第11話 手を取るとき


「それで、お話っていうのは……」



 ごくり、とつばを飲み込んだアルデアが緊張した面持ちで問う。ミルヴァスはベッドサイドの椅子に腰かけると、彼女に一枚の書類を渡した。



「今朝、君の今後についての話し合いの場が持たれた。これはそこでの話をまとめたものだ。一度目を通してほしい」



 アルデアは書類の内容に目を通――そうとしたが、読めない。



「どうかしたのか」



 ミルヴァスはアルデアが書類を見ながら首をひねっているのに気付く。



「すまない。君は学校に通っていなかったのだったな。文字が読めないなら口頭での説明にするが、どうする」


「え、えっと……」


 

 実際の所、アルデアはルーナにきちんと文字を教わっていた。なんなら店を手伝うために簡単な計算なども教わって出来るようになっていた。


 しかし、書類に走っているのは金釘ともミミズともつかない、何とも『味のある字』で――。



「説明……お願いします……」


「分かった」



 9歳のプライドが少し、傷ついた。



 ミルヴァスがアルデアに話したのはこうだった。


 薬の効果でアルデアの体が順調に回復していること。

 フロースとの次の8回目のセッションで精神的な回復が認められ次第、退院が許可されること。

 退院後は魔法学校に入学し、寄宿舎での生活になるということ。



「――ここまでで、質問はあるか? 」


「いえ、特には……」


 

 正直まだ実感が湧かなかった。不安げな表情で下を向くアルデアを見たミルヴァスは、「次に――」と話を続ける。



「先日話した、君の母君との面会が許可された」


 

 胸の奥が詰まるような心持ちがした。何故だろう。


(怖い。けど……会いたい。 )

 

 会えば、きっと今まで通り「おかえり」と笑ってくれる。そう思いたい。


 でも――もし、違っていたら?

 

 変わってしまった姿を見るのが、怖い。触れられない距離が、怖い。


 アルデアは唇を噛み、かすかに震える手で入院着の裾をギュッと握りしめた。


 


 ――



 ルーナがいたのは、四方をガラスで囲まれた集中治療室であった。


 血の気のない顔でベッドに横たわる彼女は、体のいたるところから出ているチューブによってかろうじてその生をつなぎとめているようだ。



「事件直後は本当に危なかったけど、この一週間でようやく状態が安定したよ」


「お母さん……」



 少し前まですぐそばにあった顔だ。ガラス一枚の隔たりが、アルデアにとってはとても遠いものに思えた。


 今すぐそばに行きたい。そばに行って、いつものように抱き着いて、頭を撫でてもらって――。


 考えているうちに目頭が熱くなって、何も言えなくなってしまった。ガラスに手をついたまま俯いたアルデアに、付き添いのラルスは静かに告げた。



「ルーナさんの体は、鋭い刃物で切り付けられたみたいに大きな傷が出来ていてね。そこから血がたくさん流れたことで体の中――内臓とかね、がうまく働かなくなるところだったんだ。だからまず手術で傷口をふさいで、それから俺が作った特性のお薬を点滴して、体が傷ついたところを自分で治せるように手伝ってあげたんだ。ここまで、OK? 」



 アルデアは小さく頷く。

 


「今のところ、傷口からばい菌が入り込んだり、お薬が体に合わなくて熱を出したりってことはなくてね。普通なら傷が治るのと一緒に目も覚めるはずなんだ。けど、ルーナさんはどうやら、傷を負った時に怪異が持ってる悪いものが体の中に入り込んでしまったみたいでさ。それが悪さをして目を覚ますことが難しくなってるみたいなんだ」



 ゆっくりと、絵本でも読み聞かせるような調子でラルスは続ける。

 


「俺たちはルーナさんの体を解析したり、薬の調整をしたりしてこの悪いものをやっつけようとしてるわけなんだけど……まだやっつけ方がよく分かってなくてさ。ルーナさんが目を覚ますまで、時間がかかりそうなんだ」



 ガラスにミルヴァスの影が映っているのが見える。腕組みをしてラルスの話を聞いている彼は、何を考えているのか、じっと床の一点を見つめていた。

 

 

