議会の日常編
幕間(魔法使いの監獄について)
小柄な少年女王、ディアナは剣を引きずるようにして議会の中を歩いている。いくらかの別棟を超え、足は一層静かなエリアへ踏みこんだ。アンセルと呼ばれるそこは魔法使いどもの牢獄だ。陰鬱な廊下をディアナは迷いなく進んでいく。
「こんにちは、サラサ」
「……何をしに来た。ここは関係者以外立ち入り禁止だ」
暗いバラ色と白い制服、男女の平均値を取るような起伏のない身体の形。檻の前で設備の点検をしていたのはサラサだ。議会内部の懲罰を担う、監査員のナンバーツーは出会い頭のディアナをぎっと睨んだ。対してディアナはどこ吹く風だ。
「禁止といっても私は立ち入りを制限されていない。不満があるなら上に掛け合ってくれないかな。いくつかの例外はあるけれど、私は中央議会所有の施設内であれば自由な出入りを認められている」
「ふざけている。構成員の尻の中にもか?」
ディアナはサラサをじっと見た。しばらくの間、沈黙が場を支配する。
「何のことかな、大人の言うことは時々わからない」
サラサは報告書を書きながら舌打ちをした。
「こんなやつを女王の位に置いておくなど、どうかしている。陛下は何を考えている?」
「知りたいのなら聞いてみれば良いよ。アルゴスはそう言うだろうね」
返事は再度の舌打ちとなった。サラサは黙って歩き出す。ディアナがあとを追えば、白く陰鬱な廊下は二人分の足音を無機質に飲み込んだ。
◆
ディアナの倍ほどあるサラサの歩幅は、ディアナを容易に置き去りにした。視界から消えつつある後ろ姿をドゴに追わせ、ディアナ本人はゆったりと歩く。中身のある檻は多くない。見渡したディアナは微かな呼び声に立ち止まる。
「私を呼んでいるのかな」
「ああやっと気づいてくれた! こっちへおいでよ、お話をしよう」
檻の中にいるのは椅子に縛られた長髪痩身の男だった。床についてなお余る三つ編みが管理の悪い縄のように投げ出されている。ディアナは無感情に瞬きをすると、抱えていた鞘を捨て、真顔のまま残った刀の鯉口を切った。にこやかに話しかけていた男は脈絡なく抜かれた剣にぎょっとする。
「エッなに?」
「……ドゴ、サラサを連れてきて」
薄く開かれた唇が呟けば、爪が床を掻く音と共にドゴが駆けてくる。遅れて、監査員であるサラサも。腹に据えかねるという顔で、サラサは訊ねた。
「状況は!」
「彼が私へ呼びかけた。これから重要な事態が起こるらしい。あなたの立ち会いが必要だ」
ディアナはサラサが臨戦体制にあることを確認すると、握る刃を鞘へと収めた。
「定例確認だって簡単な仕事じゃないんだ、いちいち仕事を増やしてくれるな!」
サラサは剣に手をかけたまま目を剥いて怒った。囚人である男はそちらをじっと見て訊ねる。
「あなたはこの間来てくれた人だね? サラサというのか。こんな状況で悪いけど、煙草を持っていたら一つ分けてくれないかな」
「規定で渡せないし持ってもいない。撒いたシャグで牢を黴だらけにされても困る。縄を増やされたくなかったら大人しくしていろ」
「そっか、だめか。でもありがとう。彼らのことは残念だけど、また会えて良かったよ」
縛られたままの椅子ががたついて、僅かに宙へ浮く。男はディアナの方を向いた。椅子ごと男が揺れ、脚が不安定に床へ降りる。
「それよりきみ! きみが来るのを待っていたんだ、こうして対面する機会が来るとは思わなかったけどね。久しぶりって言ったら良いかな?」
「……? 私はあなたを知らないよ。そうだね、挨拶をしよう。私につけられた名はディアナ。中央議会で女王をやっている。うん、話せるのはそれくらいかな」
男はあっけにとられたような顔で、ディアナの足下から頭の先までを眺め回した。小さい靴に吊り靴下、膝の出る白いパンツ、短い刀、肩のついた詰め襟の上着、細い喉、金色の目、それから同色の巻毛。
「……女王? ディアナ? 女でもないのに女の位と名前をつけられたの? ……いや、ほんとは女だったりする? まさかね。えーと、こっちは流れ星だ。空を掻く度に命を一つ吸い取る、きみたちの同胞…… ねえ、この説明って必要? たしかにディアナは同胞じゃないけど旧知の仲だろ? しらばっくれてない?」
「知らないな。私の身体にあなたの情報は残っていない」
「ええ、傷つくなあ……」
男はあからさまにしょげたような顔をした。同行を追っていたサラサは眉根を寄せてディアナを見る。
