『デッドコピー』革命軍のリーダーだった男が異世界を救う物語

原 マコト

1話 世界を変えた彼は路上の隅で死んでいく

 空から降ってくる酸性雨を浴びながら、彼の人生は終わろうとしていた。


 腹部から溢れる血が、ヒビ割れた地面の中に流れ雨と混じる。薄汚れた路地に倒れている彼は、指一本動かすことができない。


 男は革命軍かくめいぐんのリーダーだった。

 

 少数の富裕層が圧倒的なまでに占める貧困層から搾取する、一部の人間によって管理された理不尽な社会。


 貧困者の八割は三十代まで生きられない。餓死。病死。さらに理不尽な暴力による残虐な死。そんな圧政と独裁に虐げられた世の中を変えるべく、男は立ち上がった。

 

 途中には、長い年月と数えきれない犠牲があった。当初からいた仲間だって、全員死んだ。

 それが今日、ようやく報われる。


「リーダー。リーダー! 成功した! 革命は成功したぞッ!」


 無線機から、聞こえてくる歓喜に満ちた声。

 男は返事をしようとしたができなかった。口を動かそうとすると、代わりに血をふきだす。


「あんたのおかげだ! あんたが俺たちを導いてくれた! あんたが、中枢へ潜入でしてシステムを破壊してくれたおかげだ!」

 

 国を管理する富裕層たちは、厳重な警備で守られていた。

 彼らを殺し、自動操縦されている機械たちのシステムを停止させ、蓄えていた食料や財産は貧困層へ分配する。それが、革命を成功させるために、なくてはならない要の計画だった。


 だが、様々な要因から、その場所に潜入できる人物は一人しかおらず、その重大な役目を担ったのは、革命軍のリーダーだった。

 男はシステムのある施設へ侵入し、破壊に成功した。


 ただし、代償はあった。

 激戦により、身につけていたパワードスーツは破損し、ただの服となり、ほぼすべての武器も途中で使用、消失し、男も死にかけている。残ったのは幾ばくかの余命と長い間愛用していたナイフだけだ。

 

 けれど、男に後悔はなかった。


 最初から、生存の見こみのない任務だった。生きて脱出できたことじたいが、奇跡みたいなものだ。


「……リーダー?」


 無線機に男は返事をしようとしたが、声が出ない。代わりに血を吐き出す。

 

「おい、大丈夫なのか……? ま、待ってくれ! いまそっちに迎えをよこす!」


 相手もやっと異常事態に気づいたのだろう。だが、もう手遅れなことは、傷を負った本人が一番自覚していた。 

 

 弱々しい呼吸は間隔が長くなり、代わりに一度に吸う量は少なくなり、視界が暗くなっていく。


 中枢は制圧した。他の支配地域を脅かす自動兵器やロボットは沈黙し、敵の戦力を格段に削ぐことはできる。決起の声はさらにあがり、抵抗勢力は拡大するだろう。

 

 こちらもリーダーである自分は死ぬが、問題はない。いつ死んでも混乱が起こらないように、代役は任命してある。


(なら、もういいか)


 死に間際、男はやり残したことがないことを確認し、小さく息をはく。


 革命軍に入ったのは、ただの復讐だった。

 家族を知らない自分の面倒を見てくれた家を治安維持隊によって壊され、恩人を殺されたことによる完全な私怨しえん


 同期だったリーダーが亡くなったことで、彼の代わりをつとめることになったが、男の本来の目的は変わらなかった。しいていえば、道半ばで死んでしまった意志に背かないようにしたことくらいだろうか。


 数えきれないほど敵を殺した。意図したわけではなかった多くの仲間が救われた。残酷な方法だって躊躇ちゅうちょしなかった。結果、革命軍の勢力が拡大していった。そうして革命は成功した。

 

 しかし、はたして復讐は成就したのだろうか? 


 そもそも、復讐の対象は、一体何だったのか。恩人を殺した人間は最初に殺した。だとすれば、理不尽な社会を作ったこの世界だうか。


 いまとなってはわからない。男はそこまで考える思考すらなくなりかけていた。 

 ただ、先ほどの通信相手からの大げさな感謝の言葉。なぜだろうか。いまになって、深く印象に残る。

  

(……俺がやりたかったことは……)


 今際、男は本当にしたかったことがわかりかけたような気がした。

 けれど、結局、最後まで答えを出すことはなかった。

 口から漏れていた白い息が完全に消える。


 それから男は、二度と呼吸をすることもなかった。


 こうして 富と権力にまみれた社会は崩壊し、役目を終えた男は死亡した。

 

 当然、その魂も消失する――そのはずだった。


 ×××

 

 次に目を開いた男の前には白い景色が広がっていた。


(ここは?)


