第15話 総帥ペタル


 鶏の鳴き声で目が覚めた。

 寝ぼけ眼のアルデアは、天日干しの匂いが心地よい布団の中で伸びをした。


 

「今日は……何をするのかな……。」



 壁掛け時計が指しているのは、朝の6時。掛け布団を足元に畳んだ彼女の体を冷たい空気が包み、体がぶるりと震える。


 昨日、アズキに突然退院を告げられ、ミルヴァスに連れられてこの寄宿舎へ来た。

 

 寄宿舎ではセダムと再開し、これからの生活の説明を受け――随分と忙しい一日だった。


 ミルヴァスは支給品の説明をしたあと、アルデアが自宅から持ってくるよう頼んでいたリリーヴァを出してみせた。その白いドレスを見たアルデアは、胸が締め付けられるような郷愁にかられ思わず涙を零してしまった。


 ミルヴァスは何も言わず、彼女が落ち着くのを待ってから「また明日」と部屋を出て行った。


 その後、入れ替わるようにセダムが来て、『今日は疲れただろうから、特別』と夕飯を持ってきて――。


 ぐぅ、と腹がなって、空腹を思い出す……。



 ――そういえば、朝は食堂に来るように言われていたっけ。

 

  

 クローゼットを開く。ハンガーにかかっているのは、昨日アズキが持ってきたブラウスとスカート、制服、そして、リリーヴァ。たった3着だけだ。


 

「……どれを、着ればいいんだろ……。」

 


 スリップ1枚になって、リリーヴァを体に当てて姿見を見る。前にこのドレスを着た時は、自分がまるで絵本から抜け出したお姫様のように見えた。


 でも今は……この緑色の瞳がどうしてもリリーヴァに似合わない気がする。自分が着るのは、なんだか違う。そう思ったアルデアは、リリーヴァを部屋の片隅にあるトルソーに着せた。


 

「……今じゃない、よね……。」

 


 じゃあ、いつなんだろう……。なんとも言えない気持ちになった彼女は、カーテンを開けて外を見る。


 窓の外には広い庭が見えた。囲いの中に小さな小屋があって、鶏たちが地面をつついている。


 

 「わ、鶏がたくさん……! 」

 


 白い羽に赤いトサカ、綿毛のような烏骨鶏、色とりどりの羽を震わせるチャボ――。その愛らしい仕草に見とれていると、小屋の中からとても大きな、真っ白い鶏がのっそりと歩いてきた。



(大きい……。あの子がリーダーなのかな……。)


 

 他の鶏の3倍はあろうかという体は、足下までがふわふわの羽で包まれている。


 他の鶏と同じように地面をつついていたその鶏は、顔を上げると、急にアルデアの方に視線を向けてきた。


 

「ひっ……! 」



 思わずカーテンを閉める。何故だか、睨みつけられたような気がしたのだ。


 アルデアがカーテンの隙間から再度外を覗こうとしたその時、ノックの音がして、振り返った瞬間――


 

「入るぞ。」


 

 あの低い声が聞こえて、扉が開いた。


 

「あ、ちょっ、待ってください……!」

 

「……何をしている?」


 

 カーテンにくるまる彼女に、ミルヴァスは不思議そうに声をかけた。


 

「き、着替え中です……! 閉めて、もらえますか……?」


「……すまない。」


 

 きっと本当に悪気はないのだろう。悪気はないが、デリカシーもきっとない――。


 

(あの人、女子寮に普通に入ってくるんだ……。セダムさん、どうして何も言わないんだろう……。)



 ふぅ、ひとつ、ため息が漏れる。

  


「朝早くにすまないが制服に着替えてくれ。これから行くところがある。」



 ミルヴァスは扉の外からいつもの調子でそう言ってきた。

 


「私は外で待っている。タルシアとソノリスを持ってくるように。」



 数分後。制服に着替えたアルデアは、玄関の前に立っているミルヴァスに駆け寄った。



「おはようござ……。」

 

 

  言いかけて、息を飲む。さっきの白い鶏が囲いの中からじっとこちらを見ていたからだ。


 

「おはよう。どうかしたのか? 」


「いや……あの……なんか、見られてる気がして……。」


 

