第3話 嫌われ令嬢は学業に励む

 母のマリア・テレジアは子供を偏愛する傾向があった。


 殊に容姿も優れ、学業も優秀な次女のマリア・クリスティーナをミミという愛称で呼び溺愛していた。

 3女のマリア・エリーザベトも、行動が軽率な嫌いはあるものの、容姿が極めて優れており、リースルという愛称で呼び愛されていた。


 長兄のヨーゼフⅡ世は、女児が3人続いた後、ようやく待ちに待った男児として生まれたため、母マリア・テレジアから非常に愛されていた。


 長女のマリア・アンナは、病気がちで結婚によるハプスブルク家の外交に貢献することが期待できなかった。

 また、ダンスやバレエ、音楽の才に恵まれ、集中力、記憶力、勤勉さにおいても弟ヨーゼフⅡ世を凌駕したが、未来の皇帝よりも優れた才能を持った皇女の存在は宮廷でうとまれた。


 反抗的な態度ゆえに母から「厄介者」の扱いをされていた私は、マリア・アンナとは嫌われ者どうしのせいか、仲が良かった。


 弟妹たちの中では、末娘のマリア・アントーニア(将来のマリー・アントワネット)が、早々にフランスブルボン家のルイ16世との婚約が内定していたこともあって、溺愛されていた。


 私が嫌われている原因はその反抗的な態度にあったが、根本の原因は姉たちと比べ学業等のできが悪いことにあった。


 母との関係を修復するためには、まずは学業やダンス、マナーの訓練から取り組もう。私はそう決めた。

 なにしろ子供の進路を決めるのは、マリア・テレジアの意向が絶対だったからだ。まずは、そこを何とかしないと私がこの世界で平穏な生活を送る目は潰れる。


    ◆


 この世界の学校制度は、日本と同じ6、3、3、4制となっている。

 私は学園中等部の2年生で、3年生には兄のカール・ヨーゼフが、1年生には弟のレオポルトⅡ世が在学していた。


 姉のマリア・クリスティーナは高等部3年生で、マリア・エリーザベトは2年生。

 そして、長女のマリア・アンナは大学アカデミーの4年生、長兄で皇太子のヨーゼフⅡ世は1年生だった。


 今は丁度学園の夏休みであり、家族そろって離宮のシェーンブルン宮殿に来て過ごしているところだった。

 だからといって遊び惚けていることは許されず、私は、家庭教師の下で学業やダンス、マナーのレッスンに明け暮れていた。


 学業のカリキュラムは、語学、数学、理科、社会がメインだった。

 殊に、マリア・テレジアは女子であったことから、いかなる政治的教育も受けていなかったため、即位後苦労をした経験を深く後悔し、娘たちには政治的教育にも力を入れていた。


