第2話 ベイビーズブレス

 次の日。朝に降った雨が地面を濡らし、午後の空気にやさしい土の匂いが混じっていた。


 大きな紙袋を抱えたアルデアは、くすんだ青色の屋根と白壁の家の前に立っていた。木製の扉に据えられた呼び鈴を鳴らすと、「はーい」と元気のいい声が返ってくる。


 

「アルデア! 来てくれたんだ! 」


 

 ぱっと開いた扉から飛び出してきたのは、金髪をポニーテールにまとめた少女だった。深緑のワンピースを着た少女は、アルデアの姿を見てキラキラとそのヘーゼルの目を輝かせた。


 

「お祝いを渡したくて。赤ちゃん見て行ってもいい? 」


「わざわざありがとう。もちろん! 入って入って。」


 

 少女はアルデアに微笑みかけ、家の中を指し示す。アルデアは「おじゃまします。」と靴を脱いで中に上がり込んだ。


 

「ちょうど起きてるとこだよ。」


 

 通されたリビングには小さなベビーベッドが設えてあり、オルゴールのメロディーに合わせてメリーがくるくると回っている。その下には、ベッドの半分ほどもない赤ん坊がちょこんと横たわっていた。

 

 

「わぁ! かわいい! 何て名前なの? 」


「かわいいでしょ。ティトって名前なの。」


 

 大きな目にふくふくとした頬の赤ん坊は、まだぶ小さな手を閉じたり開いたり、つぶらな瞳で辺りを見渡したりと忙しく動いていた。


 

「ティト君。いい名前だね。」


 

 アルデアがそう言うのと同時に赤ん坊がにやりと笑う。まるで自分が名前をほめたことを喜んでいるように見えて、アルデアは思わず歓声を上げてしまった。やがてリビングの扉が開き、家の奥から一人の女が出て来る。


 

「おはよー。ティト泣いてなかった? 」


「おはよう。大丈夫だよ。起きて平気? 」


「メルが見ててくれたから割と寝れたわ。ありがとね。」


 

 髪をスカーフで無造作にまとめた女は、あくびをしながら大きく伸びをした。肩の凝りをほぐすように首を回し、アルデアの存在に気付くとハッと驚いた表情を浮かべる。


 

「あらアルデアちゃん、来てたの? こ、こんにちは……。」


 

 寝間着姿で恥ずかしそうに手をもじもじと動かす彼女に、アルデアは少しの気まずさを感じながらも「こんにちは。」と頭を下げる。


 

「あのねママ、アルデア、お祝い持ってきてくれたんだよ。」


「そうなの? わざわざありがとう。」


「ラナおばさん。出産おめでとうございます! こっちの箱はお母さんとおばあちゃんからで、リボンの袋は私からです。」


 

 アルデアから紙袋を受け取ったラナは、内側に細いテープで貼り付けられたメッセージカードを取り出して中を見るとふふっと声を上げて笑った。


 

「あらあら、何が入ってるのかしら。開けて見てもいい? 」


「も、もちろんです! 」


 

 無意識に背筋を伸ばしたアルデアは、ラナがリボンを解くのを緊張した面持ちで見つめる。袋を開き、中身を包んでいたクリーム色の薄紙を剥がしたラナは驚いたように声を上げた。


 

「これ……。」


 

 入っていたのはアルデアが完成させたベビードレスと、細かいフリルをあしらったボンネットである。ラナとメルは口をぽっかりと開けてその出来栄えに見入っていた。


 

「アルデアちゃん、これ、どうしたの? 」


「あの、わ、私が作ったんです。」


 

 アルデアは2人の反応を窺いながらためらいがちに言う。


 

「アルデアが? 」


「うん……。」


 

アルデアは一呼吸おいた。胸の奥から、言葉が自然とこぼれていく。


 

「糸を紡いで、染めて、織って、縫って……。」


「全部一人で? 」

 


「そうだよ。この青はクサギの実。刺繍はかすみ草で、どっちにも“幸福”って意味があるんだって。ティト君が幸せになりますように、って思って作ったの。そしてデザインは……。」