 鳥小屋の方を見たミルヴァスは、


 「あれは、気にしなくていい。」と言ってさっさと歩き始める。


 そんなことを言われてもともう一度鶏を見たアルデアは、慌てて彼の後ろを追いかけた。

 


「ところで、今日はどこに行くんですか? 」



 庭園の中にあるレンガの小道。ミルヴァスの黒い髪が風でそよぐのを見上げながら聞いてみる。

 


「今日は、総帥……魔法機関のトップのところへ行く。」


「い、一番偉い人……って、ことですか!? 」



 声がひっくり返った。

 


「そうだ。魔法学校に入る子供は皆総帥にお目通りすることになっている。」



 ミルヴァスはやはり何でもないことのように言う。

 

 

「そ、それをもっと早く……! 」



 退院のことも、総帥のことも――。


 この人はどうして大事なことに限って黙っているのか。 

  


「どうしよう……。私、変じゃないですか!? 寝ぐせとか……あ! タイ、曲がってないですか!? 」


「大丈夫だ。ただの子供にしか見えない。」



 焦って身支度をチェックするアルデアを見たミルヴァスさんは、言いながらポケットをごそごそと漁る。

 


「そういうことじゃなくて! 」



 本当にこの人は何なのだろう――。文句の一つでも言おうとしたアルデアは、その背中に顔をしたたかにぶつけた。



「いきなり止まらないでください……。」 


「ここが総帥棟だ。」



 突然告げられた言葉に、鼻を擦りながら顔を上げる。

 

 2人がたどり着いたのは、糸杉に囲まれた石造りの建物だった。威圧感のあるその佇まいに、アルデアは思わず口をつぐんだ。

 

 彼女の様子など気に留める様子もないミルヴァスは、ポケットから取り出したソノリスを扉横の装置にかざす。



「教官ミルヴァス・ミグランス、共鳴児童アルデア・ヘロディアスを伴い参上いたしました――お目通りを賜りたく、お願い申し上げます。」



 彼が低い声でそう告げると共に装置は輝きを放ち、固く閉ざされた扉がゆっくりと左右に開いていく。


 ミルヴァスはスタスタと中へと歩みを進め、扉が開くのをぼーっと眺めていたアルデアは「待ってください」と後ろへ続いた。


 2人が入るのを見届けたかのように、扉が閉まる。



「わぁ……。すごい……。」



 総帥棟の廊下を歩きながら、小さな息が漏れる。廊下の壁に埋め込まれた大きな水槽の中に、おびただしい数の金魚が泳いでいたのである。


 種類も大きさも異なる金魚たちが、水の中で美しく尾ひれをひるがえす。


 

「お待ちしていました。」



 凛とした声。水槽の前で2人を待っていたのは、赤茶色の髪の女。

 

 

「総帥室直属補佐官のセネシア・クレイニアと申します。」



 制服の着こなし、きっちりとアップにまとめられた髪――どこをとっても隙のないその人は、アルデアに向かって優雅に会釈する。


 

「ア、アルデア・ヘロディアスです! よろしく、お願いします! 」

 

「しっかり挨拶ができるのは感心です。こちらへどうぞ。」



 緊張でこわばる彼女に、眼鏡の奥の瞳がふっと柔らぐ。セネシアは、2人を伴って薄暗い廊下を歩きだした。


 そして、ひとつの扉の前で立ち止まると、先ほどミルヴァスがしたのと同じようにソノリスを扉横の装置にかざす。


 

「総帥、お目通りです。」



 静かに開いた扉。

 

 促されるまま室内に入ったアルデアは、執務机につく一人の老人を見た。

 

 胸の下まである、編まれた白髪。異様に白く透き通るような肌――。

 ミルヴァスやセネシアが着ている制服を反転したかのような真っ白な服を着た老人は、その濁った瞳をアルデアに向けた。


 

「よく、いらっしゃいました。」


 

 低くよく通るのに、どこかこの世のものではないかのような――透明な声だ。



「私は魔法機関総帥、ペタルと、申します。」



 生きているのに生きていない、存在自体が世界に「そぐわない」と感じさせるその雰囲気。



「名を――。」

 


 圧倒されたアルデアは、声も出せずに固まるしかできなかった。


 

「アルデア、名前を……。」

 

「……アルデア・ヘロディアスです――! 」


 

