第4話
「これから台風が来るみたいだしもう上がっていいよ」澤部さんは店の外に目をやりながら言った。
確かについ先ほどから窓ガラスが風で揺れていた。
「どうせ今日はお客さんも来ないだろうしさ。まあいつものことなんだけどね」澤部さんは自虐まじりに笑う。
そんなことでこの先やっていけるのかと心配になるが澤部さんは呑気に大きなあくびをしている。
「ありがとうございます」とりあえずその言葉に甘えよう。真紀がずぶ濡れで帰ってきた時のために風呂でも沸かしておこう。里奈は処分予定の本を箱に詰めながら思った。
「その中から好きな本を持っていくといいよ。どうせ他の人に譲ろうと思っていたものだし」
この本屋で扱っている本は全て地域の学校や図書館から譲り受けたものだった。だが新しい本が入ってくるたびに棚に入りきらない本は売りに出したり他の人に譲ったりということをしていた。
箱の中を見ていると見覚えのある本があり手に取ってみる。家の本棚にあったので一度だけ読んだことがあったが主人公が命を懸けて大切な人を守るというありきたりな小説であまり細かい内容は覚えていない。
「里奈ちゃんのお父さんはその本が好きだったなあ」
澤部さんは里奈の隣に立って細い目をいっそう細めた。父の顔を覚えてはいなかったが母はいつも「お前のせいで淳さんを失ってしまった。淳さんを返せ」と言って里奈に毒づいていた。その言葉の意味を聞けないまま母は1年前死んでしまった。親戚も両親の話をすることを避けていたようだったし話したとしても馬鹿したような話ばかりで不愉快だったので自分から積極的に聞くこともなかった。
働いている本屋から10分ほど歩いたところに姉妹の住むアパートがある。雨足が確実に強くなっていることを傘の感触に感じながらまだ少し離れたところからアパートに視線を向けると制服を着た男子生徒がアパートの2階から降りてきているのが見えた。2階の住人には他に中高校生はいなかったはずだ。となると真紀に用があったのだろうか。
その男子生徒は里奈に一瞥もくれず、傘を手に持っていながらさすこともしないで、里奈とは逆の方向へと走り去っていった。
その背中を目で追いながら、アパートの階段を上がり部屋のドアを開けた。「帰ったら鍵は閉めておかないと危ない」といつも言っているのに、とため息をつき、さっき見かけた男子生徒の素性を聞き出すついでに注意しようと思いながら顔をあげ、息を呑んだ。
薄暗い4畳半の部屋で、真紀が俯いたまま右腕に顔を埋めて声を噛み殺すように泣いていた。膝や肘には擦り傷が見える。
「何があったの?」真紀のそばに膝をついてその傷を撫でる。
真紀はウサギのように赤い目を里奈に向け小さく口を動かしたが思いとどまったように唇を結ぶとまた顔を埋め、細く震えた声でごめんねと呟いた。
どう声をかければいいのかわからないまま時間だけが過ぎていき、真紀の濡れた髪はいつの間にか乾いていた。そのままシャワーも浴びずに布団にくるまると朝まで動かなかった。
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