私たちの悩み事
大豆
第1章 鈴
私は昔から迷子になりやすい子でねー。
迷子になった初めての記憶は、多分5歳くらいの時。お母さんとショッピングモールへ買い物に行ってた時かな。
ちゃんと手を繋いでたはずなんだけど、私はいつの間にか1人になっててね。
キョロキョロと見渡しても、お母さんはどこにも居なくて。
必死に探し回った記憶がある。
でも、変なの。
私がいたのはショッピングモールで、人もいっぱいいたのに、なんか違って。
どこか薄暗い感じなの。
子ども心にすごく怖くて、必死にお母さんを探したんだけど、お母さんどころか誰もいないの。
もう私、不安で不安で仕方なくて、その場にしゃがみこんで泣いちゃったんだよね。
そしたら、何か祭囃子?みたいな音が聞こえてきて。
何だろう…?
って思って、私は音の方へ歩いていったんだよね。
歩いていくと、明らかにショッピングモールとは違う感じの景色があって。
なんだろ、教科書で見るような江戸時代かな?
なんか古風な風景。
よく分かんないけど、赤い提灯がいっぱいあってね。
私、そっちにお母さんがいるかも!
って思って、急いでそっちの方へ走ったの。
そしたら、手を誰かに掴まれてね。
え?と思って、掴んだ人を見たの。
着物を着てたから多分女の人かな?
顔は見えなかったけど。
その人は何も言わずに、私を引っ張って行くの。
どんどんあの景色から遠ざかって、また薄暗くて誰もいない場所に連れていかれる!
だから、私必死に抵抗したんだ。
「離して!私、お母さんを探さないといけないの!」
って言うんだけど、その人何にも言わないの。
ただ、私の手を引っ張って、無言で歩くだけ。
怖くてさー、その人の手を叩いたり、あ、かじったりもしたかな。
でも、無視。
最後は大泣きだよ。
そうこうしてるうちに、祭囃子も聞こえなくなってきて。
お母さんもいない、訳の分からない女の人に引っ張られる。
心の中は不安でいっぱいよ。
それからちょっとしてかなー。
だんだんと薄暗い感じから、ちょっとずつ明るくなってきたんだよね。
あと、ざわざわって人の声が聞こえてきてね。
まぁ、分かると思うけど、元のショッピングモールに戻ってきてたの。
それに気づいて、泣き止んだんだよ。
あれ、この人は私を元の所に戻してくれたのかな?って感じ。
そして、辺りがピカって白く光った後、私は通路のど真ん中に立ってて。
ちょっと先からお母さんがキョロキョロしながらこっちに来てるのが見えたから、泣きながら側へ駆け寄ったんだ。
お母さんも私を抱きしめて、「良かったぁ…」って言ってたな〜
けど、私の手を引っ張ってくれてた女の人はどこにも居ないの。
変な話でしょ?
ちなみに、それから何回か同じ事があったんだ。
その度にその女の人が現れるんだけど、何も話さないの。
私もすっかり懐いちゃって、めっちゃどうでもいい話したりしてね。
けど、6歳になってからは、相変わらず迷子にはなるんだけど、そんな感じにはならなかったなー。
どう?ちょっと怖いでしょ?
「何それ、怖すぎだよ…」
能田 遥の話を聞いていた、麻木 栄子は、自分の腕を擦りながら身震いした。
この7月の暑い日、何か怖い話をしようと言ったのは栄子だ。
が、想像以上の話に少し脳が追いつかないらしい。
「結局、あれがなにか分かってないんだよね〜」
「それ、絶対あの世への道だよ。」
「やっぱり?私もそうかなーって思ってて。
あのよく分かんない景色、結構不気味だっだんだよねー…」
あの時の光景を思い出し、能田 遥も身震いをした。
「でも、その女の人は味方?なんだよね。」
「うん、元の場所に返してくれたからね。」
「変な話もあるもんだねー。それが実体験なのがまた怖い…」
「でしょ?でも、5歳の時だけなんだよ。
それ以降は全くないから。」
「そう何度もあっても困るよ…」
「だよねー」
そう言いながら、遥は机に散らばった鉛筆を筆箱に収め始める。
そんな遥を見て、栄子が何気なく時計に目をやると、時刻は間もなく17時になろうとしていた。
「え、うそ!もうこんな時間!」
急に大声を上げ、急いで教科書を鞄に詰め込み始めた栄子。
そう言えばお昼に、バイトが入ったとかなんとか言っていた気がする。
授業が終わって直ぐだと早すぎるから、少し話してから行こう。
となって、怖い話をし始めたんだった。
「ごめん、私先帰るね!」
「あ、うん!バイバイ!」
素晴らしい早さで、栄子は帰る支度を終え、足早に教室を出ていった。
残された遥は、下校時刻まで勉強でもして帰ろうか。
と思ったが、思うだけで、体は勝手に帰る準備を始めていた。
明日はせっかくの土曜日だ。
このまま家に帰るのは勿体ないから、寄り道でもしようかな…
そんな事を考えながら、教室を出る。
あ、そう言えばあの漫画…は、明日発売か。
昨日栄子が言ってたケーキ屋さんは駅前だったかな?
