闇を刻んで野薔薇を捨てて
七四季ナコ
第1話 アイスとは氷のことを言う。
「よう、帰ったぞ」
アキラがアパートの薄いドアを開けると、そこには放置された死体が・・・・・・もとい、死体のように横たわる眼鏡の男性が横たわっていた。見たところ20代前半。いや、厳密に言うとアキラは知っていた。23歳の神坂ツカサである。その死体は首だけ器用に動かすと、口を開いた。
「おかえりアキラ。書けたか?」
「知ってるだろう? ぼちぼちだ」
24歳。白髪。呼びかけられたスーツの男、鞍上アキラはいつものように答えるとスーツのネクタイを緩めた。アキラは会社の昼休み、バスの中、電車の中。あらゆるところで小説を書く。その進捗は至っていつも『ぼちぼち』なのである。小説家ではないただの一社畜としての自覚ある彼で有れば仕方のない事だ。
「で、その様子ではお前は何してた? ツカサ」
アキラは手に持っていたコンビニのビニル袋を味気ないテーブル(エナジードリンクの缶が積み重なったそれ)に置くと、横たわったままで起き上がる様子もないツカサの頭を黒い靴下で踏んだ。アキラにとってはその死体を蘇生するための術式であったはずだが、当のツカサは意に会することもなく無表情でそれに答える。
「それはもう、一日中書かせていただいたとも」
「それは何文字くらい?」
「2文字かな」
死んだ魚の目とはこれである。アキラはそれに笑いながら、しゃがんで顔を覗き込む。その顔は童心の八重歯を剥き出して勝ち誇っていた。
「俺の勝ちだな。俺は今日5536文字を書いだぞ。会社で生活費を稼ぎながら、だ」
ツカサはアキラの八重歯を眼前に見上げながら、またしても冷めた顔でため息をついた。
「そう言う論点なら僕にも反論は可能さ。あそこを見ろ」
そう言うと、はじめて起き上がりながら狭いリビングのちゃぶ台を指さした。そこにはラップがかけられた鯖の竜田揚げとサラダ。そしてナスの揚げ浸しが煌めいている。
「僕は小説を『2文字』書きながらアレを仕上げていたと言うわけだ。何か言うことはあるか?」
その瞬間、アキラはあまりにも無駄のない所作でその場に両の手をつき足を揃えて頭をつける。それは紛うことなき『土下座』の型である。
「いえ、何も言うことはございません! ありがとうございます!」
そう言うとそそくさと台所で手を洗い、意気揚々と食卓に着く。ラップについた蒸気からするとまだ暖かいのだと見てとれる。対するツカサはやれやれとため息をつきながらキッチンに立ち、コンロに火をつけた。
「しじみ汁は今温める。待てんのか?」
「待てないね! いただきます!」
「野獣かお前は。しょうのないやつだ」
そう言いながらツカサは微笑む。この二人の事情は複雑なようで全然複雑ではない。単に家はあるが職の無いツカサのアパートに、職はあるが家のないアキラが転がり込んだ、ただそれだけである。もし、特殊な事情があるとすれば。
「時にツカサ、今お前は何ページくらい書けたんだ?」
事情があるとすれば、二人とも小説家を目指していると言う事である。それも一般の小説ではない。ファンタジー、SF、ミステリー。数あるジャンルの中でも今やアニメ化、映画化と引っ張りだこのトキメクジャンル。ライトノベルの、である。
「56ページほどか。そこから5日進んで無いな」
味噌汁を小さなちゃぶ台に置きながらツカサは目に見えて大きなため息をついた。どうやら先程の死体の演技は彼の心中をそのまま表していたらしい。
「そう言うお前はどうなんだ?」
「わからん。4回めの23ページ目だ」
アキラはそう答えながら竜田揚げと白米を口いっぱいに頬張る。既にスーツのジャケットは傍に丸められた布団の上に放り投げられていた。ツカサはそれを見ると小さなため息と共にそれを拾い上げて、傍のハンガーに掛ける。
「お前は書き直しがすぎるからな。わかってるのか? 次の電撃大賞まであと3ヶ月しか無いんだぞ?」
「そうは言っても、いつもダメ出しをするのはお前じゃ無いか。いい加減『面白い」の一言を吐いてみろ」
「面白ければ面白いと言うだろうさ。だがアキラ、お前の話はいつもスケールばかり大きくてディテールが甘いから、どうにもリアリティが・・・・・・」
「そんな事はわかってる。だから次のヤツは見てろよ、って言いたいんだよ」
そう言いながら、アキラは美味い美味いと連呼して鯖の竜田揚げを平らげる。その様子にツカサはため息を吐くが、どこか満足気な顔を見せる。彼は自分も席について茶を飲みながらアキラに聞いた。
「で、いつ読めるんだ?」
「俺は書くの早いからな。1ヶ月もあれば形にするよ」
それを見てツカサは視線を空の皿に落とした。
「そうか。30日も有れば僕も60文字くらいは書ける・・・・・・か?」
