓮司のサーブだ。ここをキープし、次の挑夢のサーブで勝負を仕掛けよう。そう考えたミヤビは蓮司の傍へ行き、次のゲームは堅実に進めようと提案しかけた、その時だった。
パチン、と乾いた音が響く。
瞳に涙を浮かべた夜明が、挑夢の頬を引っ叩いた直後だった。
あれほど見事な快晴だった五月晴れの空には、いつの間にか大きな雲が立ち込めていた。
続く
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