お母さんに買って帰ったら喜ぶかも。
お父さんは甘いの嫌いだから、シュークリームとか良いかな。
お兄ちゃんは…
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「ただいまー。」
「あ、栄子、お帰り。」
栄子が家に帰ったのは、21時を過ぎた頃だった。
栄子が働いているのは個人店のパン屋で、いつも20時まで営業している。
そこから片付けをすると、家に着くのはいつもこれくらいの時だ。
「疲れたー…」
「ちょっと、制服くらい着替えたらどうなの?」
「やだー。動きたくない…」
帰るや否や、ソファに寝転ぶ栄子に、母、秋穂は小言を言い始める。
秋穂の性格からして、ダラしないのは嫌なのだ。
帰ってきたら、制服を脱いで部屋着に着替えて欲しい。
これは再三言われているのだが、栄子はそれに従うことはほぼない。
「あ、そうだ、パンどうぞ。」
「あら、今日も沢山。
あ、お母さんこのパン大好き!貰っていい?」
「うん、いいよ。」
売れ残ったパンを貰えるのは、パン屋で働いている物の特権だ。
しかも、個人店なため、とても良くしてくれる。
今日も大量のパンをいただき、栄子は満足だ。
ちなみに、秋穂が好きなパンは、向日葵の形をしたメロンパン。
結構な人気商品で、持ち帰れることはほぼない。
「あー、明日休みでよかったー…」
今日は金曜日のせいか、いつもよりお客さんの量が多かった。
いつも浮腫んでる足が、さらに太く見える。
さて、もうちょっとゴロゴロしてから動こう。
そう思い、栄子はスマホに手を伸ばす。
すると、異常な数の着信が目に付いた。
「ん?」
発信主は遥と、知らない番号が半分ずつくらい。
全て合わせたら20件は超えていた。
普段遥から電話なんて来ない。
ましてや、知らない番号がかかってくるなんてことはない。
一体何事?
栄子は驚いてソファから体を起こした。
「どうしたの?」
向日葵のメロンパンを口に運びながら、秋穂が聞いてくる。
「うん、なんか遥から電話来てて。」
「え?遥ちゃん?」
「なんだろ、かけた方が良いかな?」
「急用じゃないの?」
「そうかも…」
すると、栄子のスマホから音楽がなった。
また遥からの着信だ。
「もしもし?遥、めっちゃ電話来てたけどどうした?」
遥からの電話だと思って出たが、聞こえてきたのは、男の人の声だった。
「良かった、やっと繋がった…」
それは、明らかに安堵の声で、聞き覚えのない声に、栄子は眉間に皺を寄せた。
「あの、誰ですか?」
「あ、すみません、俺、遥の兄の康平と言います。」
「え、お兄さん…?」
遥の携帯から、知らない人の声がしたため、警戒していたが、お兄さんだと分かると、思わず、拍子抜けした声が出てしまった。
「あの、遥のお兄さんが私に何か…?」
一体何の用があると言うのだろう。
栄子は、若干の警戒を残しつつ、恐る恐る聞いた。
すると、遥の兄、康平は明らさまにがっかりした声をだす。
「という事は、遥はそちらには居ないですね…」
「はい?」
一瞬理解ができず、ちょっと態度悪く聞き返してしまった。
あ、まずい。
と思ったが、当の本人は何とも思っていないみたいだ。
そのまま話を続ける。
「実は、遥がまだ家に帰ってきてないんです。」
「え?!」
「この時間に帰ってこないなんてこと初めてで…
遊びに行く時だって、ちゃんと連絡をしてくれますし…
よく、栄子さんの話を家でしてたものですから、もしかしたら何か知らないかと思って電話させていただいたんです。」
「いえ…私は何も…
え、遥いないんですか?でも携帯は遥のですよね?」
「はい。母が家に帰ってきた時には、鞄はあったみたいで。
だけど、靴も制服もなくて。遥本人もいないんです。」