「何を言っているんだ。俺が許すかよ」
そう言うとアキラは箸を箸置きにチャリンと音を立てて置いて、手を合わせた。しかしその目は険しい。
「アイス買ってきてやったんだから、それ食ってやる気だしな」
「アイスなんてどこにある?」
ツカサの一声に、アキラはハッとなる。その視線はツカサの背の向こう、テーブルに積み重なったエナジードリンクの中だ。コンビニの袋は結露した水でぐっしょりと濡れている。
「あ、アイスには違わない」
アキラはテーブルに歩み寄って、肩を落としながらコンビニの袋の中を弄った。そこには無惨にも柔らかくなったカップアイスの箱がちょうど二つ。
「アキラ。アイスとは氷の事を言う」
「ち、違う! この場合のアイスはアイスクリームの略だから、氷である必要は無いんだ! 成分は同じなんだからありがたく食べやがれ!」
今度はツカサが肩を落とす番だった。彼はアイスクリームの蓋を開けると、ゆっくりと慎重にビニールの蓋を開く。
「氷の中には何がある?」
その中にあったのは白い蕩けたバニラの海だ。ツカサはスプーンでゆっくりとその中を掬った。飛び出してきたのはチョコレートの板だ。差し詰め、海から浮かんできた戦艦の甲板とも言えるか。
アキラは頬杖をついてツカサに声をかけた。
「北極の氷が溶けたら、中から恐竜が出てきた。って言うのはどうだ?」
それを聞いてツカサは目を細める。
「普通だな。それだと普通のSFだ。そもそも『恐竜』という単語がリアル寄りだし、死体が出てくるだけならそんなに面白くも無い。やはり生きた『竜』が出てくるくらいじゃないと物語は動かないのでは?」
それを聞いてアキラも頷いた。
「同意見だ。でもそれだとただの怪獣映画になるぞ」
ツカサは溶けたバニラをスプーンにとって啜りながら、非難するような視線をアキラに向ける。
「俺なら氷は溶かさないな。氷漬けのドラゴンの方が物語として美しい」
アキラは肩をすくめて苦笑いをする。
「そんなもの登場させたところでいつまで凍らせとく? 凍ってるうちは読者はワクワクするが、いざ解凍した途端に魅力を失うだろ」
そう言ってアキラは自分の分の溶けたアイスからチョコレートの板を掬い出す。そしてそれをカリッと噛んだ。
「俺なら北極なんてケチな事は言わないね。海王星あたりから氷漬けの竜を発見させるんだ。そして調査隊が乗り込んだところで氷を割って逃げ出す! ドラゴンが宇宙に羽ばたく!」
楽しそうに身振り手振りを動かす。ツカサはそれを見て不意に唇を触りながら思案した。
「確かに良いが。結局はお前の好きなSFになってしまうんじゃ無いか」
アキラはすっかり興奮したようにメモ帳にこのアイデアを書き留めていた。
「宇宙なら住む生命体というのを定義して、そこから物語を発展させる! 竜は数万年のサイクルで世界を創成し直す神話級のサイクルの管理者だった。不用意に刺激した人類は滅ぶ! これだ!」
ツカサは思案した結果を紡ぎ出す。それはカウンターパンチのようにアキラの脳裏を揺さぶった。
「そんなに話の展開が上手くいくものかよ。やはり俺なら北極がいい。氷漬けのドラゴンを巡って各国の資源争いが起こるんだ。陰謀と策謀の中、主人公とヒロインはどこの国よりも早く偶然竜に到達して交流する。だがその瞬間後から乗り込んできた強大な帝国が竜を刺激してしまい、竜が世界を滅ぼそうとする。それを主人公とヒロインが救うんだ」
アキラは肩を落として大きなため息をついた。仮になったアイスのカップを流し台に置くと、スプーンがカランと音を立てる。
「ツカサ。お前はやっぱりすぐに世界を救っちゃうなぁ。それ癖なのか?」
ツカサはムッとして腕を組んだ。その瞳は心底不機嫌なのを隠しもしない。
「アキラ、君こそ! なんでいつも世界を滅ぼそうとしちゃうんだ? 魔王かキミ?」
二人は平行線の理論の末に大きくため息をつく。
「やはり勝負は小説でつけるしか無いみたいだな」
アキラが皮肉っぽく唇の端を釣り上げた。ツカサもそれに応じて眼鏡を光らせる。
「そのようですね。そのためにもやはりここは寝ることにしましょうか」
先ほどまでの剣幕はどこへやら。二人はそそくさとちゃぶ台を片付ける。
「寝ないと、いい小説が書けないからな!」
「その通りだな。この勝負の始末は明日つける!」
「おやすみなさい!」
「いや、お前風呂入れよ! 僕は入ったからな!」
二人は言い合いながら枕を投げ合う。ライトノベル界の登竜門、電撃大賞締め切りまで後94日のある日である。
闇を刻んで野薔薇を捨てて 七四季ナコ @74-Key
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