 

 誇らしげに熱弁をふるいかけたアルデアは2人が黙り込んでしまったのを見て慌てて手を振る。


 

「あ、いけない。余計なこと喋りすぎるなって言われてたのに……。あの、頑張って作ったけど、まだまだ未熟だっておばあちゃんには言われてて……もし気に入らなかったら……その……ごめんなさい。」


 

 しばらくドレスを見つめていたラナとメルは驚いた表情でアルデアに視線を移す。


 

「すごいわ……。」


「え? 」


「すごいわアルデアちゃん! 」


 

 興奮したラナはアルデアの肩を掴んでぐらぐらと揺さぶる。


 

「服を作るだけでもすごいのに、糸を紡ぐところからやったなんて。中々出来ることじゃないわ! 」


「……メルに初めて兄弟が出来るって聞いたから。お祝いしたくて……。」


 

 されるがままに揺さぶられるアルデアに今度はメルが抱き着く。


 

「ありがとうアルデア! そんなに考えて作ってくれたなんてすっごくうれしいよ! あたしお姉ちゃんになってよかった! 」


 

 メルは興奮した様子で言うと、ラナと一緒になってその出来栄えを眺め始めた。

 

 ドレスが二人の間で行ったり来たりしているのがアルデアには不思議に映る。自分が作り出したもので、こんなにも喜んでもらえるなんて―――。

 

 心の奥がじんわり熱くなり、体が宙に浮かぶような、今まで感じたことのない高揚感が体に満ちている。

 

 綿花を摘み、種を取り、不純物を飛ばして糸を紡ぐ。染めて、織って、縫って、刺繍を入れる――。


 これは、彼女がドレスを作り上げるまでに経た工程である。


 メルのところに赤ん坊が生まれると聞いたアルデアは、友人に祝福の気持ちを伝える術を必死に考えた。そして、これまで母や祖母を手伝う形でしかやったことのなかったこれらの作業を全て一人で行い、完全なる手作りのベビードレスを作ることを思いついたのだ。


 嫌気がさしたり、うまくいかずに投げ出しそうになったりすることもあった。それでも、友人のために何かをしたいという強い思いがあったから、彼女はここまで頑張ってこられたのである。

 


「このドレス、来週の洗礼式に着せて行きましょう。」


「そうだね! 私もそれがいいと思う! 」


「いいんですか? そんな大切な日に。」


「だからこそよ。この子のためにアルデアちゃんが心を込めて作ってくれたドレスだもの。きっとオルロ様も祝福してくださるわ。」


 

 ドレスに小さなハンガーを通し、そっと壁にかけたラナはにっこりと笑って言う。


 

「そうだ。せっかく来たことだし、アルデアちゃんこの子のこと抱っこしてあげてくれない? 」


「え! そんな、上手く出来るかな……。」


「大丈夫だよ。アルデア、腕を私と同じ形にしてみて。」


 

 アルデアはメルがするように両腕を体の前に出し、ゆりかごのような形を作る。ラナは赤ん坊を慣れた手つきで抱え上げると、彼女の腕の中にそっとその小さな体を納めた。


 

「わぁ……ちっちゃーい……。緊張しちゃうよ……。」


 

  アルデアの不安を感じ取ったのか、それまで眠たげにしていた赤ん坊はふすふすと鼻を鳴らし始め、うめくような泣き声を上げ始める。


 

「わ! どうしよう! 泣いちゃった。」

 

「どれ。」

 

 

 ラナはあたふたするアルデアから赤ん坊を受け取ると、その体を揺らしてあやしてやる。


 

「おしめは濡れてないからきっとお腹が空いたのねぇ。ママとあっちのお部屋いこうね。アルデアちゃん、お構いもできずにごめんね。メル、お茶出してあげてね! ゆっくりしていって! 」


 

 慌ただしく廊下の奥へ消えて行ったラナを見送りながら、アルデアは手に残るぬくもりを噛みしめていた。

 

 

