第17話 「最後の連休」

 良く晴れた4月最終日。

 ゴールデンウィークが始まり、ATCアリテニではアマチュア向けのイベントがあれこれ開催されて、大層な賑わいを見せていた。


 未就学児を連れたファミリー、同じウェアを着た中学生の集団、人生の夏休みを全力で満喫している文系大学生、学生に負けじと身体を鍛え続けている若い社会人や、生涯現役を貫こうとするシニア世代など、実に幅広い年代のテニス愛好家たちが集い、それぞれのイベントに参加していた。


 その思わぬ盛況ぶりに、聖はまるで都会から出てきた田舎者よろしくキョロキョロしながらあたりを見て回る。


<へェ~、最後の連休・・・・・を楽しむにゃうってつけだなァ?>


 アドが相変わらず意地悪そうに言う。そのフレーズを聞いた聖は、選手育成クラス責任者であるかがりコーチとのやり取りを思い出して溜息が出てしまう。



「連休は既に予定が決まっていてな。大半のメンバーがあちこち出掛けてしまう。その間、申し訳ないが君にあれこれ指導したりする人手を確保できない。休み中は施設内でアマチュア向けのイベントもあるし、気晴らしに参加してみるのも良いだろう。まぁ、徹磨を破った君が楽しめるレベルではないだろうが」


 徹磨てつまとの試合を終えて数日たった頃、聖はかがりコーチと面談した。男性と見間違うくらい短い髪型に、鋭い目付きをした格闘家のような雰囲気を漂わせる女コーチで、話しているとつい背筋が伸びてしまう。


「いくつかのイベントには君の顔見知りもいるだろうから、詳細は彼らに聞くと良い。こっちの予定が済むまでの間、最後の連休・・・・・を楽しんでくれ」


「最後の連休?」


 含みのある言い方に思わず繰り返す聖。篝コーチは意外そうな顔をした後、凄味のある笑みを浮かべる。まるで、獲物を前にした獰猛な肉食獣のようだ。


「プロを目指そうという者がこれから先、呑気に休日を過ごせるとでも?」


 思い出すだけで、引きつった笑みが自然と出てくる。


<この連休が終わったら、オマエはプロを目指してあの男女コーチが辣腕を振るう地獄の日々を過ごして青春時代を終えるンだなァ。せっかくの日本の高校生活を、プロテニスプレイヤーなンつーなれるかどうかもわっかんねー不確かなもン目指して棒に振るンだ。あぁ、なんてカワイソウ! カワイソウ過ぎて笑えてきちゃ~う!!>


 もはやこのアドの煽りにかなり耐性がついてきた聖は、リンクを切ることなく完全に聞き流す。アドの方も露骨な挑発はもはや効果が薄いと見て諦めたのか、あまりしつこく絡んでは来ない。


「あ、オーイ! 若槻! こっちだ!」


 名を呼ばれて振り返ると、そこには天パ頭が特徴的な沼沖文学ぬまおきぶんがくが手を振っていた。


「あれ、早いね。時間までまだあるのに」

「手伝いするよう言われててさ~、2時間前からいたよ」


 文学はATCアリテニ所属ではあるが、プロを目指す選手育成クラスではない。所属は『ジュニアクラス』で、聖の幼馴染である不破奏芽ふわかなめ神近姫子かみちかひめこも同様だ。彼らはプロを目指しているわけではない。


 対して、プロを目指す選手育成クラスには、聖と試合をした能条蓮司のうじょうれんじ雪咲雅ゆきざきみやびの他、文学といつも一緒にいるお相撲さんばりの体格をしたデカリョウと呼ばれている高鬼亮たかぎりょうと、尖ったアゴが特徴的な君塚正樹きみづかまさきの2人も含まれる。


「え、沼沖くんもひょっとして何か仕事してるの?」

「オイオイ、ブンで良いって。えーっと、奏芽はセイって呼んでたっけ?」

「あぁ、子供の頃からのあだ名。漢字一文字でどっちにも読めるから、たまに本名がセイだって間違われるけどね」


 今日は、ATCアリテニ内でいくつかのイベントが同時に複数行われていた。試合をメインにした一種の草トーナメント、キッズ向けのテニス教室、プロが特別レッスンを行うプログラムに、現役プロのトークイベントなどだ。