 周囲を見渡すが、前後左右、床だけではなく、天井も白い。少なくとも、外にいるわけではなさそうだ。


 まずは状況を把握しようと男が、一歩踏み出そうとする。

 そのときにようやく気づいた。


 踏み出そうとした自分の手足がないことを。 


 いいや、ないというわけではない。見れば全身が透明になっている。だが、不思議なことに手が体に触れるとということはわかる。


 触感はあるが、視認ができない。視覚のほうに何か細工されている?


(たしか俺は……。ダメだ。思い出せない)


  なら、と男は記憶にある一番古い記憶を探そうとする。


 だが、それすらもはっきりとしない。そして遅まきながら、自覚した。


 何をしていたのか、どころではない。男は、名前も記憶も何一つ思い出せることができないことを。

  

 かろうじてわかるのは、性別か。だが、透明な肉体のせいで、それすらも断定はできない。単に自分が男だという思いこんでいるだけなのかもしれない。


「俺は誰だ……?」


 男は返事を期待していたわけではなかった。動揺が口から漏れただけ。

 にもかかわらず。 


「……よかった」


 声がした。次の瞬間、男しかいなかったはずの真っ新な空間に一人の女性の姿があった。


 二十代ほどの女性は、目を奪われるほどの美しい容姿をしていた。


 けれど、注視すべきことはもっと別にある。


 彼女の全身は柱へ磔にされていた。両足、両手、そして胸には一際大きな杭が刺さり、無理矢理に体を固定されている。

 一見すると磔にされた罪人のように思えるが、女性の秀でた容姿と体型からは、磔にされていても芸術品めいた印象を受ける。

 

「……あんたは、ロボットか。それともアンドロイドか?」

 

 男がそう思ったのは、女性に作り物めいた美しさもあったが、それだけではない。   

 

 手足はともかく胸の杭は致命傷だ。そもそものところ、刺されているはずの箇所からは、血が一滴も流れてはいなかった。白い皮膚や着衣している薄い布も赤黒くは汚れてはいない。


 男は女性にたいし、警戒を解かないでいた。


 自分が透明なこと、何もなかった空間にいること、とどめに突然磔にされた女性が現れるなんて、明らかな異常事態だ。あり得るとすれば、薬物でも飲まされ、自分が見ている光景が現実ではないかくらいだろう。

 

「いいえ。私はあなたのいう存在、どちらでもない」  


 体に刺された杭などまるで気にせず女性は柔和に笑う。痛みはないのだろうか。


「突然のことで驚いているのは当然」


 笑っているが、女性の声には起伏がまったくなかった。表情がはっきりとしているだけに、強い違和感のようなものを覚える。


「私の名前はエクス。亡くなってしまったあなたをここへ呼び寄せた」

「俺が死んだ……?」


 普通、自分が死んだといわれても、信じることはできないだろう。


 だが、男はエクスと名乗った女性の言葉を不思議と信じることができた。自分が死んだといわれ、証拠も何も思い出せないにも関わらず、それが起きた事実だということを男は認識できた。


「私はグルブと呼ばれる世界で神をしている」

「……神?」 

「疑問を覚えるのは、当たり前。科学が発展したあなたの世界では到底信じられるものではない」


 女性――エクスのいう通りだった。


 男にとって神と呼ばれるものは人間が作り出した空想上の存在であり、科学が発展すればするほど実在しないことが証明されていた。本気で神を信じるものなど、ごく少数しかいない。


「神という言葉に違和感があれば、私があなたの知っているどの科学よりも高度なことが可能である。そう思ってくれればいい」

「死んだ人間の魂をとどめておくことも、か」

「次元を越えて別の世界に移動させることも」


 男性の言葉にエクスは笑顔で頷く。

    

「グルブはいま、私とは別種の悪しき神――悪神あくしんのせいで、滅びの危機に陥りつつある。あなたには、世界を救ってほしい」

「……どうして俺が?」

「あなたでないといけない。命を賭して自分の世界を救った強固な意志が必要」

「世界を救った……?」

   

自分が死んだという事実に関しては男は納得できた。しかし、いまのエクスの言葉に関しては他人の情報を聞いたような違和感があった。


「……覚えてないの?」


 男の顔は透明だったがエクスは動揺を声色で読み取ったのだろう。

 すると彼女の体が淡く光る。


「……対象者。魂の復元率52パーセント。最新の肉体への定着率63%――記憶の定着率計測不明。領域80パーセントの破損を確認」


 平坦で淡々とした口調は、まるで機械音声のようだった。


「残りも欠落部分が多数。まさかここまで影響が……?」    

 

