第69話 暑い日

暑い。

私の家というか部屋は白兎亭1階のはりの上に置かれている。

人間によると、暖かい空気は上に登るということで夜は暑いのだ。それにベッドの上は柔らかいのだが、夏だとこれが暑く感じるようで、今は床に寝ている。朝は少し涼しくなるが、それでも家の中は暑く外に出るとその涼しさにほっとする。


今夜は外で眠ることにするか。暖かい空気が上に登るということは、地面に近いところで眠ればよさそうだ。宿の受付の裏あたりがいいかもしれない。


朝食の後、日課にしている剣術の練習も、ちょっと動くだけで汗が出てくる。今は作ってもらった夏服を着ているので風が皮膚に直接あたり多少は涼しく感じる。ただ、汗は自分の体から出てくるものとはいえ、体が濡れるのはやはり不快だ。

人間を見ていると、汗を水で濡らした布で拭いたり顔を洗ったりしている。人間の男は上半身の服を脱いで体をふいている。人前では上半身だけだとしても決して服を脱ぐなとベルナにうるさくいわれている。女も中庭にいるが、確かに服は脱いでいない。


顔を洗うには、井戸から水をくみ上げる必要がある。洗濯場にも水はあるが使うにはお金が必要だ。


「お、お前も顔洗うか?」

井戸の水をくみ上げて顔を洗っている男に声をかけられる。

「水は苦手なのだが」

「はは。猫はそうだろうが、今は人間の姿なんだから試してみろよ」

そういうと、水の入った桶を指さす。くみ上げた水は、井戸の横に置いてある別の桶に移し替えられている。

「そうだな...」

恐る恐る水の近くに移動し、人間をまねて両手をお椀のような形にして水をすくってみる。水の冷たさは心地がよい。

風呂に入る時は服を脱いでいるが、服を着たままで水で顔を洗うのは初めてだ。

人間を見ていると、下を向いて顔を洗い、下を向いた状態で布で顔をぬぐっているようだ。なるほど。下を向いていれば水が体の方に流れてこないので、服が濡れないということか。


まねてやってみることにする。

確かに、冷たい水で顔を濡らすと気持ちが良いことは確かだ。猫としては、水が心地よいというのは納得がいかないが。

布で濡れた顔をぬぐった直後は、さらに涼しく感じる。まあ、夏の間は剣術の練習の後で顔を洗ってやってもいい。



剣術の練習の後は寝そべって過ごすのだが、最近はいつもの窓辺や洗濯物干場では暑くてそれも難しい。涼しいところを探したところ、食堂の奥か中庭の木陰がわりと快適な場所だったが、食堂は昼になると騒がしいので木陰で寝そべることにする。


木陰は涼しいといえば涼しいが、実際には暑いところに比べればちょっとましというだけだ。人間の姿で夏服を着ているのと猫の姿のどっちがましかというと、人間の姿の方が涼しい気がする。夏服だと風が直接肌に当たり、それが涼しいと感じるようだ。なので、夏は人間の姿でいる時間を長くすることにしよう。


それにしても、この街には涼しいところはないのだろうか。

以前いたところでは、外は暑くても家の中は涼しかった。家の中でも涼しい部屋とそうでない部屋があったので、白兎亭もそうなのかと思ってすべての部屋を確認してみたが、そんな部屋はなかった。なんてことだ。


ダンジョンに行けば涼しいのだが、ダンジョンまでは遠く暑い中移動するのは大変だ。馬車に乗せてもらうには、街から出る門で待っているのがよさそうだが、ダンジョンに行く人間は早朝に出発するので今からでは無理だ。それに、涼しいのはいいのだが一日中薄暗いというのもどうかという気もしてきた。やはりこの街で涼しいところを探したい。


そうだ。エルナのところに行ってみるか。彼女は私と同じ21世紀の日本出身者とやらだから、涼しい部屋を知っているはずだし、知っているならこの暑さには耐えられないから何とかしているはずだ。


「あ、シイラちゃん、こんにちは。暑いよねー」

彼女が働く出版社に来てみたが、暑い。

もしかして、この街には涼しいところはないのか。


「以前いたところにあった涼しいところを探しているのだが」

と聞いてみる。

「え? ああ、この世界にはエアコンないんだよねー」

「エアコン?」

「うん。夏には冷たい風を出して冬には暖かい風を出す機械のこと」

壁の上、天井の近くにあったあの箱のことか。


「それがないと涼しくできないのか?」

「そうなのよー」

なんてことだ。


「エアコンどころか扇風機もないのよねー」

ため息をつくエルナ。

「扇風機ってないよりましだけどエアコンを知ってるとそれだけじゃあ足りないんだけど、それすらないのよねー」

そういうと再度ため息をつく。


「お金持ちは使用人に大きな扇で仰がせてるらしいんだけど、さすがに21世紀の日本人の価値観からすると、いくらお金持っててもそれはちょっとねー」

何をいっているのかよくわからないが、要は暑いのはどうしようもないということか。


「魔法使いさんが氷作れるっていうから、大きな氷を作ってもらって桶に入れて部屋に置いてみたんだけど、やっぱり扇風機がないと大して涼しくないのよねー」

確か魚を運ぶのに氷を使っているということだったな。


「魔法使いさんも何人か知り合いができたから、魔法石かなんかわかんないけど、放っておいても冷気を発するとかプロペラを回転させるとかできないか相談してるんだけどねー」

つまり、今は涼しい部屋はないがなんとかしようとしているということか。


「夏が終わるまでにできるといいな」

「ははは、そうよねー」


ということで、この街に涼しいところはないことが分かった。

夏の間は人間の姿で夏服を着て、木陰で寝そべって過ごすしかない。


帰る前にギルド本部に寄ってみる。

やはり涼しくない。逆に建物の中は人が多くて外より暑いくらいだ。

エルナならため息をつくところだな。

「はあ...」

まねをしてみる。

ここに居ても仕方ないし、帰るとするか。


「あ、シイラさん、久しぶりですね」

振り返るとレブランがいる。

「どうも」

「仕事探しに来たんですか?」

レブランはいつもちゃんとした服なのに、今日の服はちょっと汚れている。


「いや。涼しいところがないか探していたのだ」

「涼しいところ? じゃあ一緒に来ます?」

「涼しいところがあるのか?」

「ありますよ」

そうなのか? エルナにも教えてやらないと。


レブランについて階段を降りる。今いたところは一階だから、地面の下に降りるということか。


「地下は涼しいんですよ」

「ダンジョンも涼しかった」

「ダンジョンも地下ですからね」


ギルド本部の地下にも部屋があるとは知らなかった。


「ここは、資料保管室なんです」

この前行った図書館のような感じだ。


「長らく資料の整理がされてないのと、今後ライゼルから大量の資料が届くので棚を空けないといけないんですよ」

「そうなのか」

まあ、ここは涼しくて快適だし、暑い日はここで過ごさせてもらうのが良いかもしれない。


「じゃあ、シイラさんはこれ、お願いしますね」

そういうとレブランに掃除道具を渡される。

「棚の高いところの掃除をお願いします」


動き回ったのでは暑くなるのだが。

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