第47話 エージェント・シイラ その3
その日の夜、さっそく仕事をすることになった。
場所は食堂とのことだったが、白兎亭の食堂とはまったく異なるところだ。
白兎亭は大きな部屋にたくさんのテーブルが並べられていて大勢の人間がにぎやかに食事をしているが、ここの食堂は会議室のような小さな部屋で区切られていて、少数の人間が集まって静かに話しながら食事をするところのようだ。
レブランが教えてくれたその部屋に忍び込み、何かの家具の下に入ることにした。以前いたところと違って、こっちの部屋にある家具には足がついていて下に入ることのできるものが多い。ここならテーブルの話も聞こえるだろう。
それと、見つかって捕まえられそうになった場合に備え逃げ道を探しておけとのことだったので、部屋を見回す。天井を横切る四角い木まで駆け上れば問題ないだろう。鋼鉄の爪を使えば、壁は簡単に登っていける。
ただ、あまり普通の猫ではないところを見せるのも良くないような気もするので、これは最後の手段にしておこう。普通に走り回るだけでも人間から逃げることはできる。騒ぎを聞いてこの部屋に入ってくる人間がいれば、そのすきに開いた扉から逃げる予定だ。
部屋に人間が近づいてきたようだ。家具の下に入って待機する。
ドアが開き人間が入ってくる。全部で6人か。いや1人はここまで案内してきた人間のようだ。
5人の人間はテーブルを囲んで席に着く。4人は向かい合わせ、残りの1人は私がいる側に座っている。向かい合わせで座っている4人のうち2人は女のようだ。
「例の件ではご尽力ありがとうございました」
女がいう。ご尽力、知らない言葉だ。
「まあ、持ちつ持たれつということですな」
持ちつ持たれつ? これも聞いたことのない言葉だが、例の件でご尽力とやらをしたのがこの男か。私のいる側にいるやつだ。
「中止ということで、一安心です」
「中止ではなく、嫌疑なしということで捜査終了、というのが公式見解です」
「そうでした」
嫌疑なし、というのは聞いたことのない言葉だが、調べるのをやめる言い訳のようなものか。
扉が開いて人間が何人か入ってくる。食事を運んできたようだ。
「後はこっちでやるので、食事が終わるまで席を外してもらえるかな」
「かしこまりました」
食事を運んできた人間が出ていく。
「まったく、迷惑な話だ」
食事を運んできた人間が出ていくと会話が再開される。
「例の男はどうしたものか」
例の男? 誰のことだろう。
「盗みの現場で捕まったそうですから、無罪放免は無理がありますね」
ああ。あの捕まえた男のことか。
「余計なことをしゃべられても困るんだが」
「そうですね。せっかく終了したというのに」
「下っ端が何をいっても問題ないのでは?」
「そうともいい切れん」
「ああ。あの男にはここの市役所の人間が関わっているのですよ」
市役所という言葉は昨日教えてもらった。
「それはうかつですな」
うかつ、知らない言葉だ。
「もちろん直接ではありませんが、余計なことをしゃべられると困るのです」
しばらく沈黙が続く。食事でもしているのだろうか、食器の音が聞こえる。
あの男と市役所の人間が関わっていることが何か問題らしい。関わっていることをあの男がしゃべると、知らないふりをできなくなるということなのだろう。
「これまでよくやってくれたが」
「やむを得ないですね」
「そうですね」
「では、パテルマさん、お願いします」
「明日一番に連絡しておきましょう」
ん? 男を褒めているように思ったが、そのあと何か依頼したか? パテルマという左側の手前に座っている男がその依頼を受けたようだが聞き逃したのだろうか。
この後は、例の男の話はなく、狩りの話や商業組合の話が続いただけだった。ということは、最後の何かを依頼したところで何かが決まったということか。聞き逃したのはまずかったかもしれない。
しばらくして食事が終わり、男たちが出て行った。
それからすぐ食器を片付けに人間が入ってきた。片付けが終わると部屋の扉が少し開く。打ち合わせた通りレブランが開けたのだろう。部屋から外に出る。食堂のある建物から出るにはいくつかの扉があるが、レブランが先行して開けていくのでついていく。
建物の外に出た後、レブランと一緒にギルド本部に向かう。
鐘の音が聞こえてきた。この街にも教会があって朝から晩まで金を鳴らしている。
「セドネスさん達が待ってますので、報告はそこでお願いします」
「みゃあ」
わかった。
とはいうものの、大したことは聞けなかったように思うが。
この前と同じ会議室に入る。
セドネスとリスティナが待っていた。
「お待たせしました」
レブランはそういうと私に布をかける。
「どうでしたか?」
昨日と同様、布から頭を出し布の端もって体に巻き付けながら体を起こす。
「暗号表を盗んで捕まった男のことを話していた」
「そうでしたか!」
レブランは嬉しそうだ。
「私が隠れていたところから見て、右側の一番奥に座っていた女が礼をいって、一番手前の男がそれにこたえていた」
聞いたことのない言葉で返事していたが、その言葉は覚えられなかった。
「その女性は副市長です。そして手前の男というのは憲兵本部の長官です」
レブランが説明する。
「確かか?」
「はい。部屋に向かう5人は私が確認しましたし、席は給仕に確認しました」
腕を組むセドネス。
「家具の下から、しゃべっている女がどこに座っているかわかるのか?」
セドネスが私を見下ろす。
「4人の内2人が女だ。大きなテーブルに4人は向かい合って座っている。1人はさっきの右側一番奥、もう1人は近いほうの左側だ。なので間違うことはない」
「そうです。男女が向かい合って座っていることも確認できています」
レブランも説明する。