「向こうでマサキとデカリョウのペアが試合してるから、そこ見に行こうぜ」



 人出で賑わうATC内をブンと並んで歩いて行くと、何やら人だかりが出来て盛り上がっているコートがあった。


「っしゃあオラァ!!」

「だァらっしゃいやーッ!!」


 そのコートではポイントが決まる毎に大声で雄叫びを上げあう4人の男たちがダブルスの試合を繰り広げていた。片方のペアはATCの選手育成クラス所属であるマサキとデカリョウの2人だ。対するは、どうやら一般参加のアマチュアらしい。ぱっと見では学生なのか社会人なのか判断がつかない。


 コートの中でひと際大きいデカリョウがサーブを打つ。黒鉄徹磨のサーブも凄まじい速度だったが、デカリョウの放つサーブも全く引けを取らない。ブンが言うには、徹磨とデカリョウがATC2大ビッグサーバーなのだそうだ。体格通りの剛速球を叩き込むデカリョウだが、相手の選手も必死にそれに食らい付く。


「ボールがヘタってんじゃねぇかな。アマチュアに取られてら」


 ブンが独り言をつぶやく。ボールの状態が新品か使い古されているかで、ショットの威力が大きく左右されるので、そのことを言っているのだろう。


 渾身のサーブを返されたものの、攻勢の状況を維持したままのマサキ・デカリョウペアが前に詰めてプレッシャーをかける。しかし偶然、相手ペアの1人が打ち損なったボールがマサキの予想していなかった場所に返球され、大きく体勢を崩してしまう。にも関わらず、マサキは器用に身体を捻らせると本来なら届きそうにない距離のボールを見事に捉え、繊細なタッチでネット際にボールを落とした。


「出たァ! エロタッチ!」

「さすが 羽毛を操る手技フェザーキャッチャーマサキ!」

「伊達にアゴ尖ってねぇな~!」


 そのポイントで勝敗が決したらしく、観客は声援とも罵声ともつかないセリフで囃したてる。2人は照れくさそうにしながら対戦相手と握手を交わし、周りの観客へ愛嬌を振りまいている。


「人気あるんだね~、あの2人」

「全中2連覇のペアだからな~。国内のU-18じゃ敵無し最強ペアだ」

「相手の人たちは?」

「あれは一般人アマチュア。つっても相当な腕自慢だぜ。このイベントは要するに、あのマサキ・デカリョウペアに勝ったら賞金っていう自主企画イベントさ。元インカレ勢とかJOP選手が練習がてら腕試しに来てんだよ」


 インカレは主に大学生が中心となる全日本学生選手権、JOPとは日本国内のランキングがつくシステムのことで、登録すればプロ・アマ問わずに日本一を競い合える。既に名称は変更されているが、呼び易さから未だこの呼称を使うテニス関係者は多い。


「これで朝から4連勝だな!」

「次は誰だ~?」


 デカリョウが掛かって来いと言わんばかりに、ゴリラのようなドラミングをしてみせる。マサキはマサキで妙な踊りをクネクネと披露してみせる。周りのアマチュアたちはそれを見て喜んでいた。普段からお調子者だが、彼らは根っからのエンターテイナーらしい。


「次は、オレ達が相手だァーーーッ!」


 元気よく名乗りを上げたのは、どう見ても小学生か中学生の小柄な2人の少年だった。どこかのアーティストの真似のような奇怪なポーズを取りながらキメている。どこからともなくドドドドドという効果音が聞こえてきそうだ。


「出やがったな!スゲーバカ!」


 マサキが2人に向かって罵声を浴びせる。


「バカじゃない!!」

「オレ達は木代東きしろひがし中学テニス部所属ッ!!」


 少年2人は芝居のかかった大袈裟な動きで改めてポーズを取る。


すげあたるッ!!」

矢部やべ穂信ほのぶッ!!」

「2人併せてッ!!」

「「スゲーヤベーペアッ!!」」


 ババーンと決まる。何かが。

 周りの観客は面白がって、いいぞー、確かにスゲーヤベーセンスだな、頑張って1ゲーム獲れー、帰って勉強しろーと更に盛り上がって声援やら罵声を送っている。


「あの2人、強いの?」


 正直この手のノリにはついていけない聖は、なんだか恥ずかしさで身体がムズムズしてくる。なんで僕が恥ずかしくなってるんだろうと不思議に思いながら、誤魔化すようにブンに尋ねた。