「赤ちゃんってあんなに小さくてふにゃふにゃなんだね。」

 

「ね! ママったらメルにもこんな時があったんだよって何回も言うの。おもらししたこととか! ひどくない!? 」


 

 そこから2人は他愛もない話に花を咲かせた。ひとしきり話し終え一息ついたところでメルが思い出したように紅茶のカップから顔を上げた。


 

「そういえば。最近このあたりで怪異が出てるらしいよ。」


「怪異? 」


「うちのパパ、自警団長でしょ? ここ3か月くらい夜に呼び出されることが何回もあって、この間ママと話してるのこっそり聞いちゃったの。詳しいことはまだ分かってないんだけど、その怪物、おっきい蜘蛛みたいなんだって。」


「蜘蛛!? やだやだ……。無理! 」



 アルデアは大の蜘蛛嫌いである。8本の脚をうじゃうじゃと動かした怪物が襲い掛かってくる様を思い浮かべると、思わず鳥肌が立つ。

 

 

「その蜘蛛みたいなやつがね、夜に家の中に入ってきて……。」


「は、入ってきて……? 」


「そこまでは分かんない。」


「分かんないの!? もう、怖がって損したよ! 」

 


 メルは拍子抜けしたアルデアにいたずらっぽく舌を出して見せる。



「ごめんごめん。でもホントに分かんないんだよね。襲われた人はその蜘蛛が入ってきた後のこと覚えてないみたいで。」


「じゃあ誰が自警団に伝えたの? 」


「お肉屋のおじさん、ね。玄関で“何かが這ってきた”って叫んで……。でもそのあと、覚えてないって。」

 

「……這ってきたって……なにそれ……。」



 メルは小休憩しカップのお茶を一口すする。

 


 「そしたらね、今度は見回りしてた自警団のおじさんが襲われたんだって! たまたま一緒に見回りしてて別行動してたパパのとこに悲鳴が聞こえて行ったら、暗がりにおっきな怪物が見えたって言ってた。」

 

「怖い……! パパさん大丈夫だったの? 」


「カンテラの光にびっくりしてすぐ逃げてったみたいだからパパは無事だったよ。でもそれを見て自警団だけじゃどうにもできないって思って魔法機関に報告することにしたみたい。」

 


 不安げな表情を浮かべていたアルデアの顔がパッと明るくなる。

 

 

「魔法機関!? ってことはウィザードさんがこの村に!? 」


「そういうこと。」



 メルは何故か気取った様子だ。

 


「えー!? ウィザードさんって物語の中の人たちだと思ってたよ。本物が来るなんて……! えー、どうしよ。ちゃんとした格好した方がいいかな……。今からきれいな服一着仕立てようかな……。」


「いいないいな。あたしも仕立ててほしい。可愛い恰好してたらもしばったり会ったときサインもらえちゃったりして……ってそうじゃなくて! 」

 

 

 少し得意になってしまった自分を諫めるように、メルはピシャリと両頬を叩く。



「ウィザード様が出てくるくらい大事になってるからアルデアのうちも気を付けてねって話! 」

  

「何の話してるの? 」


 

 メルの話は、鋭い声によって遮られた。


 

「ママ。」


 

 2人がリビングの入り口に目をやると、授乳を終えたラナが赤ん坊の背中をトントンと叩きながら戻ってきたところだった。機嫌悪そうに眉間にしわが寄っている。


 

「メル、自警団から正式に発表されてないことを勝手に話したらダメ。いつも言ってるでしょ。」


「でも……! 」


「ごめんねアルデアちゃん。大丈夫よ。怪物はきっとウィザード様がどうにかしてくれるから。今聞いたことは秘密にしてね。」


 

 曖昧な笑みを浮かべたラナは赤ん坊をそっとベビーベッドに横たえる。


 

