錯誤-13(伏せられた過程について)

まず自己紹介からしましょう、とペタルは言った。

「そうですねー、では改めて。私は螺鈿城三代目当主であるブライアを父とし、城の中で生まれました。名前をペタルといいます。専門は医術で、特に産褥関係と小児の扱いを中心に学びました。城の保健管理者の経験があり、今はカルロの元で共同研究をしています。調剤とまじないは不得手ですが、外科手術と解剖、栄養指導は比較的得意です。力添えをご所望ならいつでも依頼してくださいねー? それから、カルロとは医療者として二年ほど前から今のような付き合いがあります。チェイスとの関係は……幼馴染みってことになるんですかねー?」

ここまででなにか質問は、と言ったところで、カルロが挙手した。

「チェイスとは同郷だということで良いのか?」

問いにペタルが頷いたので、チェイスは横から遮った。

「……待て、俺の故郷は別にある。幼少期、同じ城に住んでいただけだ。親密だということを殊更に否定はしないが……」

目をやれば、ペタルはにこやかに頷いた。その目が存外穏やかなものであったので、チェイスは少しほっとする。

「チェイスとは長い付き合いなんですよー、もう十年にもなりますかねー?」



「他に質問は無いみたいなので、本題に入らせて頂きますねー? えーと、なんでしたっけ、自分がカルロとなにを成そうとしたかって話でしたね?」

なにから言ったものですかねー、と言って、ペタルは口を隠しクスクスと笑った。心が弾んで仕方がないというような浮かれ具合だった。カルロと目が合うと、ペタルは嬉しそうなまま微笑む。

「そうですねー、まずは人間の成長サイクルについて話しますね? 人として生まれたのなら、どんな個体にも子供の期間があります。発生の都合上仕方のない事ではありますが、生まれてしばらくは未熟なままで、なにかができるようになったと思ってもじきに老いと死がやってきます。個人の持つ技術や知見はその時点で土へ帰り、取り戻すことは叶いません。これは生命というものについて回る欠陥です。……これはカルロも同じことを言っていましたね?」

水を向けられたカルロはゆっくり頷いた。

「そうだ。細かい違いはあるが、俺は俺自身の経験によって、ペタルの主張が正しいと考えている」

「ええ、ええ。そうなんです。問題は根深いんですがー、もしかしたら解決が望めるかもしれないんです。嬉しいことですね?」

屈託なくペタルは笑う。だが、チェイスはカルロの言った、経験によって、の部分に引っかかりを覚えた。


「……ちょっと良いか? 聞いちゃ悪いかと思って今まで黙っていたが……カルロは一体いくつなんだ?」

「『いくつ』というのは?」

カルロが迷惑そうな顔で訊ね返してきたので、チェイスは言葉に詰まった。立っていたペタルが慌てたように会話を引き継ぐ。

「カルロ、年齢のことですよ。あなたの生まれ年から何度季節が一巡したかという質問です。わかりますか?」

「あ、ああ。そういう意味か…… 今数えよう、少し待ってくれ。ええと……」

指折り数えながらしばらく唸っていたカルロが、数は正確じゃないといけないんだったか、と言うので、ペタルは少し待つように言って、チェイスが止める間もなく居間を出て行った。部屋は途端に静まりかえる。しんとした空気に耐えかねて、チェイスは強ばった笑みを浮かべた。

「……六十(人生一回満了分)を超えたらもう数えないっていうタイプか?」

「いや、そういうわけでも……その数字になにか意味があるのか?」

「え? あー、いや、なんでもない……」

それきりカルロは黙り込んでしまった。どうにも気遣いが裏目に出る。ご機嫌取りはもう少し得意だったはずなんだがなと思っていると、真顔のままのカルロが横目でこちらを窺っていた。チェイスは素知らぬふりで通そうとしたが、あんまりじろじろ見てくるもので目が合ってしまった。

「……何か、あったか?」

平静を装って訊ねれば、少し躊躇うような素振りを見せたあと、言葉にするのもあれだが、とカルロは前置いた。

「俺と話していてもつまらないだろう。冗談の一つも理解できない身だ。さっきの話も笑って返事ができるなら良かった。そう思って。迷惑をかける、と……」

口に手を当てて言葉を切り、悪かった、とカルロは言う。勘弁してくれと思いながら曖昧に頷いていれば、騒がしい足音と共にペタルは戻ってきた。



「ペタル、おまえ何処に行ってたんだよ」

チェイスが文句を言えば、息を切らせたペタルは紅潮した顔で額を拭った。

「歳を調べるために、部屋から暦とカルテをとってきたんですよー。これで調べがつくはずです。カルロ、いくつか質問をしますねー? これまで、日食って単語は聞いたことがありますか?」