「まぁ、スゲーヤベーよ。色んな意味で」


 ブンはコート上の4人に真剣な眼差しを送るのだった。



「ち、畜生、まさか1ポイントも獲れないなんて!」

「おかしいよスゲ君、僕たちの作戦が通じなかったッ!」

「まさか、機密情報漏えい……ッ!?」

「そんなバカなァ~~~ッ!」


 喧しい中学生2人は揃ってコートに膝をつき、険しい表情を浮かべている。先ほどブンが教えてくれたインカレだのJOPだのに参加する腕自慢達が来ているという説明が嘘だったのではと思えるくらい、話にならない惨敗っぷりを喫していた。2人の実力はどう高く見積もってもテニス中級者ぐらいだったのだ。


 しかし周りで見ていた観客もどうやらそれは最初から承知の上だったようで、試合中はスゲとヤベのペアを皆で応援(という名の野次の飛ばし合い)しながらの、実に和気あいあいとしたものだった。当の本人たちはこれが世紀の一戦とばかりに気合いを入れて臨んでいたが、ヘンテコな作戦を駆使するも、残念ながら尽く空回りしてた。


「これでオレ達の87連勝だな! ついでにいうと2088連続ポイントだ!一度でいいからオレ達からポイントを獲ってみろスゲーバカ! ヤベーアホ!」


 悪の親玉みたいな口調で高らかに勝利を宣言するマサキ。デカリョウはこれでもかというぐらいの変顔を2人に向けてサイレント煽りをキメている。良くもまぁそこまで表情筋が動くものだと感心してしまう。


「チクショウ、これで勝ったと思ってるんじゃあないぜッ!」

「僕たちが勝つまで、挑むのをやめないッ!」

「「次は、勝ァァァつ!!!」」


 対するスゲとヤベは、敗北の屈辱に身を焦がしながらも立ち上がり、負け惜しみとも次回への意気込みとも取れる捨てセリフを吐いてから撤収した。どれだけこっぴどくやられても後ろ向きにはならない2人を見て、ほんの少しだけ、聖は感心するのだった。



スゲ、ヤベの賑やかペアを片付けたマサキとデカリョウはそのあとも2連勝し、朝から7連勝を飾って午前の部を終えた。昼食を済ませたら、午後の部があるらしい。


「結構、容赦なく勝つんだね」


 聖とブンはマサキとデカリョウに合流し、ランチをしにカフェ『ジュ・ド・ポーム』に入った。マサキはともかく、デカリョウは漫画みたいな量の食事を注文し、実に美味そうにかっ食らっている。なんだか、何をしてても楽しそうな雰囲気をかもし出す男だ。


「ま、皆それがお望みだからな~」


 聖の言葉に答えるマサキ。


「一応、午前中はガチ試合、午後はおば……お姉さま方と楽しくって予定なんだ。それでも、中には男ダブ対女ダブでやってくれって人もいるんだ。みんな闘争心たけーのなんの」


 サラダをモリモリ食べながら楽しそうに言うマサキ。


「2人はダブルス専門なの?」

「ま~基本的にゃ~ね。オレは特にそうかな。でもデカリョウはどっちもイケる」

「お米もパンも好き!チョコも餡子も好き!たけのこもきのこも愛してる!」


 右手におにぎり、左手にサンドイッチを持ちながら嬉しそうに言うデカリョウ。一人で5人前は軽く平らげようとするその健啖っぷりは、見ていて気持ちの良いものがある。テニス選手にしては太っているように見えるが、昔から肉が付き易くまた落ち易いそうだ。


「ダブルス専門と言えば!」

「あたしらを忘れてもらっちゃあ困るよ!」


 同じ声がそれぞれ別方向から聞こえたと思うと、メイド服のような衣装を着た双子の桐澤姉妹がやってきた。相変わらず顔を見ただけではどちらが雪乃でどちらが雪菜かさっぱり分からない。サイドテールを右に結んで黒いリボンが姉の雪乃、左に結んで白いリボンが雪菜、とのことらしい。


「オイなんだよその衣装!エロいぞ!」


 目の色を変えて食い入るように衣装を嘗め回すブン。2人は動じる様子もなく、フフンと自慢げにそれぞれポーズを取って見せる。メイド服のようだが、よく見ると素材や形はテニスウェアのようだ。黒と白を基調にした配色で、白いレースが映える。可愛らしいフリルが施されている短いスコートからは、2人の健康的な太ももがすらりと伸び、白のニーソックスと併せて実に煽情的なデザインだ。