「さ、ティトも寝たし二人ともあっちでケーキでもどう? いただきものなんだけどなかなか美味しいのよ。」



 その後、アルデアが自宅に帰ったのは夕刻であった。ラナから持たされた山ほどのリンゴが入った紙袋を両腕に抱えた彼女は、日が落ち始めた道を一人歩いていた。


 肌寒い風が吹いて、どこからか煙のにおいがする。アルデアはこのにおいが好きだった。


 煙のにおいと紙袋から立ち上ってくる甘酸っぱいリンゴの香りを胸いっぱいに吸い込み、彼女は今日のことを思い出していた。ベビードレスを見て思った以上に喜んでくれた2人の顔、初めて抱いた赤ん坊の感触、ラナが言う通りとびきり美味しかったケーキの味、そして……


 

「蜘蛛……。」



 幸せな記憶を上書きするように、メルが言っていた怪異の話が思い出された。

 

 怪異が現れるのはそう珍しいことではない。しかし、彼女の耳に入るのは人の多い都会での出現情報ばかりで、どこか他人事のように感じている部分があった。当然怪異を倒すべく活躍するウィザードについても、『物語の中に出てくるような正義の味方』以上の認識は持っていない。


 今まで疑うことなく信じていた安寧が脅かされているという事実がいやに彼女の心をざわつかせていた。


 アルデアは自分の腕をさすった。さっきまであった赤ん坊のぬくもりが、急速に冷めていくような気がした。

 

 肌寒い風が吹き抜けていき、アルデアは紙袋の中のリンゴを見つめたまま立ち止まる。どうしてだろう。頭の中にぼんやりとあの緑色の少女の姿が浮かび上がった。


 

 一層強い風が吹き、視界の端にきらりと光るものを捕えたアルデアはハッと空を見上げた。



ーーーーー



 

 沈みゆく太陽を背に空を飛ぶ人影がある。2人は箒のようなものに跨り、もう一人は大きな翼の生えた動物の背に乗っているようであった。


 

「見た感じ怪異らしいものは見えませんね。」

 


 栗色の髪をシニヨンにまとめた一人が何かを探すように下界を見て呟いた。


 

「怪異が発生するようなギスギスした村には見えんけどねぇ。」



 それに答えるのは長い金髪を無造作にくくったもう一人である。訛りが強く、やる気なさげな声音の彼女にもう一人がたしなめるように言う。


 

「見た目だけで判断できるものではない。人が集まればどこにでも発生する可能性はある。」


 

 黒い短髪にごついゴーグルと顔の下半分を覆う防具を着けた人物である。

 金髪はその言葉にハイハイと頷くと、跨った動物の首元を掻いてやりながらだるそうに話を続けた。



「こげん毎晩のように出現しちょるっちゅう話なんに、私らが来っとキレイさっぱりおらんくなるなんて、どげんカラクリなん? 」

 

 

 風に乱れそうな栗色の髪を軽く抑えた一人は「分かりませんけど……」と話を続ける。



「自分の危機を予知する怪異がいたという前例があります。これ以上被害者が出る前に早く対処したいところです。」



 栗色と金髪の2人が話している最中、ゴーグルがハッと箒を急停止させる。勢い余ってその脇を追い越した2人はゴーグルの方を振り返った。



「急に止まらんで! 」


「どうかしましたか? 教官。」


 

 ゴーグル越しで定かには分からないが、その視線は一本道を歩く少女に注がれているような気が栗色にはした。



「あの子がどうか? 」



 チョコレートブラウンの髪を顎で切りそろえた少女である。リンゴの入った紙袋を抱えた彼女は驚いたような顔で空にいる自分たちを見つめている。



「今一瞬何か……。」



 ゴーグルはしばらく彼女を見つめていたが、やがてふっと視線を外し「何でもない」と再び箒を進めだした。



「そういうんよかって。サボらんでな。」



 相変わらずけだるげな金髪の額にゴーグルの手から放たれた何かが当たり、怒る金髪とそれをなだめる栗色の声が夕闇に溶けていった。




※本作に登場する人物たちの、もう少し柔らかい表情が見たい方へ。

『るみな・りねあ余話集』にて、オマケ会話劇や設定資料を公開しています。

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るみな・りねあ余話集

https://kakuyomu.jp/works/16816927859225434319

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