「てことは、1回家には帰ってるってことですよね。」
栄子は、混乱する頭を落ち着かせながら、康平と会話をする。
「母も父も辺りを探してみてるんですが、まだ見つからなくて。
もし、栄子さん何か分かることありましたら、電話ください。
栄子さんの携帯に、俺からも電話かけてるんで、その番号にください。」
「分かりました。私も、思い当たるところとか、明日探してみます。」
「はい、お願いします。」
「はい。失礼します。」
電話を切った後、栄子は大きくため息をついた。
そんな娘の様子に、秋穂はどうしたの?と、心配そうに声をかける。
「遥が…家に帰ってないって。」
「…え?どういうこと?」
「分かんない…家に鞄はあるのに、遥はいないって。」
「ということは、一旦帰宅した後、買い物にでも行ったのかしら?」
「…」
秋穂の言葉には答えず、栄子はある会話を思い出していた。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
私、家に帰ったら外出たくない主義なんだよねー。
コンビニとか行きたくなっても、絶対いかない。
次の日にするか、誰かに買ってきてもらうの。
だって、面倒臭いじゃん?
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
そう、遥は結構な面倒臭がりだった。
そのせいで何度か迷惑をかけられたことがある。
それは別にいいけど。
それだけで決めつけるのはどうかと思うが、遥は多分家に帰ってからは外に出ていないはずだ。
という事は、強盗…?
「…こ。…えいこ!栄子!」
秋穂の大きな声が聞こえた。
「あ、何?」
どうやら、随分考え事に集中していたらしい。
秋穂は、心配そうな顔をしたまま、栄子に声を掛ける。
「今日は遥ちゃんのことどうもできないんだから、お風呂に入って寝なさい。ね?」
「…うん。」
普段より優しい母の声。
栄子は、今自分に出来ることはないんだ…
そう思い、秋穂の言う通りにする。
だけど、お風呂に入ってる時も、着替えてる時も、寝る時も、遥の事が気にかかってしまう。
結局その日、栄子が寝付けたのは、3時を回ってからだった。
目が覚めたのは、7時だった。
あれから4時間寝ていたらしいが、なんとなく寝ていないような気がする。
少しぼーっとした頭のまま、栄子はリビングへ降りた。
食パンの焼ける匂いと、ソーセージの良い香りが鼻を掠めた。
「おはよう…」
明らかに寝起きです。という声で挨拶をすると、秋穂が驚いたような顔をする。
「どうしたの、早いじゃない。」
「うん…」
「栄子早いな、おはよう。」
「おはよ…」
普段休みの日は11時近くまで寝ている栄子が、7時に起きることなんてほぼない。
だから、休日出勤のある父、洋太と顔を合わせることもない。
洋太は、普段と違う栄子に不思議そうな顔をしながら挨拶をした。
どうやら、秋穂は遥が行方不明なのを言っていないようだ。
「大丈夫?眠れた?」
「うん…多分…」
昨日に引き続き、秋穂の声が優しい。
そんな2人に何か違和感を覚えたのか、洋太が「何かあったのか?」と尋ねる。
しかし、栄子は何も言わず顔を洗うためにリビングを出ていく。
「実はね…」
秋穂が洋太に説明しているのを聞きながら、栄子は大きくため息をついた。
遥…どこに行ったの…?
「それで、どうするの?」
用意された朝ごはんをテーブルで食べていると、コーヒーを秋穂が持ってきてくれた。
麻木家の朝は基本ご飯と味噌汁とお茶だが、休日は違う。
トースト、目玉焼き、コーヒー。
この3点セットだ。
コーヒーにミルクと砂糖を入れ、かき混ぜる。
ちょっと苦いかな?