<絶対じゃん領域じゃん生足ツルピカおねだりダ・ダ・ダーーーッ!>


 感極まったらしいアドが喧しく意味不明なセリフを絶叫する。

 聖はそれを聞き流し、席を詰めようかと声を掛ける。


「いーのいーの、あたしらもう行くし。ありがとね、セイ君」


 にっこり微笑む妹の雪菜。いつの間にやら愛称で呼ばれてしまっている。


「オメーらさぁ、もうちょいセイ君見習えよな~。気が利かねぇな~」


 不満げに聖以外の3人にダメ出しをする姉の雪乃。チッチと人差し指を振る。


「いや座んねーなら良いじゃん別に」


 ブンが唐突なダメ出しに異を唱えるものの、女子二人はこれだからモテねんだよ分かってね~なぁとやれやれポーズを取る。同い年なのだが、どうにも主導権は双子姉妹にあるようだ。


「オッシ!じゃあオレの膝に乗れ!」


 バシっと膝を叩いてキメ顔を作るデカリョウ。


「オレの腕を貸してやらァ!」


 同じように細い二の腕を叩くマサキ。


「ならオレは胸を貸してやるぜ!」


 最後にブンがバシバシと胸を叩いて両手を広げる。


 双子の2人は揃って顔を見合わせると、うーん、と顎に指をあてしばし考えた後、ぴったり同じタイミングで言い放った。


「20点」


<カラい評価だな。オレなら2点とつけるが>


 ヒト桁じゃん、と胸中で突っ込む聖。段々とこの手のノリにも慣れてきたような気がするのだが、入っていく勇気はまだない。傍観者に徹していると、あれやこれやと罵声のようなじゃれつきあいをして、双子姉妹は去っていった。



 自主企画の午後の部があるということで、マサキ&デカリョウと別れた聖とブンはその後もATC内で行われているイベントを2人で見学して回った。あらかた一巡する頃には午後 15時を過ぎ、その後予定があるというブンとも別れ、聖は帰宅するかマサキ&デカリョウのところへもう一度行くか迷った。


「スゲ君! 15番コートが解放されているとの情報が入ったぞ!」

「本当かいヤベ君! 可及的速やかにコートを確保して練習だ!!」


 そこへ、午前中にマサキ&デカリョウペアに挑んで粉砕されていた中学生2人とすれ違った。あいつら元気だなと感心し、なんとなく2人の様子が気になった聖はあとについていった。


 コートに着くと、早速2人はラケットを持って練習している。相手は自走式自動テニスマシンの『ネオ・スリンガーMarkⅡ』である。機体下部はまるで昆虫の蜘蛛の足のように6本足で、飛行機のランディングギアのようなタイヤがつけられている。上部と下部はトルクのような構造となっていて互い違いに動き、非常にスムーズな動きでコートの上を自走する。上部に設置されたボックスにはボールを積み込むことができ、髭のように飛び出たアームにはラケットが固定され、センサーに反応すると正確にボールを打ち返すことが出来る。


<いつ見てもどう見ても思考戦車だな>

「毎回言うけどそれ何なのさ」


 ネオ・スリンガー自体はATCへ来るようになってから何度か見掛けているので、聖はもう驚いたりはしない。この他にもボールを自動で回収するドローンや選手の後ろを追尾して撮影するマシンなど、様々な最新式のガジェットがATCにはいくつもあった。


 ネオ・スリンガーを相手に挑んでいる2人は、楽しそうではありながらも表情は真剣そのものだ。さほど年は変わらない聖も、見ているとなんだか自然と応援したい気持ちになる。これは一種の母性本能的なものだろうか?


 しばらくすると、散らばったボールを拾いに来た少年――恐らくヤベと呼ばれていた方――と聖の目が合う。なんとなく勝手に見学していたことを咎められやしないかと不安になったが、聖の顔を見るなり彼は「あーーー!」と叫び大慌てで戻っていく。何やら2人でヒソヒソ話しながら聖の方をチラチラ見ていたかと思うと、やがて意を決したように2人して近寄ってきた。


「あの! 黒鉄選手を倒した若槻選手ですか!?」


そばに来た少年――恐らくスゲと呼ばれていた方――が、まるで憧れの選手に話しかけるような口ぶりで言った。


<センシュ!! 選手ときたか! よかったなオイ!>


「な、なんでそれを……?」


 先日の新星教授の時にも感じたが、どうして自分のあの試合について知っている人がこんなに多いのか。もしかして動画投稿サイトにでもアップされているのかと疑ってしまう聖。


「ジュニアクラスに所属してる同級生に動画見せてもらいました! よかったら一緒に練習しませんか!」


 期待に目を輝かせながらいう2人を前にすると、なんだか一肌脱いでやらなければならない、そんな気持ちになった聖。幸い今日もラケットバックに必要なものは一式入っている。少し悩んだが、まぁ中学生相手ならと思い聖は2人と練習することにした。



