錯誤-14(底を満たす悦楽について)
「それは俺が人として未熟だということか?」
温度の低い声は問う。咄嗟の言い訳が思いつかず、チェイスは身を硬くして叱責に備えた。
「……言いづらいなら無理に答えろとは言わない。チェイスの方が成熟しているとは俺自身も思う。人間の習慣は仕事を通して知っているが、自分でそれをなぞるようになってから少しも経っていない。負担を強いているとは思っていた」
カルロは声を荒げることすらせず淡々と言う。その落ち着いていることと言ったら気味が悪いほどだった。チェイスは怖々顔を上げる。
「……怒らないのか?」
「別に、事実だろう。俺は元々人間ではなかった。人に紛れ、この空の底へやってきた。人になってからも、こうして以前のやり方を捨てられないままでいる。……チェイスからすれば、俺みたいなのは気持ちが悪いだろう。だが、もう終わりだ。だから、もういい」
カルロは吐き捨てるように言った。訳のわからないことばかり積み重なっていく。チェイスは大部分の理解を諦め、聞き取れた部分だけを訊ね返す。
「……人間じゃないのか?」
カルロは小さく頷いたが、今更だろうとチェイスは思う。城の術士というのはみんなそうだ。人であって人ではない、ひとでなしの魔法使い。城主というのは人間ではない。なにもかもが今更だ。
「俺が人でなかったのは過去のことだ。俺はずっと『そう』だった。現状は……見ての通りだな」
煙に巻くような台詞と重いため息が吐き出される。ひとでなしばかりを見続けてきたチェイスには、言葉の真偽は測れない。チェイスは眼鏡を押し上げて眉間を揉んだ。ともかく話を先に進める必要があった。
「……それで、俺にどうしろと」
「別にどうとでもしたらいい。方々に吹き回って俺を追うというのなら好きにしろ。この家はやる、俺もいなくなる。全てのことはそれで済む」
あるいはなにも解決などしないのかもしれないが、と苛立たしげにカルロは言った。
「話が一巡しましたねー?」
様子を伺っていたらしいペタルが、やっと順番が回ってきたというような顔で暦を閉じた。
「……したからなんなんだよ、ペタル。もううんざりだ。見ろ、昼にさしかかっている」
チェイスは苛々と窓の外を指した。
「そうはいっても話が途中でしたのでー? カルロ、ここではあなたが要なんですから、どうか降りるなんて言わないでください」
「………」
カルロは返事をしなかった。ペタルはちょっと首を傾げ、それでですね、と言った。
「おい、まだ続けるのか?」
「もちろんですよー、自分はカルロを引き留めねばならないのでー?」
ペタルは口を開き、虚ろな目をしたカルロに向かって自身の目的について話した。それは解決を見ない、城にまつわるいくつかの問題についてだった。
◆
『城』は魔法使いのネストであるが、本来の機能は魔術研究の集積所だ。六十年ほどしかない人の寿命に抗い、永遠とも見まがう時間を費やし研鑽を積むための枠組み。主たる個体が魔術研究に専念できるよう、集められた労働力へなにもかもが委託された。システムが乗っ取られ別の目的に転用されるのは世の常だが、ともかく、それが『城』本来の機能だった。
閉鎖空間である城の運営にあたり、人命を含むリソース管理が問題になった。生きている限り人は死ぬ。魔術道具の指輪が仮初めの不死を叶えたが、大多数の人間は恩恵にあずかることができなかったし、不死を得た城主さえ二百年もすれば死を望むようになった。多くが自ら指輪を外した。失踪するもの、病んで城の同胞に看取られるものもいたが行き着く先は皆同じく土の下だ。
そうして欠けた人員は生殖や外からの引き入れで賄われたが、子供や非魔術ユーザーは城の労働人員の手を世話の名目で塞いだ。魔術に縁なき生まれのものに城の暮らしは馴染まず、生まれた子供が仕事をするようになるには最低十五年は必要だった。人手は足りず、さりとて世話をする人員を増やせば少数精鋭は保てなくなる。代替わりによって設立理由を知らぬものが増え、統率の失われた城内には数多の思惑が渦巻くようになった。代謝によって最初の目的を叫ぶ者がいなくなったとき、研究の場という建前は失われた。
これらの問題を認識したペタルは、城から子供を排除する必要があると考えていた。単純に追い出すのではない、諸悪の根源である『代替わりが発生する状況』の完封による根本的解決。たとえばそれは不死であり、それを叶える魔術行使の標準化であり、人員再生産における生育コストの圧縮であった。現状の不死は不完全で、魔術は秘匿されており、人間は腹以外からは生まれることができなかったが、なにもかもが叶ったとき、ペタルの望む完全性は世に現れると思われた。だからペタルは医者を目指した。生者の持つ不完全性の『治療』。人の身体という泥じみた神秘の箱は来たる解析を待っていた。