 一方、仮にも私はT大学大学院修士課程卒である。受験勉強を勝ち抜いた私の学力は相当なものだ。

 それに対し、学園中等部のカリキュラムは日本の中学校のレベルにも達していないものだった。


 それに私にあてがわれた家庭教師はお爺さんばかりで、教える内容といえば教科書をなぞるだけ。全く新鮮味がない。


 数学の家庭教師が問題を出した。

「では、殿下。この問題を解いてみてください」


 出された問題は。2桁×2桁の掛け算の問題が10題ばかり。これでは数学ではなくて、小学校の算数ではないか。私はレベルの低さにあきれた。


 答えを1分もかからずに記入していく…

「できました」


 家庭教師は時間がかかると思っていたらしく、椅子に座って休憩の体勢をとろうとしていたが、不審がりながら言った。

「はっ!? もうできたのですか?」


 家庭教師は答案用紙をチェックして唖然としている。

「確かに全問正解です。それにしても全部暗算でやられたのですか?」

「この程度の算数の問題。当然じゃない。話にならないわ。

 それよりもっとちゃんとした問題があるでしょう。微積分とか、ベクトルとか…」

「はあ。それはそうなのですが…」

 家庭教師は冷や汗を流している。


「その辺りは最先端の研究者が取り組んでいる問題でして、私の様な一介の家庭教師にはとても…」


 確かに微積分のような高等数学の歴史は浅いから無理もないか…

 私は文系ではあったが、数学も得意だった、大学受験の選択科目も数学で受けたくらいだ。


「ならばちゃんと教えられる者をよこしてちょうだい」

「承知いたしました」


 そんな家庭教師たちに対し、気がつけば私は苦情を言い、突き上げていた。


 この世界に来る前の私は自己主張の激しい性格ではなく、むしろ控えめといってよかった。どうやら記憶だけでなく、性格の方も、この体の元持ち主と統合されたようである。結果、足して2で割ってちょうどいい感じになったというべきか…


 結局、家庭教師たちは私の要求に応えられないし、突き上げにも耐えられず、次々と辞めていった。

 替わりに来た家庭教師たちは、若くて各分野の最先端を行く者たちだった。


 マリア・テレジアは、突然に学力が著しく向上した私に驚いている様子だったが、生意気な私に身の程を知らせてやろうという意図もあるようだった。


 だが、いかんせん18世紀の知識と現代日本の大学院の知識ではレベルが違い過ぎる。

 新しい家庭教師たちも、身の程を知らせるどころか、舌を巻く始末だった。


 家庭教師の中で政治を担当したのが、現宰相のカウニッツ伯の嫡男で、外務卿補佐官のディートハルト・フォン・カウニッツ=リートベルク様だった。

 彼はハンサムかつダンディなおじ様で、歳の頃は20代後半くらいだろうか。もろに私のタイプであったカウニッツ様に私はときめいた。


 舞い上がって冷静な判断力を失っていた私は、持てる知識を次々と披露し、カウニッツ様を呆れさせていた。

 そして迂闊うかつにも「公共投資で有効需要を創出して…」とか、この時代にふさわしくない知識を口走っていた。


「有効需要とはどういうものですかな?」という質問に対し、得意になって説明もしてしまっていた。


「ほう。そういうものなのですか…」とカウニッツ様は半信半疑の様子。


 よく考えれば近代のマクロ経済学理論などまだ確立はされていないのに…

 私はちょっと後悔した。


 カウニッツ様はそれでも私の話と真摯に向き合ってくれ、調子に乗っていた私は満足感に浸っていた。


 14歳という生意気盛りの年頃の私を一人前として丁寧に対応してくれるカウニッツ様に、私はどんどんと惹かれていった。


 だが、今考えれば、中世の世に現代の知識をひけらかすなど、チート以外の何ものでもない。私は目立ちすぎてしまったのだ。


 ただ、日本での経験が活かせないダンスやマナーのレッスンは別だった。こればかりは、元の私の記憶と経験に頼るしかなかったので、優先的に取り組むことにした。

 その効果は徐々に表れるだろう。


 その他に護身術も習ったが、こちらはすんなりと入ることができた。

 なぜなら私の家の近所に武道の盛んな大学があって、空手教室を開いており、スポーツクラブに通う感覚で通っていた経験があったからだ。


    ◆


 ディートハルト・フォン・カウニッツ=リートベルクは、マリア・テレジアにマリア・アマ―リアの学業の進捗状況について報告に来ていた。


「陛下。アマーリア様の学力向上には目を見張るものがございます。本人がよほど努力された結果と思われますが、それにしても知識レベルの高さは異常なものがございます。最近は、むしろ私の方があれこれ教えていただいている始末です」


「なんと。優秀な其方そなたが教えられるとな?」

「左様にございます」


「今考えれば、アマーリアは熱病で寝込んだ後、人が変わったようだ。反抗することもなくなったし、学業の能力向上もまるで別人のようだ」

「あの知識は帝国内のどの高官よりも優れているものと思われます。これはぜひとも帝国及びハプスブルク家の発展のために活用していくべきと愚行いたしております」


「確かに。アマーリアの処遇については、今後よくよく考えねばならぬかもしれぬな…」

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