「今、旧知の仲と言ったか? 知り合いなのか? この男と?」
「同じことを何度聞かれても答えは変わらないよ。私は知らないと言ったし、実際に知らないんだ。会ったのも今回が初めてだ、そこに嘘や偽りはない」
ディアナの正体は依然不明のままだ。これが解決の糸口になると期待したサラサは、糠喜びにしかめた顔の皺を深くし、少し考えてから追求を諦めた。
「もののついでにもう一つ教えてほしい。『ディアナ』というのは本来女につける名前なのか?」
「うん……? どうだろ、そうみたいだね? うん、そのように扱われているみたいだ」
ディアナが遠くを見るようにしていった。幻視、あるいは予知と呼ばれている女王の異能だ。サラサは焦点の合わない眼差しを目の端で捕らえながら、彼の役割について考える。議会の中に閉じ込められ、悪しき行いを起こせば即座に収監されうる身の上を。
「ねえ、その目つき何? あれ? っていうか看守の人は知らなかったの? じゃああなたが名付け親なんだ」
「違う! 何でそうなる ……出身地にはない種類の名なんだ。詮索するな」
◆
「刑務所というのは出たり入ったりするものだと聞いたけど、どうもそういうふうではないみたいだ……」
「出たり入ったり? 入ってからはずっとここにいる。友達は来たり去ったりしていたけど」
お喋りを始めたディアナを放って報告書を書いていたサラサは、男の返事を聞き咎めた。
「なんの話だ……その、友達というのは?」
「嫌だな、看守の人たちが燃やしたんじゃないか。菌糸……えーと、キノコっていうんだっけ? 寝床を用意しておくと時折ここへ辿り着いて声を聞かせてくれる。昔は粘菌と暮らしていたんだけど愛想が尽きたとここを出て行ってしまってね。それからはキノコが友達ってわけ」
狂人が、とサラサは思ったが、収監された者の動向は報告の義務がある。どうして議会の内外にはこの手の人間が多いのだろうな、と思いながら、サラサは筆を走らせた。
「……ああ、だから黴を生やしたのか。本当はキノコがつくはずだったんだな? キノコが好きか?」
「勿論。彼らは独自の言語を習得している。星の欠片である自分たちの表面を撫でて、しめりけを食んでは歌を歌う。そこの、ディアナが来たことだって彼らが教えてくれたんだ。長雨があった次の日かな? 突然『来る』って、それきり何も言わなくなって、それが最後の言葉になっちゃったけど」
聞きながらサラサは頭の中の暦を引く。おおよそ五年前。時期は不明。長雨。
「それ、いつのことだか覚えているか」
「ここじゃ空が見えないし、ずっと外のことを教えてくれた彼らがそうなっちゃったからぼくからはなんとも。っていうかそっちこそ覚えてないの? 急に来て部屋の中を燃やして回ったでしょ? あれの前だよ」
「ああ、あれか……」
筆を立て、サラサは報告書に大きなバツを書く。五年どころではないほどの昔だったからだ。
◆
「情報提供、感謝する。知らなかったとはいえ、友人のことは悪かった。煙草は出せないが、せめてもの手向けに線香を供えよう」
サラサは懐から出した粗末な粉を紙に巻き、男へ差し出した。
「お気遣いをありがとう。良くしてもらえて彼らも浮かばれるだろう」
男が火を付けたそれを咥え、しばらく眺めた後に弾みをつけて飲み込んだのでサラサはもう一度嫌そうな顔をした。
◆
「職務とはいえルーティーン外のことで余計な時間を食った。仕事が終わらん……」
報告書を書きながらサラサは苛々と言った。ディアナはあとをついて回りながら、ふと思い出したように訊ねる。
「普通、捕まったあとの処遇というのには決まりがあるのだろ、一度入ったらそれっきりという風ではなかったはずだ」
脈絡のない言葉なら聞き流そうと思っていたサラサは、それが檻の前で聞いた『刑務所に出たり入ったりする』という話の続きだということに思い至り、自身の聡明な頭を呪った。答えてやるのも癪だったので、嫌な気持ちになりながらサラサは別のことを言う。
「仮にも陛下と同じ名の身分を持つというなら、下々の人間に示しのつくような話し方をするべきだとは思わないのか」
「あなたはアルゴスを陛下と呼ぶんだね。他の議会に縁深い人たちとは違って」
触れられたくないところを的確に踏んでくる少年を見下ろし、サラサは唇を噛んだ。
「……わからんだろう、それでいい。我等は誰の手駒でもなく、女王陛下その人にのみ傅く。あまり詮索をするな。そして、この話を他者へ流すな。『ディアナ』の処遇を決めたのは議会だったな。議長のアマンダからは何も言われなかったのか?」