◆
ペタルは話している。ペタルだけが話している。しんと静まりかえった居間の中で、言葉を発するのはただ一人。その男はいまだこの世に現れない『完全』なる人間について語る。
「現状、生命には欠陥があり、生まれて死ぬ私たちは同じところをぐるぐると回り続けています。時折現れる特別な個体が、その軌道を僅かに変える。ですが、それもつかの間の話」
ペタルは静かに切り出した。表情こそ笑っていたが、話し方から普段の甘やかな調子は消えていた。
「どんな人間もいつかは没します。百人に一人、千人に一人の逸材は、他の九百余りの余剰を生み、生死のサイクルは成熟全てをリセットします。そうして結局のところ、総体として人の程度は低い水準を脱することはありません。この出口なき再生産から逃れなければ私たちに先はない」
そう言って、ペタルはぐったりして動かないままでいるカルロの肩を引き寄せた。
「カルロを見てください。秘匿魔術によって老いることもなく、循環によって生み出される数多の余剰を、生育期間を待たず彼と同じものにすることが可能です。そう、教育のコストを踏み倒せるんです、彼の持つ知識、思考、習慣を得た上で! これはすごいことなんですよ! 自分はやっと見つけた突破口を手放す気はありません、誰になんと言われたって。ああ、チェイス、どうか喜んでください。私は嬉しいんです」
ペタルが心底愉快そうに笑っている。チェイスは、そこに螺鈿城の同胞としてのペタルを見た。ひとでなしが跋扈する城で共に幼少期を過ごした底の知れない友人を。
「これが……おまえの望みだったんだな? ペタルは願いを叶えたのか。螺旋の城へ行くことよりも、もっと先の根源的な願いを」
呆然として聞けば、意外にもペタルは首を振った。
「いいえー? まだまだこれからですよー。足がかりを手に入れたとそれだけのことです。カルロも元気を出してください、未来は希望で満ちあふれているんですから!」
◆
やつれきった顔のカルロがチェイスを呼び『ペタルは昔からこんな風か?』と小声で訊ねたのでチェイスは肯定してやった。そうか、とカルロが返すまでにいくらか間が開いたので、ペタルの演説には慣れていないんだろうな、とチェイスは思った。無論、いくら慣れているといっても長時間続けて聞きたいものではない。青ざめた顔を眺めれば僅かに同情するような気持ちがわいた。カルロは小さな身体に見合わないような深いため息をつくと、億劫そうに机へもたれかかった。
「……元の木阿弥だ。ペタルが俺を引き留めたいというのはわかった。それじゃ、どうしろというんだ? 俺の力ではこれから先、おまえたちに食わせてやることは不可能だ」
カルロが投げやりに言えば、ペタルは少し困ったような顔をした。
「そういえばそういう話でしたねー、状況が良くなるまで『延命』を図るくらいならやってみせますがー」
経験があるので、といってペタルがうっそりと微笑んだ。なにをする気なんだと思いながら、チェイスは発言するために手を上げた。二人分の目が集まり、チェイスは軽く咳払いをした。
「……南にある裏王宮では今、武器を集めているという話がある。ふっかければそれなりの金は入るだろうな。……ここで、ペタルが、『どうしても』というなら。俺は仕事を取ってきてやってもいい。どうする。やるか?」
カルロとペタルが目を見合わせた。そうしていつかのようにペタルだけが口を開く。
「いいんですか? チェイス自身はあまり乗り気ではないように見えますがー」
チェイスは舌打ちをした。幼馴染みを名乗るだけあって、よくわかっている。目の前の男を罵倒する代わりに、チェイスは必要なことを口に出す。
「交換条件が一つある。俺が、やることの、一切に、文句をつけるな。守れるか? 守れないならこの話は無しだ」
言えば、ペタルは微笑んだ。
「お安い御用ですよー、カルロもそれでいいですか?」
チェイスとペタルは揃ってカルロの方を見た。小柄な身体をサテンのローブに包んだ城の主は、指輪をつけた手をさっとなぞり重々しく頷いた。
「……ペタルが良いと思うなら合わせよう。もとより、俺には他に道もない」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます