第8話 甘美なるフラヴェリア

 フロースによる催眠療法が始まって3日が経った。

 

 窓の外は雨模様である。

 

 今朝も手際よくバイタルチェックを終えたアズキに、アルデアは恐る恐る話しかける。


 

「あの、アズキさん……は、その……猫さん、ですか……? 」


 

 アズキは耳をピンとふるってアルデアに向き直る。相変わらず眠たげな目だ。よく見るとその瞳は深い黄金色をしていて、切れ目のような縦長の瞳孔が彼女が異形であることを物語っている。



(りんごジャムみたいな目だな……。)



 赤茶色の髪に黄金色の目。その色彩は、ルーナ、スピカと3人でお茶を囲んだ日のことを思い出させた。たっぷりりんごジャムを入れた甘酸っぱい紅茶の味が舌に蘇る。



「『さん』をつけるのは礼儀として正しいですね。感心です。私は猫、というより、正確には猫又という妖怪の一種です。」



 アルデアがそんな郷愁に駆られていることなど露知らず、アズキは無愛想な声色でそう言った。

 


「妖怪……ってどういうものなんですか? 」


 

 異国の言葉なのだろうか。それはアルデアにとって聞きなれない言葉だった。


 

「ここよりもずっと東の国に生息している、この国で言うところの怪異のようなものです。」


「怪異!? 」



 驚くアルデアにアズキは無機質に続ける。

 


「と言っても、こちらの怪異のように人間に害をなす存在ではありません。どちらかというと人間に友好的な種族です。」


「そ、そうなんですね……。でも、妖怪さんがどうしてここに……? 」


「……諸事情ありましてね。私は魔法が使えませんが、準ウィザードとしてここにいることを認められています。」


「魔法が使えない……ウィザード……? それってどういう……? 」

 

「諸事情です。」


「は、はあ。」


 食い気味に話を断ち切られ、アルデアはそれ以上を聞くことが出来なかった。


「おしゃべりはここまで。私は次があるのでそろそろ行かなければなりません。」


「は、はい。ごめんなさい。」


 

 アズキの言葉は、その声音とけだるげな目つきと相まって少々きつく感じる時がある。しかし、アルデアは不思議とそれが嫌ではなかった。


 

「今日も行っちゃったなぁ……。」

 

 

 入院生活というのは退屈なものである。フロースとの催眠療法以外であまり人と会うことがないアルデアにとって、毎朝のアズキとのひと時は貴重なコミュニケーションの時間になっていた。


 ぽす、とベッドに体を預ける。自宅であれば天井の木目に顔を探して30分は潰せるが、ここはどこもかしこも真っ白で何の面白みもない。


 

「編み物したいなぁ……。」



 ルーナの道具入れからかぎ針を一本、取り出す。しかし、針があっても編むものはない。

 


「髪の毛で何か作れたりしないかな……? 」



 かぎ針という日常に触れたことで、アルデアの頭の中には従来の職人気質が戻りつつあった。


 2本どりした髪の毛でドイリーを編む場合、どういう編み図にするか――。人毛はごわごわしてあまり品質がよくなさそう。糸始末は……。


 そこまで考えて、ふとアズキの顔がよぎる。彼女が耳を動かすたびに跳ねる赤茶色の髪は実に柔らかそうで、洗ったばかりのウールを思わせる質感に見えた。

 


「あの髪、きっとふわふわなんだろうな。紡いで編んだらあったかいマフラーができそう……。」


 

 アルデアは手元に糸を空想してかぎ針を動かしていた。これは手持無沙汰な時の彼女の癖だ。


 作り目15、作り目をして、中長編み。何を作るでもない、ただこうして手を動かしているのがいいのだ。空想の編み物が20段ほど仕上がった頃、彼女は自分の顔が誰かに覗き込まれているのに気付いた。

 

 

「こんにちは。何してるのかな? 」

 

「編み物を……。え!? 」



 アルデアは跳ねるように身を引く。ベッドサイドにしゃがみ込んでいたのは、プラチナブロンドの髪をひとつにまとめた女だった。


 

「じゃーん! 私だよ! 」


 

 女は勢いよく立ち上がり、エプロンの裾を持ってポーズを決める。全く知らない。


 

「だ、誰ですか!? 」

 

「ミリカだよ! ミリカ・ルブラ! よろしくね! 」


 

 そう名乗った女は、乳白色の瞳をパチリとウィンクさせる。

 

 

「ミリカ……さん? え、いつからそこに……? 」

 

「私は魔法機関の栄養士兼調理員! 普段は厨房にいるよ! 」



 あまり会話がかみ合っていない気がした。

 

 

「栄養士……。」

 

「あなた、アルデアだよね? 」



 アルデアはいきなり眼前に迫ってきたミリカの顔にたじろぐ。色白の肌に散ったそばかすがチャーミングだ。

 

 

「そうですが……。」

 

「そっかそっか。うーんと? 目がこんな感じで鼻がこんな感じで……うん! いいね! 」



 ミリカはぼそぼそと何か言いながら手持ちのノートに何かを書き込む。

 