 ミルヴァスに促されて、辛うじてそれだけ絞り出す。


 アルデアの名乗りを受けたセネシアが低くつぶやく――「チューニア」。


 その瞬間、彼女の瞳がほんのりと桃色に染まり、足元には水面のような文様が静かに広がっていく。文様から放たれた光の筋は一匹の魚の形をなして浮かび上がり、セネシアの手にある分厚い本に吸い込まれるように消える。


 

「アルデア・ヘロディアス。確かに受け取りました――その名を、ウィザード名録に登録いたします。」


 

 セネシアがそう告げた瞬間、アルデアは室内の空気がわずかに震えるのを感じた。


 

「調律、いたしましょう。」


 

 同時に、キーン……という音がして、頭の奥が直接揺さぶられるかのような感覚に陥る。

 

 音が溶けるように消えると、セネシアはアルデアに向かって静かに微笑んでみせた。


 

「完了です。結界と魔力周波の調律を行いました。今後あなたのゆらぎがこの結界内で異物と見なされることはありません。」

 

「前へ。」


 

 ペタルが言う。ミルヴァスに背を押されたアルデアは、緊張しながら執務机の前へと歩み寄った。空気の揺らぎすら感じさせないほど凛、と立ち上がったペタルは、アルデアの頭に手をかざし――


 

「――委細、承知。」



 淡々と、しかし揺るぎない調子で告げた。


 

「あなたを、誇り高きウィザードの一員として、認めましょう。」

 

「おめでとうございます。」


 

 セネシアの足元に広がった水紋が静かに波打ち、そこから桃色の光がアルデアを包むように、ふわりと浮かび上がる。



(すごく、あったかい……。)

 

 

 やがて光は形を成し、幾重にも重なる金魚の幻影へと姿を変えた。


 幻の魚たちは、水のない空間をまるで泳ぐように――静かに、厳かに、アルデアの周囲を巡った。

 

 彼女の髪を、制服の裾を、すり抜けていく金魚の舞。その美しさにアルデアはすっかり見とれてしまっていた。視界を埋め尽くすような金魚たちはやがて緩やかに、泡のように、消えていく。


 

「ソノリス、タルシアへの個人登録を完了しました。」



 夢見心地のアルデアに、セネシアは告げる。

 


「あなたの資質と適性を鑑み、クラス『ルクス』への配属を言い渡します。そして担当教官として、ミルヴァス・ミグランスを任命いたします。」


 

「はい。責任を持って教育に当たって参ります。」


 

 ミルヴァスが言い終わった、まさにそのとき。

 にゃー……と、場違いなほど間の抜けた鳴き声が響いた。

 

 それが、やけに耳に残った。


 

 儀式を終えた後、セネシアに見送られて総帥棟を出た2人は再度寄宿舎への道を歩いていた。

 

 歩きながらだんだんと足がもつれ、アルデアはその場にしゃがみ込んでしまう。



「どうかしたのか? 」


「いや……あの……なんか……力が抜けちゃって……。」



 総帥棟という場の重圧感が、その小さな体には重かったのだ。

 


「総帥……よく分からないけど、すごい人……なんですね……。なんだか、私……。」


「……無理もない。」



 その様子を見たミルヴァスは、空を見上げながら言う。


 

「総帥は、200年以上の時を生きていると言われている。」


 

 視線の先には、一羽のアオサギが飛んでいた。灰色の羽が朝日を受けて鈍く光を放っている。

 


「に、200年!? 人って、そんなに生きられるものなんですか!? 」


「普通なら無理だな。しかし、あの方はオルロから直々に不死の祝福を受けた『死なない』ウィザードなんだ。」


「死なない……ウィザード……。」



 その言葉の意味が、アルデアにはなかなか咀嚼できなかった。

 スピカは確か65歳だった。5月の誕生日の時にそう言っていた。あのペタルという人は、200年以上生きていて――つまり今、何歳なのだろう。


 ミルヴァスはぐるぐると考え込むアルデアの方へ向き直ると、黒い手袋を外しながら言った。

 


「何はともあれ、君の魔法学校入学は許可された。良かったな。」


「は、はぁ……。」


「改めて、君の担当教官のミルヴァス・ミグランスだ。今後とも、よろしく。」


 

 アルデアに向かって生身の手が差し出される。



 「よろしく、お願いします……。」

 


 彼女は少しカサついた、すらりとした手を取った。



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