「男と女はどう区別したのだ?」
セドネスが続けて質問する。
「男と女では靴も服も違うのですぐにわかる」
「なるほど。位置は正しいようだな」
セドネスも信じてくれたようだ。
「他には何かいってましたか?」
私の方を見るレブラン。
何かを依頼していたようだからそのことを話すか。何を頼んだのかは聞き逃したのだが。
「パテルマという男が何かを引き受けた。私から見て左側の手前にいた男だ」
「保安部の男だな」
セドネスがつぶやく。
「ギルド本部からはパテルマさんだけですね」
リスティナが反応する。ギルド本部の保安部の男ということか。
「で、何かとは?」
セドネスが不機嫌そうな感じで私の方を見る。この男はずっと不機嫌だ。
「私が聞いたのは、あの捕まった男のことを、これまでよくやったと褒めた後、残念だという話になり、パテルマにお願いする、といっただけだ。何かを頼んだようには思えなかったのだが、パテルマが明日一番に連絡する、とこたえていた」
「それって、つまり...」
リスティナがセドネスの方を見る。
「まずいですね」
レブランがつぶやく。
やはり何かを頼んでいたのか。まったく気づかなかった。
いや、私が今伝えた内容だけでもレブランらは何を頼んだのか分かるのか。人間の言葉で知らないものはまだ多いが、知っていると思っている言葉でも違う意味があるのかもしれない。
「何を引き受けたのだ?」
この場でわかっていないのは私だけのようなので聞いてみる。
「恐らく、男を殺すつもりなんです」
なんと。
「そんなことを頼んだようには思えなかったが」
「直接は言わないんです。人を殺すというのは最も重大な犯罪なので」
これはレブラン。
「これまでよくやってくれたのに残念だ、といういいかたは、いなくなった人のことを話す時のいいかたなんです」
なるほど。
「生きている時に、いなくなった時のいいかたをするというのは、殺すという意味にとれるんです」
リスティナも説明してくれる。
「もちろん、直接そういってはいないので...」
「言葉の授業は後でやってくれ」
セドネスがいう。不機嫌さが増したようだ。まあ、長くなりそうな話だし、今でなくてもいい。
「失礼しました。明日ということは本部の定時連絡でしょうか」
レブランが話題を変える。
「こんなことを定時連絡に乗せられるでしょうか?」
これはリスティナ。
「明日一番に連絡する、といったのだな?」
セドネスが私の方を見る。
「そういっていた」
これは間違いない。
「ということは、正午の定時連絡ではなくその前の個別通信ですね」
リスティナがいう。あの火を使った通信でガレスウェルに連絡するということだな。
「パテルマさんは、いつも二度目の鐘が鳴るちょっと前に本部に来られます」
リスティナが説明する。
「通信は鐘の時間を区切りにして送られますから、業務上急ぎの場合、その日の最初の通信は二回目の鐘の時に送ります」
「なるほど。たぶん優先的に送るように言うんでしょう」
そういうとレブランは腕を組む。
「向こうの憲兵本部宛に連絡するのだろう」
これはセドネス。
「ガレスウェルの憲兵本部となると、レスメルスさんとかですかね。協力してくれそうなのは」
レブランが手を顎のところにやる。人間が何か考え事をする際にやるしぐさだ。私も今度やってみるか。
「我々がガレスウェルの憲兵本部に連絡をするのは不自然だな」
セドネスも手を顎のところにやるので、私もまねてみる。
「通常、私たちから連絡するのはギルド本部か、市役所宛だけですね」
リスティナが説明を加える。
「向こうの市役所の通信係に連絡し、何か理由を付けて、明日の午前中に届く、ギルド本部、市役所、憲兵本部、宛の通信を調べてもらうよう依頼するんだ。調査結果は明日中でもいい」
そういうとセドネスが組んでいた腕をとく。
「え? それだと手遅れになるのでは」
レブランがちょっと驚いたような表情で反応する。
「あの男から色々聞きたいのはやまやまだが、誰が関わっているのか関係者を把握したい。それにここからでは阻止は無理だ」
肩をすくめるセドネス。
「確かに。捜査は中止ですから何も聞けないですしね。何か理由を付けて依頼します」
「確認すべきことは、通信を行ったという事実の確認、誰に宛てた通信なのか」
これはセドネス。
やり取りからすると、あの男が殺されるのを防ぐことは困難ということか。関わりのある男なのでちょっと残念な気はする。そういえば、あのフクロウはどうしているだろう。
「まあ、今回の件はよくやったと褒めておこう」
私を見下ろしながらセドネスがいう。
褒められたようだが、不機嫌な顔でいわれてもな。
「ありがとうございます」
レブランが即座に礼をいう。まあ、レブランが喜んでいるならよしとしよう。
「聞いた話を伝えただけだが」
と返事する。やったことは実際この通りだし。諜報活動というのは地味なものだ。
「その話が重要なら、とても役に立つのだ」
役立ったのならもっと嬉しそうにすればよさそうなものだが。
「そうですよ、シイラさんはよくやりました」
リスティナは笑顔だ。
「送金の偽造についてはまだ捜査を始めたばかりだが、今回の5人が関わっていることは間違いないだろう。5人を足掛かりに捜査を進めることになる」
セドネスの説明にうなずくレブランとリスティナ。
「そういうことで、引き続きこの猫には協力してもらいたい」
レブランの方を見ながらいうセドネス。
協力するのは私なのだから、私にいうべきだと思うのだが。
「シイラさん、またお願いできますか?」
レブランが私の方を見ながら言う。分かってるじゃないか。
「ああ。そのために来たのだからな」
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