白樺林-2(解決を見ない謎について)
指先を撫でる。帽子も剣も靴も外して、こちらへ来てくれとリロイは言う。
「何を企んでいる?」
「内分泌系のどこかしらが狂ったらしく、神経の具合がすこぶる悪い。平常に戻る手伝いを……押しつけようという心づもりだ。すまない」
確かに、間近で見るリロイは常日頃からは考えられないほど汗をかいていた。
「……俺に何をさせるつもりなんだ? 医療局の連中には報告できないようなことか?」
リロイはぎくりと身をすくませる。ヴィクターは外した帽子を手の中で回しながら、変なことはしないぞ、と続ける。
「断られれば食い下がるつもりはない。だが、吹聴するような真似は……いや、結論から話せといわれたばかりだな……」
くちがはくはくと動けば、発汗は一層ひどくなる。ぎゅっと手が掴まれれば、それは手袋越しなのにひどく熱い。肺が痛むのか、リロイは絞り出すようにいった。
「手袋を抜いて私の相手をしてほしいんだ」
差し出される手には柔らかな綿のグローブがはまっている。眠るときの習慣なのか、それとも怪我でもしたのだろうか。
「なんだ、頼みってそんなことか? 今は指輪を抜いてるんだろ、素手を晒して困るようなことだってない。断られるような心当たりがあるのか? というか随分汗をかいているな……」
寝間着の袖と似て柔らかい生地の指先を少しつまみ、ヴィクターはリロイの履く手袋を何気なく抜き去った。何もないはずの指には、足の指へ移し替えられたはずの指輪が二桁、魔術士らしい配置で並んでいる。ヴィクターはぎょっとして抜いた手袋を戻した。
「おい、本当になんのつもりだ。こんなもの俺に見せて、一体何を企んでいる? 戦時中ならいざ知らず、わざわざ俺へ手の内を明かすようなことをするなんざ、はかりごとの類いに決まっている。誰の差し金だ? 俺をになにをさせる気なんだ!」
声を落として言いつのるヴィクターを、リロイは両手で捕まえた。手の甲に触れる指輪は硬く、ぎくりとしたヴィクターは逃れようと身を捩る。
「待て、誤解だ……おまえと駆け引きをしようというつもりは微塵もない。これは砕かれた指輪と価値のないただの装身具だ。信じられないなら確かめるといい。安いといっても金属だ、流石に壊されては困るが……」
手袋を取り去った白い手が眼前に晒される。見知ったようでいて記憶と少し違う手が、抜いた指輪を寄越そうとする。解析されても構わないと言った。わざわざ見せてくるなど異常も異常、魔術士であるなら本来あり得ないことだ。色味の揃わない指輪たちがジャラジャラと手の中に広げられ、ヴィクターは眉を上げる。
「おまえにしては随分不用心な突き出し方をするもんだ。見てほしいというのはわかったから、一旦指に戻してくれ。急に五個も十個も渡されたところで、俺には目も手も二つずつしかないんだからな」
「……それもそうだ」
リロイは素直に従った。ヴィクターは改めて差し出された手を取り、なんでもないような振りをしながら並ぶ指輪の一つずつを注意して抜いた。
結論から言えば、リロイの言うことは正しかった。紋も刻みもない指輪は見た限り見目を優先した二束三文の品で、装飾の石もガラスや樹脂のイミテーションだ。行動の目的こそ不明のままだが、企みに関しては完全な誤解といえた。重ねづけで効果の発動する品でないことを確認してから、ヴィクターはそれらを指へ戻す。わざといくつかあべこべに入れるが、持ち主には気付いた様子もない。
「なあリロイ、順番ってこれで合っていたか? 一度に外したらわからなくなってしまった」
我ながら白々しいなと感じつつも、ヴィクターは先ほど順番を入れ替えた指輪を指して訊ねた。リロイはちょっと首をひねってから、いくつか抜いて、最初の配置とは違う順番に直した。
「これで元踊りだ。再三言うが、効果のないものだから気にする必要はない。それより、ヴィクも手袋を外してくれないか」
「……俺もか?」
おでましだ、と思った。とにかく目的が見えない。ヴィクターは断るために口を開いた。だが、うまい文句が思いつかない。
「不服なら条件を出してくれたっていい。頼めないだろうか」
言い渋ればリロイは食い下がってくる。釈然としないながらもヴィクターは手袋の口をつまんだ。ベロンと剥がされる薄皮の下には二十三個の指輪が並ぶ。それらはちゃんと『生きて』いて、貴金属の輝きはヴィクターに疑念を抱かせた。
「どうにもおまえの言うことは支離滅裂だ、リロイが目隠しをするというなら受けてやる。記憶を消してやっても良いが、伏せっている身には荷が勝つだろう」
医療局に文句を言われても困るしな、とヴィクターは言った。リロイは一も二もなく頭を下げた。
「……十分だ。頼む」
頭を垂れたままリロイは微動だにしない。瞬きをふたつしてから、首をさし出されているのだと気がついて、ヴィクターは益々混乱する。口にこそしないが、リロイの感覚には減退が見られた。素手で握って神経を嬲ってくれというならまだわかる。損失無しの強い快楽は、自分たちにとって気軽で安価な娯楽のひとつだ。身を持ち崩すほどのめり込みでもしない限り咎められることでもない。だがこの指輪はなんだ? 配置で効果が現れるものではない。皮膚感覚が向上するようなものでもない。だったらなぜ? 手袋を直したヴィクターが帽子から魔術刺繍の装飾帯を外していると、リロイはサイドボードから消毒薬と札を取り出した。見覚えのあるような紋に目を留める。
「……おい、それ骨継ぎの札だろう、何に使うんだ」
「ああいや……気にしないでくれ」
いよいよもっておかしかった。骨折の治療へ使う札にここで出番があるとは思えない。
「気にするなって……言いたかないが今日のおまえ、おかしいぞ。身体のどこか悪いのか? 呪いを受けたという様子ではないな。薬がいるなら用意するし、痛みがあるならさすってやる。なんでも言うだけいってみろ、俺だって敵対もしていない同族を苛もうという趣味はない」
一瞬何かを考えるような間があった。だが、奇妙な沈黙がヴィクターの声を引き出すより前に、リロイは心を決めたようだった。
「……それなら何も聞かずに続けてはくれないか。結界に立ち入ってから、どうにも、そう、妙な夢を……おい、まさか、今更やめようなどというのではあるまいな」
急に怒気を帯びたリロイの様子にヴィクターは少し驚く。有無を言わせぬ勢いが返事を強いた。
「いや。いいや、続ける。やると言ったものな、大丈夫だ。続けよう、服は? 外せば良いのか?」
「履き物は取ってくれ、コルセットは着けたままでいい」
「準備はできたが、そっちはどうだ? シーツの替えは……」
「そんなものはあとでいい、来てくれ」
布団をはねてリロイは寝台の中へ呼び込んだ。いくつもの疑問符が頭の中を埋めるが、続けるといった手前訊ね返しても怒らせかねない。長く生きていればそういう日もあるのだろう。ヴィクターは天蓋から下がる垂れ幕を払って中へ入る。生暖かいシーツへ膝をつき、手に持った帯でリロイの目を塞いだ。
「それで、結局の所、俺はここで何をしたら良いんだ?」
「もっと近くへ来て、いつものように進めてくれ」
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