第13.5話 リンゴ畑の夕暮れ


 オルロ魔法機関のある街、モリオール――。

 

 そこから北へ向かう空に、三つの影が浮かんでいた。

 

 真っ白なグリフォンと、煌びやかな箒、そして一匹の大きなコウモリである。午後の穏やかな日差しの中、彼らは悠々と秋の青空を渡っていく。

 

 

 「しっかし、あれからもう2週間経つんじゃねぇ。時間の流れは速いわ」


 

 グリフォンの背に乗った女が、ゆるく束ねた金髪を揺らしながら呟いた。

 

 

「あまり飛ばすなよ。仕事の前に体力を消耗されると困る」



 その隣を飛ぶのはミルヴァスである。ゴーグルで顔の半分を覆い隠した彼は、グリフォンの女をたしなめるように言った。


 

「舐めんでな。そけ軟弱じゃなかよ」



 女はアクアマリンの瞳を挑発的に細めて笑う。


  

「あん子、アルデアっちゅうたっけ? そん後どうなん? 」

 

「心身ともに順調に回復している。昨日入学手続きを済ませたので、来週には寄宿舎に移るだろうな」



 2人の間を小さな鳥がすり抜けていった。

 

 

「『あっち』ん方はどうなん? まだ目ぇ覚めとらんの? 」

 

「……そうだな」



 ため息交じりに行ったミルヴァスは、眉間にしわを寄せて箒の先端を見る。何を考えているのか、ゴーグルに覆われた目からはうかがい知ることはできない。

 

 

「報奨金とか、どけなるんかねぇ。共鳴した子ぉの家族はもらえることになっとるじゃろ? 」

 

「彼女の目が覚めないことにはどうにもならないからな。あの子の希望を先に叶えておくことにしたんだ」

 

「懸命じゃね。でも、まさか……こげなことになるなんてなぁ……」



 女もまた複雑な表情を浮かべて吐き捨てる。

 

 

「まあ、でも、共鳴したんは幸運じゃったね。孤児になっても魔法機関におれば将来安泰じゃし」

 

「……だな」

 

「入団特典、毎年色んな子ぉの希望を聞いちょるけど、あん子は何を希望したと? 」

 

「自宅から荷物を運び出してほしいということだ」



 それを聞いた女は驚いたような表情を浮かべて言った。

 

 

「荷物ぅ? そんなん後から外出許可取って自分で行ったやよかやない。たった一つの願い事をそけ使うん、もったいなかよ」

 

「彼女の希望だ。私たちが口を出すことじゃない」


「ま、そいもそうじゃね」


 

 ミルヴァスの先を飛ぶコウモリがククゥ、と声を上げる。ミルヴァスはその声に応えるように箒の向きを変え、高度を下げる。



 「あそこのツタの這った建物だ」


 

 リンゴ畑に囲まれた、深い緑色のシェードがかかった建物だ。

 その庭先に降り立った2人は、屋根にかかった看板をじっと見つめる。


 

「――ブティック シネレア、ね。んで? こっから何を運び出したらよかと? 」


 

 ミルヴァスはゴーグルを外し、懐から取り出した手帳を見ながら読み上げる。


  

「糸車、機織り機、ミシン、紡ぎ車、トルソー……」

 

「ちょっと待ち。そけいっぱいとは聞いちょらんじゃ」

 

「言ってなかったか? 」

 

「ぜーんぜん聞いちょらん。せいぜい服とか日用品くらいかと思っとったわ。なんで言わんの? 」

 

「お前なら別にいいかと思っ――」



 言いかけたミルヴァスは、額を指で弾こうとしてきた女をするりとかわす。



「やめろ」

 

「機織り機まで運ぶったら、報酬2倍もらわんな割に合わんじゃ。夕飯2日分でどう?」

 

「仕方ないな……」

 

「交渉成立」

 

 

 2人は軽口を叩きながら店の中に入る。


 中は時間が止まったかのような、住んでいる人間だけが忽然と姿を消してしまったかのような様子だった。


 カゴに入ったままの洗濯物、ストーブの上にある鍋、洗い場に残された食器。そして、寝室だろうか――2階の部屋に残されたマグカップまでもがそのまま残されている。


 手仕事について門外漢な2人は、家の中にある手仕事道具をああでもないこうでもないと言いながら一つ一つ外に運び出していった。


 庭先にあるもみの木の下でグリフォンが寝息を立て始めた頃、最後の一つを運び終えた女は両手をパンパンと払う。

 

 

「こいで全部? 」


「恐らく。確認を……」

 


 女は黙り込んだミルヴァスの方を見る。彼は手帳を開いたままギュッと目を閉じ、深く息をついた。

 