「医療部は魔法機関の中でも人の命を守ることを一番に考えてる部署だよ。もちろん、ルーナさんが元気になれるようにみんなで全力を尽くしていくつもり。だけど、医療部だけじゃどうにもならないことってあってさ。そういう時は、機関に所属してる他のウィザードのみんなに手伝ってもらうんだ」



 警報のような音がした。白衣やスクラブに身を包んだスタッフが、3人の後ろを早足で通り過ぎていく。

 


「俺はそのウィザードの中に、君も入ってほしいと思ってる。君一人の力でどうこうしろって話じゃなく、命を助けるための仲間として君の存在が必要なんだ。これはルーナさんだけじゃなく、出来るだけたくさんの人に助かってほしいっていう医者としての俺の願いでもある。……もしかしたら、ルーナさんを目覚めさせるきっかけを作れるのは、君だけかもしれないしね」


 

 ラルスはアルデアに向き直ると、青い瞳にほのかな笑みをたたえて手を差し出す。

 


「君がここに来たことには意味があるんだよ。ジェムの祝福を受けた君はもう、誰かを、命を助けられる側だ。君が来てくれたことを、魔法機関は歓迎するよ――」



 見るからに硬そうな大きな手だ。


 手が震える。


 命を守る、お母さんを助ける――そんな特別で重大なことが、果たして自分にできるのだろうか。


 ただの仕立て屋の娘である自分に、本当に……? 


 思わずミルヴァスの方を振り返る。顔を上げた彼は、アルデアの顔を見て、一度だけ頷いた。


 大丈夫と、言ってくれているのだろうか――。


 アルデアは一瞬逡巡した後、おずおずとその手を取った。

 

 


 ――

 

 

  翌日。


 「アズキさんはどうしてこの国に来たんですか? 」


 

 椅子に腰かけ、左足の裏でボールを転がしながらアルデアが話しかける。


 

「藪から棒ですね」


「気になっちゃって」


 

 その傍らでバスケットを漁り、タオルを取り出したアズキは耳をピンと動かす



 「大した理由ではありません。……少々身辺がごたつきまして。逃げてきただけです」


「一人で来たんですか? 」


 

 アズキは「いかにも」と答え、アルデアの足の下にあったボールを外してタオルと入れ替える。



「足の指でこれを引き寄せてみてください。そう、そう。上手です」



 アルデアが言われた通りにするのを褒めるその声は、やはり無機質だ。


 

「アズキさんはすごいですね。一人ぼっちで心細くなかったんですか? 」


 

 ぽつりと言う。見知らぬところに一人という状況が、今のアルデア自身と重なって思えたのだ。

 


「そのように感じている暇はありませんでしたね。私を怪異と思って追いかけてくるウィザードから身を隠すのに必死でしたので」


「そ、そこからどうやってここまで……? 」


「捕らえられた際、機関が私の能力に興味を持ちました。そして取引きを持ち掛けられたのです」


「どんな取引を……? 」


「衣食住を提供するからここで能力を活かさないか、というものです」



 アルデアの足元でくしゃくしゃになったタオルが再び引き延ばされ、もう一度、と促される。

 


「文化も言葉も違う異国で生きるのは大変なことです。ある意味私は幸運でした」


「ちなみに、アズキさんの能力っていうのは……? 」


「特別にお見せしましょうか」

 


 アズキはアルデアのベッドサイドにしゃがみ込んだまま、その手を取って自らのしっぽに触れさせた。



「ほわぁー……もふもふ……」



 思わず気の抜けた声が漏れてしまう。アズキの毛並みは、触っているだけで眠ってしまいそうなほど極上の手触りだった。



「これが私の能力です」



 声音は相変わらず無機質なのに、手に伝わってくる体温はあたたかくて、柔らかい。それだけで、この人も生きているんだ、と感じてアルデアはふっと心がゆるむのを感じた。



「アズキさぁん……」

 



 思わず涙がこぼれた。アズキは抱き着こうとしたアルデアをサッとかわして立ち上がる。



「今日の訓練は終わりです。次があるので私は行きます」



 尻尾が揺れる。辛辣な様子は相変わらずだけれども、けだるげな目は、少しだけ笑っていたように見えた。


※本作に登場する人物たちの、もう少し柔らかい表情が見たい方へ。

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