 光が消えたとき、機械のようだったエクスの表情には焦りが広がっていた。


「……よくわからないが、もしかしてあんたのいってた悪しき神とやらの妨害か?」


  男は状況を理解しているわけではなかった。


 だが、仮にもしも同じ立場――殺されるのがわかっていればまず相手の排除を試みる。それが不可能であれば、戦力を欠く妨害をだ。


「ごめん。こちらの世界にあなたの魂を移動させたさい、前世の記憶のほとんど破壊してしまった可能性がある」


 エクスは頷かないが、唇をきつく結んでいる。感情のこもらない声であっても、申しわけなさと悔しさが伝わってくる。

 

「復元させることはできないのか?」

「……修復は困難。知識のほうは、まだ破損は少ないと思う」


 たしかに、前世の自分については、まるで思い出せないが、ロボットやアンドロイドなどといった単語やその意味は理解し、使うことができていた。 


「でも、魂には生前の経験が刻まれている。厳しいけど、あなたならきっと大丈夫」 

「打開策がないのにずいぶんと自信の伴った発言だな」


 男の声には、怒りや皮肉めいたものはなかったが、エクスは顔を伏せる。

 だが、疑うのは当然のことだ。


 自分のことすらわからず、突然白い空間に閉じこめられ、磔にされた女性から世界を救ってくれなんていわれても、信じられるわけがない。


 だが、結局のところ、どのような内容に関わらず、選択肢は一つしかないのかもしれない。


 なぜなら、断れば、この魂は、今度こそ消滅し、死亡してしまうのだから、一時的でもいいから、エクスの言葉に従うべきだ。


 しかし、男には生にたいする執着心はなかった。一度死んだからというよりは、元々の性格故なのだと数少ない自己がそう結論づける。


「……やっぱり、引き受けてくれない?」


ただ、その一方でその自己がこうも告げているのだ。

  

「いいや。引き受ける」

「えっ……?」 


 彼女はこういっていた。悪神により世界が滅びの危機にあると。

 何も知らず、理不尽に殺される人々がいるのなら、見捨てることはできない。 


「……いいの? 最初よりもずっと目標の達成が困難になったのに」


 予想外の返答だったのだろう。虚をつかれ、固まっていたエクスの表情が、眩しいほどの笑顔へと変わる。平坦な声も心なしかうれしそうだった。

 

「状況が酷いのは、いつものことだ」


 記憶がないはずなのに、男は自然とそういう。


 生前は似たような場面に数えきれないほど立ち向かってきたのだと覚えてもいないのに理解できた。これが魂に刻まれているということなのだろうか。

   

「それに本来であれば、可能だったサポートもかなり制限される」

「構わない。できる範囲内で最善を尽くしてくれ」


 エクスの謝罪にたいして、男は落胆することはなかった。最初から支援など期待はしていなかったからだ。


「……ありがとう。私の申し出を受け入れてくれて」


 そんな男の内心など知らないエクスは、唯一自由に動かせる頭を下げる。たっぷりと十秒ほど。誠意をこめたのが、伝わってくる。

 

「気にしないでくれ。……ああ。そうだった。俺はこれからなんて名乗ればいい」

「グルーブではエリック・ウォルターと。元の世界では……」

「元の世界の名前はどうでもいい」


 生前の名前など今後の活動で役に立つとは思えず、男は首を横に振る。


「俺の目的は悪しき神を殺す。それでいいんだよな?」

「うん。そうすれば世界は救われる」

「具体的な方法や居場所、手がかりは?」 

「……不明」


 つまり、状況がかんばしくはないということか。男が目的をはたすのが、難しいことは、誰が見ても明らかだった。


「了解だ。そっちでも何か手がかりが見つかったら教えてくれ」

 

 しかし、その声には、目的を遂げようという真っ直ぐな意志があった。

 男が返事をすると透明だった肉体が、薄らと光っていき、その視界も端から狭くなっていく。


「あなたを巻きこんだことは、私の罪。でも、お願い。どうか、この世界を救って。エリック・ウォルター」


  祈りを込めた声。男の視界が狭まる中、エクスはもう一度頭を深く下げている。 


「最善はつくす」


 返事がエクスに聞こえたのかどうか。それはわからない。 


 なぜなら、男――エリックが確認するまでもなく、その体は完全に消えてしまったのだから。





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