第2話 2, 小料理バー「夕」

お昼のお弁当販売を終えた絢梨は、次の仕事の為に大量のお惣菜を仕込んでいた。


奈子は2年前にこの『福幸堂』にやってきた。従業員募集と住人募集を同時にしたところ、住み込みで働かせてほしいと言い出したので採用することにしたのだ。奈子が来て以降、オーナーである絢梨は特技で趣味でもある料理だけは担当だが、それ以外の雑務はほぼほぼ任せている。そのおかげで他の仕事も始めることができ、昼のお弁当販売もその一つだ。もう一つ、絢梨が始めたのは、夜のバー『夕』でのアルバイトである。そこのママである夕子さんは絢梨の祖母・芽依子の古くからの友人で、その繋がりで得意料理を少しずつお店で販売してもらっていたのだが、シェアハウスを離れる時間が出来たことでアルバイトとして普通にお店に立つことにしたのだ。また、夕子さんがだんだん高齢になってきたということもあった。


全てのお惣菜を作り終えると絢梨は出かける準備を始めた。


「奈子ちゃん!じゃあ私行ってくるから!よろしくね!ご飯は炊いてあるしおかずは全部冷蔵庫にあるから!」


「あ!はーい!行ってらっしゃーい」


『福幸堂』を出た絢梨がまず向かったのはここから自転車で5分ほどの距離にあって祖母・芽依子が住んでいる前島家本家だ。一応説明しておくと『福幸堂』は、元々前島家本家の離れだった建物を少しだけ改装して古民家風にした物件だ。今は土地と建物の権利もすべて絢梨のものになっている。絢梨が高校1年生の時に亡くなった祖父の遺言だった。


「おばあちゃん!遅くなってごめんね。これ、今日のおかず」


本家に着いてそう声をかけると、屋敷の奥から上品な和服を身に纏った芽依子が出てきた。この瞬間だけは和装好きで普段着として着ることもある絢梨ですら、ここだけ時間が止まっているみたいだと感じる。


「おやおや。そんな毎日届けてくれなくても大丈夫だよ。適当に食べるから」


「ついでだからいいの。それに適当とか言っちゃだめ。栄養ちゃんと取ってね。」


「ありがとね。じゃあ、頂くね」


「うん。あ!明日、柑奈ちゃん来るんでしょ?私も昼から来るから!」


「相変わらず独り身で暇を持て余しているらしいからね。何を言いに来るんだか」


「んふふ。まあいいじゃない。柑奈ちゃんには自由が似合う」


柑奈ちゃんは絢梨の母の妹、つまり絢梨の叔母である。


祖母と別れて『夕』に向かうと、既に店の電気が付き暖簾がかかっていた。


「こんばんはー。遅くなってごめんなさい」


「あ!絢梨ちゃんお疲れさま!さ、みなさん、この瞬間から食事メニュー解禁ですよ!」


夕子さんは既に座っている数人のお客さんに対してそう宣言した。実は夕子さん、バーのママなんだけど料理が苦手で簡単なお酒のアテくらいしか自分では作らない。その宣言を聞いて盛り上がってくれるお客さんの声を聴きながら、絢梨は持参した割烹着を身に着けた。


「やっぱり絢梨ちゃんは割烹着が似合うなぁ」


1人の常連客がそう言ってくれる。


「ありがとうございます」


「え?それ、どういう意味?今時の子っぽくないってこと?古臭いってこと?」


夕子さんがそんなことを言うもんだから、お客さんは慌てて訂正する。


「いやいや!そんな意味じゃないよ!単純に、本当に似合うよって」


「いいんですいいんです。私にとってはめちゃくちゃ誉め言葉なんで!」


夕子さんは元芸者で話し上手なんだけど、一方で思ったことはハッキリ言うし案外毒舌。でも、そこが常連さんたちには人気な訳で。


「絢梨ちゃん。甘酢から揚げ1皿頂戴」


「はい。かしこまりました」


お客さんたちからの食事のオーダーが落ち着いたころ、一人の常連客が話し始めた。


「そういえばさ、『福幸堂』の隣になんかでき始めてるよね?」


「ああ。そうなんですよ。でもまだ、何か分からなくて」


絢梨がそう答えると、夕子さんは得意げに口を挟んでくる。


「あれはね、陶芸教室ができるらしいわよ」


「え?そうなんですか?なんでそんなこと知ってるんですか?」


「あはは。私の情報網を舐めないで」


情報網・・・これ以上深堀するのはちょっと怖い気もする。


「ほーん。陶芸教室ねえ。なんでまた、こんなド田舎にそんなもん作ろうと思ったのかね。とんでもない変人だったりしてね」


お客さんはそう言って笑った。


「ちょっと。隣人が変人は勘弁してほしいですね。」


「はは。適当なことを言ってすまん。ただ、やっぱり芸術家というのは多少は人と変わったところがあるもんじゃないのかねえ」


「あら。確かにそうね。だって絢梨ちゃんだって・・・ある意味、芸術家だったじゃない?」


「ちょっ・・・!夕子さん止めてくださいその話は!」


「え。なになに。絢梨ちゃん、昔なんか作ったりしてたの?」


「いや、何でもないんです。忘れてください!!・・・ていうか、今の文脈でその話だと私も変人って言いたいんですか?!」


「そりゃあ・・・。こんな田舎で18歳からシェアハウス経営して、近所のバーで料理作ってるって、まあまあな変人でしょ」


絢梨はあからさまに動揺していたが、なんとか話を切り返してその場は終わった。


そして、閉店時間になりお客さんが全員帰った後、夕子さんはテーブルの片づけをしながら絢梨に問いかける。


「絢梨ちゃん・・・もう本当に、作ったりしないの?」


絢梨は、夕子さんに背を向けてキッチンの片づけをしながらボソボソと答える。


「・・・はい。もうやり切ったと思うし、作れば作る程気持ちが乱れるので・・・」


「そう・・・。うん。ごめんね、変なこと聞いて」


その日の帰り道、絢梨は自転車に乗りながら久しぶりにあの頃のことを思い出していた。


母が突然蒸発し、父も不慮の事故で死んで、兄と二人で祖父母に引き取られた中学1年生の頃。


悲しいような悔しいような、どうしようもなかったあの感情を、ただひたすら、美しい琥珀糖を作ることにぶつけていた、あの夏の日々を。


突然、呼吸が苦しくなる。やはり、ダメだ。思い出すと、苦しくなる。


途中で自転車を降りて、しばらく休んで落ち着きを取り戻した後、絢梨はその思い出に再び鍵をかけて、『福幸堂』への帰り道を急いだ。

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