 

「……またいつもんアレ? 飲むもんさっさと飲んどきよ」

 

「平気だ……」



「あ、あの! 」


 

 不意に声が聞こえた。2人が振り向くと、扉の所にワンピースを着た少女が立っていて、不安げな面持ちで2人を見ている。

 


「何か用ね? かわいかお嬢さん」



 その少女に、ミルヴァスは見覚えがあった。


 

「君はこの間の……」

 

「知り合いけ?」


「アルデアの友人だ。メル……といったか?」


「そうです。お兄さん、この間のウィザードさんですよね」


 

 メルはミルヴァスに向かって深く頭を下げた。


 

「この間はごめんなさい。ウィザードさんの仕事を邪魔して……。ほんとにごめんなさい」


 

「別に邪魔されたとは思ってない。こちらこそ君が欲しい情報を提供出来ず申し訳なかった」



 ミルヴァスは何か思い出したようにコートのポケットを漁る。


 

「ちょうど良かった。君にも用があったんだ」


 

 手袋をはめた手が取りだしたのは、白い封筒だ。


 

「これ、君に渡して欲しいと頼まれた」

 

「手紙……?」

 

「友人からだ」

 

「アルデアから!?」


 

 メルはミルヴァスの手に飛びつくように封筒を受け取り、その封を開ける。

 勢いよく封筒を開けた衝撃で便箋がぽろりと零れ落ちる。

 


「おっとぉ。危なかよ。そけ急がんでも取り上げたりせんよ。はしと持っちょり」



 女は便箋を受け止め、メルの小さな手に持たせてやる。


 

「あ、ありがとうございます」


 

 メルは便箋を受け取ると、その内容を噛みしめるように読んだ。

 


 「そっか…………そうだったんだ……」


 

 読み進めるうちに、手が震え、肩が震え、ヘーゼルの瞳に涙がにじむ。


 

「アルデア……」



 長い髪が風にさらりとさらわれる。


 

「生きてるんだ…………良かった……」



 小さな肩を震わせる姿を見た女は、その前にしゃがみ込んで、よしよし、と頭を撫でる。



「お友達んこと、そけ心配しとったんじゃね。優しか子ぉじゃ」



 それを皮切りに、メルは堰を切ったように泣き出した。


 彼女の姿を見たミルヴァスは何か言おうと口を開いたが、女に無言で制される。


 静かなリンゴ畑の真ん中で、少女の泣き声だけがしばらく響いていた――。

 

 

「……魔法機関では本来こういうことはあまり推奨されていない。私はアルデアに頼まれたものを取りに来ただけで、君に手紙を渡すことまでは約束していない」



 しばらく後、メルが落ち着くのを待っていたミルヴァスは、静かに話し出した。

 

 

「だから、君が今日私たちに会ったことも、手紙を受け取ったことについても、他言無用ということで頼みたい」

 

涙で目を真っ赤にしたメルがきょとんと顔を上げ、「たごん……って?」と尋ねた。

 

 

「他ん人には内緒ってことよ。約束守れる?」

 

「守れます!誰にも言いません!」


 

  時はすっかり夕刻だ。家から運び出した手仕事道具が、ミルヴァスによって作り出された銀色の大きな箱に収められる。


 ミルヴァスは、箱の両側に取っ手代わりにつけたリングに牽引紐を通す。そして、自らのベルトとグリフォンの足にその先端を固定した。


 

「ウィザードのお兄さん、お姉さん、本当にありがとうございました!」


 

 封筒を胸にぎゅっと抱きしめたメルは、大きく手を振った。



 「タハッ! お姉さんは照れるじゃ」


 

 メルに軽く会釈を返したミルヴァスは、箒に跨がりながら隣の金髪に声をかける。


 

「帰るぞ。ニア」


 

「んだね」


 

 女もまた、グリフォンの背に跨る。


 一陣の風が吹いて、夕暮れの空に二人の影が再び舞い上がった。


 空を仰ぎ、瞬く間に小さくなっていく背中を見送ったメルは、手に抱えた手紙を胸に抱きしめる。

 


 「アルデア――」



 思い浮かぶのは、明るくて、前向きで、少し抜けている大好きな友人の姿だ。洗礼式の日に突然姿を消してしまった彼女のことを、メルはずっと想っていた。



 「また、会えるよね……」


 

 誰に言うでもなく言った願い――。小さな声は、どこからか漂ってくる煙のにおいと共に、橙色の空へ吸い込まれていった。


 

 抱きしめた手紙。ペンで綴られた筆跡が、こぼれた涙でにじんでいく。



※本作に登場する人物たちの、もう少し柔らかい表情が見たい方へ。

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