血だらけメイドと世間知らずなご主人様

rinaken

第一話 血だらけメイドと少年

 暗闇のなかで男と女の声が聞こえる。といっても艶かしいものではない。


「わしは一向にこの『インターネット』なるものは好かんな」


と、男の声。その声は若く幼い少年のそれだ。


「なぜです? とても便利ですわ。インターネットのおかげで、誰もが誰とでもつながりを簡単にもてるのです。遠く離れた場所に暮らす親子や、近くでも簡単には会えない恋人たちも、ワンクリックで即座に! テレビ電話なんて言葉ももう野暮ったいくらいですわ。動画でなくてもメッセージのやりとりだけで親密さを保てますし」


と、女の声。その声も若いが、少女のそれではない。妙齢の女性の声だ。


 もっとも、二人の会話の内容は、年季の入った老夫婦のそれのようだ。


 暗闇のなかに古めかしいデスクトップモニターが明滅した。動作はしているが画面は暗い。そのモニターが生産された時代には省電力モードなんてなかった。つまりそのパソコンは不具合を生じていた。


 そのとき、ディスプレイがひときわ明るく光った。そしてその瞬きは、まるで遠雷のように辺りを瞬間的に照らし出した。


 夜明け前の最も暗い闇のなか照らされたのは、椅子に座っているメガネをかけた少年と、その横に立つやはりメガネをかけた女性だった。


 少年は、歳の頃、十歳から十二歳といったところだろうか。服飾量販店で買えるフード付きのパーカーを着ている。フードは後ろに跳ね除けられ、ぼさぼさの髪が露わだ。ディスプレイの置かれた机に向かい、椅子のうえで足を組み、ふんぞりかえっている。あまり子どものかけそうにない、小さな丸メガネをかけていた。


 その横に控え立つのはメイド服の女性だ。だが、その姿は尋常ではない。仮に嵐の夜に稲光で垣間見たならば心弱い者は悲鳴を上げるだろう。頭部以外の体中が切り裂かれ、いたるところから赤い血が流れ出ていた。だが、痛がっている様子はない。歳の頃は十代後半にも二十代後半にも見える。身長は百八十センチはあるだろうか。少年と並ぶとまるで母親と幼児のよう。とってつけたような大きめのブランドメガネがメイド服から浮いていた。さらに目立つのはあどけなくもある顔に似つかわしくない爆乳。もちろんその胸もところどころ切り裂かれ、生傷からは赤い血が滴っていた。


 少年はそんな傷だらけ血だらけのメイドが横に直立していることなどまるで気にならない様子で、話しつづけた。


「だが、このインターネットのせいで人は始終携帯端末を睨み、上司だか親だか恋人だか、とにかくその者の上位の存在ハイヤーエンティティ指令オーダーに一喜一憂、右往左往しておるではないか。誰も彼もが安息日もなしに働いておるかのようだ」


 少年はため息をついた。


「あまつさえ、老父母や孫が『遠隔通信できるから実際に会うなど不要不急』など。馬鹿馬鹿し過ぎて笑いも出ぬ。ようするに会いたくないだけであろう。いくら通信が発達しても、人と人との繋がりまで電子化できぬだろうに。まったく人の世というやつは」


 くすり、とメイドが笑い声を漏らした。それから血だらけの手を口にあて、呟いた。


「人と人との繋がりも電子化できないと決まったわけではありますまいに」


 少年はメイドを振り返った。


「まったくおまえときたら。いい加減、人間というものを知れ」

「ご主人様が世間知らずなだけです」


 メイドは少年の抗議の視線にはまったく意を介さず、切り裂かれたメイド服の胸元につけた煌びやかなペンダントを手に取った。


 そのペンダントの表には有線七宝の技法で燃え盛る太陽のような模様が描かれ、ペンダントトップには翼の形をしたやはり深紅の飾りがついていた。メイドがペンダントを裏返すと、そこには文字盤と針。時刻は丑三つ時を過ぎた頃。


「それよりご主人様。そろそろお時間ですわ。お支度をどうぞお願いいたします」

「もうそんな頃合いか。やれやれ」


 少年はため息をついた。それと同時に暗い部屋に明りがついた。二人にとっての安息の時、夜は終わりを告げようとしていた。つまり朝が来るのだ。


 その部屋は、どこかのお屋敷の一室、ではなくて、どこにでもありそうな安オフィスだった。


 動作の不安定な旧型のデスクトップパソコンが置かれているのは事務机。いくつかの書棚、椅子、花瓶。花瓶には枯果てた茶色い繊維質が刺さっていた。窓の外の様子からは、そこが住宅街ではなくオフィス街の一室だということがうかがい知れた。


 事務机の上にはオフィスに似つかわしくないものが無造作に置かれていた。学生カバンだ。色は黒。フタは開きっぱなしで、教科書やノート、携帯端末が押し込まれているのが見える。


 少年は今から宿題をして、携帯端末で無料配信されている動画やアニメを見たり、漫画を読んだりするつもりだった。人の世にいい加減疲れている不死者にとっては、ただただ面倒くさい作業だった。

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