書いていた。
例えば、それは小説だった。例えば、それは詩だった。例えば、それは日記だった。学業を怠っていると言われて誤魔化せない程には、文字に傾倒していた。実際、怠っていた。講義にこそ出席していたが、寝ぼけ眼で景色を眺めているようなもので、不良のようにすっぽかしてしまった方が良かったかもしれない。
講義の後は、家にいた。出かけたいという気分ではなかった。大学に行き、帰る。ろくに運動もしていない。アルバイトという責務がなければ、社会不適合者に違いなかった。しかし文筆以外に趣味もなかった。そうして結局、こもりきりの生活だった。
そのような生活の中で、未知なる世界を生み出す事はできない。あるいは、未知なる世界というものを表現してみせたとしても、そこには既視感が根強く残るのだ。社会経験が傑作を生み出す訳ではないだろうが……傑作を生み出す者は、少なからぬ経験を携えているものだ。少なくとも僕は、そうではなかった。だから、古くからの名作や、流行りの作風などに、僕の物語を先に語られるばかりでいる。被害妄想に違いなかった。
つまり作家志望というのは、既知なる未知を生み出すばかりの生物なのだ。誰かが語った物語の上に、署名を行う存在に過ぎないのだ。誰にも思いつかなかった物語を夢見て、誰かが思いついた物語に引き寄せられるばかりなのだ。そして、そこからどうにか距離を離そうとして、自分でもどこに向かっているのか、まるで分からなくなっていくのである。僕は、自分の人生ばかりでなく、作風までも見失っていた。見つけてもいないものを見失うと、
そうして考えあぐねた先に朝を迎え、寝ぼけた頭で講義を拝聴するばかりだ。幻聴か、あるいは幻覚であったかもしれない。それでも出席だけは欠かさなかった。これさえも欠かしてしまった時に、現実らしい部分がどれだけ残るだろうと考えて……そこには、何もなかった。漠然とした恐怖が、辺り一面に広がっていく感覚だった。それがおそろしいというのに、僕はそれを正確に捉える為に、今まさに文章を連ねている。しかし、それによって何も成される事はないのだ。意味があるなら、文章を連ねるとは言わない。もっと何か甲斐がある表現……例えるなら、それは発見と呼ばれるべきだ。僕はただ見ていた。僕は文章に現れる何かしらを見ていた。それは、生への渇望かもしれなかった。
なぜか、達せられている筈の物事に対する渇望だった。それとも、これでは十分ではないと? 命を懸ける必要に駆られず、怠惰な日々の中に微かな鼓動を響かせる日々の中を生きて、それで十分ではないというのなら、それは単に自身の肥大した欲望の一端に過ぎない。それを十分ではないと、そのように呼称するのなら、不足させているのは自分なのだ。他の誰でもない……誰も、自分に対して干渉などしていないのだから。それを孤独と呼んでいたのは自分だ。そこから羨望の眼差しを生み出したのも自分だ。そこで一人苦悶しているのも、声を出さず泣いているのも、黙って享受している筈の存在も……まさしく自分に他ならない。だから、例えばそれが小説であっても、詩であっても、日記であっても、それらを生み出しているのは自分であって、自分の苦しみであって、それを理解するのは、自分以外にはいないのだ。
そうやって、数年後も作家志望でいるのだろうと思った。ひとりよがりに身を寄せて、行き先を見失っていくばかりの生物なのだろうと、そう思っていた。これも誰かの発想なのだろうと思った。堂々巡りの日々だった。どうにも寂しい生活だった。
文章だけが、ただ連なっていった。
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