「……ある。見たこともある。雨雲もないのに辺りが暗くなるんだろう。知っている」

「話が早くて助かりますー」

ペタルは頷き、鉛筆片手に辞書のような装丁の暦を捲る。

「それを見た時って、あなたはもう人間でしたかー?」

「……人間になってからの話か? それだと一度だけ見た。随分前だ。ここ数年のことではないな」

奇妙な問答は続く。だが、前に日食があったのは十年以上前だ。時間の感覚が欠損しているんじゃないのかと言ってやりたかったが、事実だとしても相応に角が立つのでチェイスは黙っていた。

「なるほどー? どういう風に見ました? 親御さんに抱かれて? それとも部屋の中で?」

「俺は外にいて……その時は一人だった。自分の靴が見つからなかったために、親の靴を履いて見に行ったんだ。久しく見ていなかったので懐かしさを覚えたような記憶がある」

飛び交う単語を反芻し、今の話が本当なら目の前にいる年齢不詳の男が十数年前は親元にいたのだと気付いてチェイスは頭を殴られたような気持ちになる。ペタルの手元を覗けば、カルテに『十三年前:歩行可能 三歳以上』と書くのが見えた。七十、八十ともなれば歳を忘れるのも納得だが、十代かそこらでわからなくなるものか? なにも知らず字も書けないくせに、言葉遣いと振る舞いはどうにも年寄りじみている。異常としか言いようのない状況で、平然としているペタルが信じられなかった。


「靴。良いですね。その日のことで、他に覚えていることってあります?」

「……帰り道、ぬかるみに足を取られて泥だらけになった。勝手に風呂を開けて服と身体を自分で洗ったが、始末が悪くて病気になった。ああ、そうだ。思い出した。あんまり熱が出るから任されていた仕事ができなくなって、軽率な行動の罰として春の間に用意すると約束していた石版が暑くなるまでもらえなかった。そのあと、字を書く練習をしたが、終わる頃には季節は二巡していた。体が慣れずに勘を取り戻すのに随分かかって……俺にとって、愉快だとは言えない思い出だ」

恨みがましく喋り始めたカルロに、ペタルはちょっと引いていた。この時点でチェイスは大分面倒になってきていたが、流石に抜け出せる雰囲気でもなかったので頬杖をついて話が終わるのを待った。カルテには『自分で身体を洗う:四歳以降?』『洗濯:六・七歳』『入浴に要許可:八歳以下』『石版:学習用なら五で用意』と書かれている。

「仕事はなにを任されていたんですかー?」

「日食のあったときは、地面に近い位置で草の実をつんでいた。長く台所に立っていたが、この頃は台から頭が飛び出すくらいの背しかなかった。ちょうど流しに顎が乗るくらいか。火と刃物を任されるようになったのはいくらかあとになる。ああそうだ。家畜を締めようとしたのに力が足りないおかげで逆に襲われて…… 」

「落ち着いてくださいねー? ここにあなたを困らせたものはもうありませんよー」

ペタルがいえば、カルロはぐっと詰まるように言葉を切った。

「……その通りだ。話を戻そう、なにを何処まで話したんだったか……」

「カルロの歳を調べていたんですよー。話を聞く限りではこの年に五か六ぐらいだと思うのですがー…… ああ、数年前に月食があったと書いてありますね、もしかして覚えていたりします? 予測の通りならおしめが取れるかどうかという頃ですが」

「ペタル!」

横で聞いていて頭痛がするようだった。記憶があるという話でしたね、とペタルがたたみかけるので、流石に止めた。

「その辺にしておけ! さっきから聞いてれば! なんてこと言うんだよ、それをいって答えるやつがいると思うのか?」

「えー、調査に必要なことなのでー。それに、きっとカルロなら答えてくれますよー……?」


チェイスとペタルが目を向けると、カルロは少し狼狽えるように目を彷徨わせた。

「期待に添えず悪いが、その頃は寝たり起きたりしていて記憶そのものが曖昧だ。……ああそうだ、この情報は役に立つか? 俺がここに『来た』とき、ちょうど日照りがあったと聞いた。あれは干ばつってやつだろう。そのときは、『降りてきた』のだから天候が崩れるのは当然だと思ったが……」

今思うと背筋の冷えるような話だ、とカルロは言う。言っている意味がわからなかった。咄嗟にペタルを見れば、渋い顔で唇を噛んでいた。

「……詳しい話は後日聞きますが、おかげで生まれ年が確定しましたー。あなたの歳は十八です。指輪を嵌めてから二年ほどになるので、肉体は十六相当と思われますね?」

確定して良かったですねー、とペタルは言ったが、チェイスは納得できなかった。

「なにがだよ。結論が出たのは良いことだが、なにをどう見たって平民上がりの十八歳がする振る舞いじゃないだろうが。そっちはどう説明をつけるつもりなんだ……」

小声で言ったつもりだったが、思ったより大きな声が出た。チェイスは口を噤む。カルロは昏い目をしたまま、それをじっと聞いていた。

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