 

「今日はアルデアに色々質問しに来たんだ! 好きな食べ物とかある? 」

 

「好きな食べ物ですか? えと……りんごが……あっ、今は無理でした。スープが好きです。」

 

「りんご、どうして無理になったの? 」

 

「えと、あの……。」



 先日のことが頭をよぎり、アルデアは表情を曇らせる。その一瞬をミリカは見逃さなかった。

 

 

「いいよいいよ。答えたくないこともあるよね。スープってどんな? コンソメ? トマト? 」

 

「おばあちゃんのスープです。」

 

「どんな味がするの? 」



 アルデアは少し目を伏せてから、ぽつりと言った。

 

 

「しょっぱくて、生姜がきいててあったかい味です。」

 

「具は何が入ってるの? 」

 

「玉ねぎと、にんじんと、骨がついたお肉と、キノコです。」

 

「おー。アルデアは野菜もキノコもちゃんと食べられるんだね。偉い偉い。」



 乳白色の目を細めてくしゃりと破願するその顔が、どことなくメルに似ている気がして、アルデアは懐かしさを覚える。

 

 

「ほんとはにんじん苦手なんですけど、スープに入ってれば食べられます。」

 

「そかそか。よっぽど美味しいんだね。」


 

 ミリカの質問はしばらく続いた。食べ物の好き嫌いから身長体重、誕生日、果ては出身地の特産品まで……内容は多岐にわたっていた。アルデアが答えるたびにミリカはその内容を真剣な顔でノートに書き込んでいった。


 全ての質問を終えた時、ミリカは満足げに笑った。



「よし! 質問終わり! 長い時間ありがとうね! これお近づきの印! 」

 


 アルデアが手渡されたのは切り取ったノートの一枚である。

 


「わぁ! すごい! 絵が上手なんですね! 」


 

 それはアルデアの似顔絵であった。ペンのみで描かれたその絵は、この短時間で、しかも聞き取りをしながら描いたとは思えないほど緻密で美しかった。



「でしょ! サインもつけようか? プレミアつくかもよ? 」



 ミリカはおどけた様子でポーズを決める、この強烈な明るさにアルデアは慣れ始めていた。



「ミリカさんって面白いですね。ミリカさんもウィザードなんですか? 」


「そうだよ! 私は食べ物の栄養価や味をいじるのが得意なの! ジェムの名前、『フラヴェリア』っていうんだ! 素敵でしょ! 」



 乳白色の瞳がつるりと光る。ミリカがノートを閉じた時、ページの間に挟まっていた紙がはらりと落ちた。



「わ、っと、と、と……。」



 紙が落ちる直前にキャッチしたアルデアは何気なくその紙に目をやる。紙に描かれていたのは、ウェーブの長髪をした少女だった。年の頃はアルデアと同じくらいだろうか。大きくぱっちりとした目はまるで人形のようで、美少女という言葉がしっくりくる顔立ちをしている。



「ありゃー、ごめんごめん。ありがと。」



 アルデアから紙きれを受け取ったミリカはぺろりと舌を出しておどけて見せる。


 

「この子は? 」


「かわいい子だよね! 友達になれると思う! 」


「この子も入院してるんですか? 」


「そのうち会えるよ! 楽しみにしてて! 」


 

 ……やはり微妙に会話がかみ合わない。



「あ! よかったらこれあげるよ! この子にもあげようとしたんだけど、いらないって言われちゃってね! だからアルデアが大事にしてくれたら嬉しいな! 」


「え? あの、いいんですか? 」 

 

「そろそろ仕込みの時間だから私行くね! 色々教えてくれてありがとう! アルデアのために腕によりをかけてご飯作るからね! 」



 ミリカはエプロンを翻し、慌ただしく病室を出て行った。

 静かになった室内に一人残されたアルデアは、ミリカからもらった少女の似顔絵をしげしげと眺める。


 ワンピースに身を包んだ少女の傍らには、『ウルラ・ノクチュア』という名前が記されていた。

 


「ウルラ……っていうんだ。どんな子なのかな。」

 

 

 友達に、なれるだろうか。

 

 降っていた雨はいつの間にか止んでいたようだ。雲の隙間から差す光が、濡れた石畳をゆっくりと照らしていく。

 アルデアは似顔絵を胸に抱えながら、その光の先にいる誰かを想像していた。



---


 

 アルデアがアズキマフラーの構想を練っていた時、ナースステーションで一人書き物をしていたアズキは、ひとつ大きなくしゃみをした。

 


「風邪……かねぇ。」


 

 ペンを止め、ほんの一瞬何かを思案するように目を伏せる。


 正体の分からない、足先から迫ってくるような寒気。それを追い払うような耳を動かした彼女は、書き物の続きを始める。


 アルデアが自分の毛でマフラーを作ることを考えていたなんて、当然知るはずもない。





※本作に登場する人物たちの、もう少し柔らかい表情が見たい方へ。

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