「あなたの望みは果たされる。頼まれるまでもないことだ」
金の目が合わされ、質問にはまっとうでない答えが返った。話は終わりだとでもいうように沈黙が降り、肩透かしを受けたような形になったサラサの胸には空虚な不快感だけが残る。両手で大剣を抱えて歩くディアナは何も言わない。サラサは歩きながら胸焼けのような気分の悪さに耐え、話すことを探した。
「……さっき、ディアナは刑務所の話をしただろう。せっかくだから教えてやる。あれは人間用の檻で、管轄は巡査部隊だ。長はジャーメインだな。
ふざけた名乗りだ、とサラサは言った。ディアナは目を瞬き、サラサをじっと見る。
「ジャーメイン? 中央巡査部の隊長はジュリアだよ。議長が言っていたから間違いないはずだ」
「? ああ、代替わりがあったのか…… ともかく、あれとこっちでは性質が違う。魔術暗室の檻なんか人間には必要ない。ここにいるのは魔術や妖術を使う、人殺しか将来的に人を殺す奴らだ」
「そうか、じゃ、ヴィクターもそのうちに収監されるってことかな」
サラサは意外そうにディアナを見た。
「ヴィクターというと黒服青帯の……北国出身の剣士か? なぜそう思う」
「彼は魔術を使うのだろう? それにもう何人も人間を殺している。既に、あるいは将来的にも。あなたの言う条件には当てはまっていると思ってね」
何人も人間を殺している。心の中で二度反芻して、サラサは眼光鋭く無口な北国の男を思い浮かべた。全身黒ずくめで多くを語らず、青い帯だけが身を飾る宝石のように輝いている男を。
「あまり直接的には聞きたくない話だな……」
「彼をもらい受けたいと思っていてね。それきり永遠に出てこない檻なら、中身は空でも同じだ。だから、その時が来るなら先にお願いをしておかなければと思って」
サラサは足を止めた。金の目に動揺はない。よどみのないことは水面に浮かぶ月のようだが、そこにはひとときの揺らぎもない。やはりどうかしている、と思いながら紙へ筆を走らせ、そこでふとサラサは女王のもつ悪行の噂について思い出した。名は思い出せないが、議会の重鎮と関係を持ったらしいと聞いた。だがそれはあの剣士ではない。だれだったか、と思っていると、ディアナが口を開く。
「リロイのことかな」
「……何がだ」
サラサは動揺によって書き物の手を止めた。自分は何も言っていなかったはずだ、と思い、女王の異能に思い至る。だが、予言とはそういうものだっただろうか。それにディアナは顔を合わせてすぐの時に噂を一度否定している。
「何が? わからないな、彼の着るコートの色が見えたんだ。きっと何かの答えなんだろうね。ああでもヴィクターと親密にしているのならシャノンの方だよ」
彼らは師弟だそうだからね、とディアナはこともなげに言った。サラサは混乱を覚え、相槌を打ってから間を持たせるために設備のチェックを再開した。シャノンが誰かは知っている。甘い匂いのする剣を提げた、真面目な青年。監査に入ってきた最年少の男だ。息を吸って吐く。なんだかひどく疲れていた。サラサは白紙のなくなったボードをまくって確認の欄が全て揃っているかを確認する。
「……こちらの仕事はこれで終わりだ。これ以上厄介事が増える前にアンセルを出てもらいたい」
「構わないよ。私はあなたを見に来ただけだからね」
サラサは筆記具を懐へとしまってから、空いた手で頭をかいた。
「公務執行妨害って知っているか?」
「聞いたことがないな。調べておくよ、どうもあなたは怒っているみたいだ」
サラサは黙っていた。返す言葉が見つからなかったからだ。監獄を出たディアナは抱えていた大剣を鞘から抜く。大きな獣に変化したそれへ、ドゴ、と呼びかけ、小さな女王は立ち去った。サラサは胸の中にわだかまりが残るのを感じながら一言、なんだったんだ、と呟いた。
◆
その後、報告を上げるために監査部へ向かったサラサは、途中話題に上がったリロイその人を見かけた。長い金の髪を結った剣士の男は既に老年とはいえ上背がある。それによくよく真面目で堅物だと評される彼が、あの少年女王に誑かされるとも思えなかった。まさかこの年になって少年趣味者ということもあるまい。噂の出所はどこだったのだろうな、と思いながら、サラサは廊下を後にした。
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