むかし、むさし野で

森野雅戸

第1話 式女のこと

 時は平安時代。


 その式女しきめというのは美しい女で、都を離れてしばらくたつのに、今でも宮廷人の口の端に上ることがあった。美しいばかりでなく、男勝りの才にも長けていたという。

 名は、確かでない。女に限らず、朝廷では表立って、本の名を呼ばれることはなかったから、実際、本名を知らぬ者のほうが多かったのだ。

 ただ、その女の親類が式部省の役人であったので、あだ名のように「式女」などと呼ばれ、「かの式女」とでも言えば、誰もがその女を思い浮かべるのであった。


 彼の女の父は、宮廷に出仕していたというが、位階はまだ低かった。

 ある時、式女の父がお仕えする宮人が、武蔵国むさしのくにの国守に任ぜられた。

 東国へと向かう主人に、父は付き従うこととなった。

 式女は、父のほかに身寄りもなく、朝廷の殿ばらとは幾つも噂があったものの、誰とも縁づいていなかった。

 それで、ともに武蔵に旅立つことになったのだ。


 武蔵野の広大な原野。初めて見る鳥や獣。

 あたり一面に広がる、紫草むらさきそうの白い花。紫草は武蔵野の名草であり、その根は高貴な紫色の染料ともなった。

 体を包む自然の景色が心の無聊ぶりょうを慰め、なにか通ずるものがあったのだろうか。

 国守として四年の任期が終わり、かの宮人が都へ帰る時。親子はしたがわなかった。そう、ここ武蔵野に居着いたのだ。

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