「アウト!」


 聖は大きくコートから外れてバウンドしたボールを見て、ハンドジェスチャーしながらコールした。3人でシングルスのポイント練習を2時間ほどみっちりやって、気が付けば日も傾き始め、時刻は17時を回った。


「そろそろ終わろうか」


 2人に声を掛けると、素直に返事をして後片付けを始める。何度か練習に参加していたATC所属の選手たちとの練習では自分の実力がばれやしないかと内心緊張しっぱなしだった聖だが、今日の練習は心からテニスを楽しめる実に有意義なものとなった。


 午前中に自ら宣言していたが、2人は木代東きしろひがし中学に通う生徒で、今年の春から2年生。スポーツ刈りだかツーブロックだか判断の付きづらい髪型の、何かと大袈裟な言い回しや難しい言葉を使いたがるのがすげあたる。そしてマッシュルームカットで眼鏡を掛け、一見ちょっと賢そうに見えて頓珍漢な発言が多い矢部やべ穂信ほのぶ


 2人は全国大会を目指し、シングルスでレギュラーの座を競い合う強敵同志ともだちであると共に、ダブルスのペアを組む心友同士しんゆうでもあるという。いちいち漢字の説明までされた。


 午前中挑戦していたマサキ&デカリョウは母校の先輩であり、2人が目指す目標でもあるのだという。彼らが在学中の頃から度々勝負を仕掛けてはコテンパンに吹っ飛ばされ、しかし何度も挑戦しているのだとか。


「若槻センパイ! 今日はトツゼンのお誘いにもカカワラズ、ありがとうございましたッ!」


 言い慣れていない丁寧なしゃべり方のせいかイントネーションがややおかしいが、彼らなりに精いっぱい年上に対する敬意を表そうとしているのが伝わり、思わず聖は笑顔になる。聖も中学時代後輩はいたが、こんな風に上下関係を意識することはなかったので新鮮な気分だ。


「うん、またやろうね」


 正直、緊張せずに素直な気分で他人とテニスが出来たのは、テニスを再開してから初めてだったかもしれない。レベル的には2人が中級者程度だったので、今の聖であれば素の状態でも練習相手として2人の役に立てた。そのことがとても嬉しくて、本心から聖はこの2人とまたテニスがしたいと思えた。


「やっぱ上手いッスね~! オレも早くライジングマスターしたいなぁ」

「ヤベ君はその前にサーブだよ! セカンドサーブをマスターしなきゃ!」

「毎朝100回素振りしてるんだけどなぁ。なかなか上手くならないや」

「若槻センパイ、どうしたらセカンドサーブ上手くなりますか!?」


 帰る道すがら、2人がラケットも持たずに素振りの真似事をしながら言った。


「え……っと、そうだなぁ……ちゃんと振り切る……ことかな」


 テニスに関する技術的なアドバイスを求められても、聖は上手く答えられる気がしない。なんとなく誰かが言われていたそれっぽい言葉を無理くり捻りだしてみると、2人は「なるほど!」「振り切る! スイングスピード!」などと勝手に得心が言ったように各々両手を振り回していた。


 中学生2人と別れ帰宅した聖は、自転車を置いて家に入ろうとしたが、ふと思い立ってラケットバックを置き、上着を脱いで敷地の外に出た。


<あァ? どうした?>

「走ってくる。今日はトレーニングできてないし」


 そういうと、聖は準備体操を始める。あちこち身体をほぐしながら、今日集まっていた、大勢の一般人アマチュアたちの姿を聖は思い出す。


 未就学児を連れたファミリー、同じウェアを着た中学生の集団、人生の夏休みを全力で満喫している文系大学生、学生に負けじと身体を鍛え続けている若い社会人や、生涯現役を貫こうとするシニア世代、プロを目指す選手を相手に、気持ち的には一歩も引かず挑む2人。


彼らはそれぞれ、どんな想いを持ってテニスをしているのか。一人ひとりにきっと目的や目標、あるいは夢があり、それに対して少しでも近づこうと日々努力を重ねているのだ。


――プロを目指そうという者が、呑気に休日を過ごせるとでも?


 少なくとも、自分は人より圧倒的に努力の総量が足りていない。日々頑張っている彼らに対し幽かに覚える罪悪感を、聖は時折無視出来なくなる。


「よし」


 準備運動を終えた聖は、夕餉の香りが漂い始めた街中を軽快に駆け出すのだった。


続く

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