第7話 火煙

 その後、時日が経ち、業平一行は鐙検分の任をぶじ終えた。

 すでに、京へ帰る支度を始めている。

 

 そんな朝、式女が部屋に飛び込んできた。

「お助けください。娘が、瑠璃が、男に引き出されました」

「瑠璃姫が」

 業平は飛び起き、すぐ部下に命ずる。

「馬を出せ」

 狩衣かりぎぬに着替え、装束を従者と整えながら式女に聞くと、この夜のうちに、土地の男に連れさられたらしい。


 式女は、四方よもに助けを求めた。瑠璃姫の捜索が始まった。

 業平は、馬にくらを掛ける従者を見つつ、どこを探すべきか考える。

 

 土地の社寺は、場所が直ちに特定されるから、本気で連れ去るなら考えにくい。それに、その辺はもう土地の者が見に行っているだろう。

 では、自然の土地は。広いうえに、中を一度に見渡せないようなところ、どこかないか。そうだ、いぬいの方角に瀬高の土地があって、草の背が高いから、中が見えないはずだ、あそこなら土は乾いているし、今の時節なら一晩ぐらいは過ごせる。

「加流、お前は郷境さとざかいの方を探せ。わたしは乾方の丘に行く」

「では、お先に」加流は会釈すると見るや、馬に乗ると、もう飛び出していった。


 従者が、馬具を整え、一頭の馬を引き出してきた。

 この業平の馬は、都でも名高い白馬であった。

 その白さは、陽射しによって、時に薄く青味を帯びることから、青澄あおすみと名付けられていた。

 脚の速いことは無論のこと、気性が温順であり、何より姿が美しかった。

 馬の血統としては、代々、神宮へと奉る神馬しんめを産している名馬、白蔭しろかげの系統であり、業平の父親王が、生前、特に業平のために選び、育てた馬である。

 

 業平は、引き出された馬に乗った。

 馬上、式女に声をかける。

「ご心配なく」

 業平は、鐙で馬の腹を打つ。青澄は飛ぶように駆けた。


 乾の丘では、もう郷の者たちが瑠璃姫の捜索を始めていた。

 瑠璃たちはじっとしている。

 背高の草の中で、瑠璃と男の二人は、気配を消していた。

 その時、応援に来た郷の者たちが到着したが、どう口伝えを誤ったのか、

「この草むらに盗人ぬすびとがいるぞ」と言い、丘に火を放ってしまった。

 折しもの南風に、火はまたたく間に広がった。


 業平は馬を飛ばしながら、丘の方角に煙を認める。

さらに近づくと、「いぶり出せ」「捕まえろ」などと叫ぶ声が聞こえる。


 瑠璃姫たちはしばらく動かずにいたが、火の勢いが早い。

 あっという間に煙に巻かれ、右往左往しているうちに、互いの手が離れる。二人は、炎の中に孤立してしまった。煙でお互いが見えない。


 業平が到着すると、周囲は炎に包まれていた。

 火炎の熱と、煙の匂いに、青澄は後ろ立つ。

「どう、平気だ。行こうぞ」

 業平は、馬を草むらに乗り入れる。

「瑠璃姫、姫」


 煙が渦を巻く。踊る火の粉に、瑠璃の体が怖れを感じる。

 遠く、自分を探す声を聴いた彼女は、苦しい息のうち、歌うように叫んだ。


 武蔵野は 今日は 焼かないで

 大切な あの人もいるし 

 わたしも かくれているの


 あっちだ。

 業平は、馬の首を巡らすと、叫ぶ声に向かう。

「青澄、もう少し辛抱」

 馬を気遣いつつ、草を倒して進む。

 見つけた。

 瑠璃は、煙を避けようと、顔に手を当て、立ち上がっていた。

 

 急ぎ、業平は馬から降りる。

 近づく女を目の前に、問う。

「瑠璃姫、おけがは」

「わたくしは平気です。業平様は」

「大丈夫です」

 二人は笑った。

 互いに抱き合い、自然に体を寄せる。

 二人の言葉は、問答ではない。挨拶だった。

 そして二人は、その意味を知っていた。

 周囲に、炎が迫る。

 業平は、急いで瑠璃を馬の背に上げ、自らも飛ぶように跨った。

「頼むぞ、青澄」

 二人は、脱出にかかった。


 郷の者たちは、ばらばらに火から逃げ出していたが、丘の縁で、瑠璃を連れ出した男を取り押さえた。

 確かに、業平様が火の中へ入っていったはず。皆が、草むらの中を心配そうに眺める。

 煙の中に、何か動くものが見え隠れした。すぐに、白い馬が走り出た。

 遠近の差で、炎の中から、馬が飛び出したように見えた。

 郷の連中は、一瞬驚いたが、馬の背に業平と瑠璃がいるのを見、肩をたたいて喜び合った。

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