「遥ちゃん、探しに行くの?」
「うん…」
自分が探してもどうにもならないことは分かっている。
だけど、遥が居なくなったのに家でのんびりするなんて、栄子には出来なかった。
「そう。気をつけるのよ。」
「うん、ありがとう。」
秋穂の本音を言えば、遥の事を探して欲しくはない。
もし、遥が事件に巻き込まれていた場合、栄子にも危険が及ぶかもしれないからだ。
しかし、栄子の真剣な表情に、それ以上何も言えなかった。
さて、どこから当たろうか。
朝食を食べ終えた後、外出の準備をしながら栄子は考える。
昨日も思ったけど、遥は家に帰ってからは外に出ない可能性が高い。
強盗だったら、遥のお兄さんが私に電話をくれることは多分ないだろうし、もっと大事になってるはず。
てことは、遥は家に帰ってない…?
けど、そしたら鞄が家にある理由が分からない。
一晩中、遥の行方を考えていたが、結局答えは出ず。
「取り敢えず、昨日の遥の行動をとってみよう。」
もしかしたら、何か落ちているかもしれない。
幸い、遥の家には行ったことがあるので、遥の通学路はなんとなく分かっていた。
休日に学校かー。
部活をしていない栄子にとって、それはとても新鮮だった。
平日の朝の電車は満員だが、休日の電車はそんなに混んでいない。
所々、同じ学校の制服の人が乗っている。
皆、部活だろうか?大変そう。
そんなことを思いながら、いつも眺めている景色の方に目をやった。
栄子の通う学校、市立丸内高校は電車で20分、さらに歩いて20分の所にある。
丸内高校の最寄り駅、まる駅の近くには商店街があり、ケーキ屋にパン屋、服屋など学生の寄り道になっている。
栄子は、最近、その商店街でケーキ屋を発掘したのだが、そこの生クリームが甘さ控えめでとても美味しかった。
この前、家へのお土産に買って帰ったら、皆も大絶賛だった。
そして、肝心の遥の家は、丸内高校から歩いて30分程かかる。
まる駅を通過し、およそ10分ほど歩けば住宅街があり、その中に遥の家がある。
まる駅から直接遥の家へ向かってもいいが、一応学校からスタートしよう。
もしかしたら、遥が寄り道している可能性もあるから。
栄子は、まる駅に着いた後、少し勾配のある道を進んで行った。
歩くこと20分。
ようやく見慣れた学校へ到着した。
グラウンドでサッカー部の掛け声がしている。
「あ、制服じゃないけど良いかな?」
別に校舎に入る訳でもないし、多分大丈夫だよね。
普段制服で来ている学校に、私服で来るなんて変な感じがする。
栄子は呼吸を整えるため、暫く校門の前で体を休めることにした。
今日の気温は34度。さすが夏、暑すぎる。
持ってきたお茶を日陰で飲みながら、栄子は次の事を考える。
昨日私が先に帰ったあと、遥はどうしたんだろう?
やっぱりいつも通り帰ったんだろうな。
「あれ、栄子じゃん。何してんの?」
少し呼吸も落ち着いてきた時、誰かに話しかけられた。
声のした方に目を向けると、そこにはこんがり日焼けした女の子がいた。
「あ、マーじゃん。」
「うん、マーです。」
マー。こと、山野 真依は、栄子と同じ中学出身で、高校でも同じクラスだ。
マーはテニス部に所属していて、今日もしっかり部活をしているらしい。
「栄子部活してないよね?てか、なんで私服?」
心底不思議そうに真依が尋ねる。
「ちょっとね。」
「なになに〜?訳ありですか?」
いつもは何とも思わない真依の発言に、栄子はほんの少しイラッとする。
心狭いな、私。
「ちょっと忘れ物があったんだけど、制服着てくるの忘れちゃって。」
「あー、なるほどね。あ、あたし取ってこようか?」
「ううん、大丈夫。」
遥がいなくなってる事は黙っておくことにした。
多分、学校に知らせは入ってるだろうけど、ここで私からマーに話すことでもないよね。
「あ、そう言えばさ、昨日ね、私さー」
そこからおよそ20分。
栄子は真依の話をずっと聞いていた。
昔から喋り出すと止まらないのを忘れていた…
悪い子では無いのだけど、少し疲れる。
これが栄子の本音だ。
「あ、やば!あたしトイレ休憩中だったんだ!じゃあね!また月曜日!」
そう言って、足早に去っていく真依。
その後ろ姿を見送りながら、栄子はフーっとため息をついた。
でも、憎めないんだよねー。
少しお喋りでマイペースな真依だが、いつもニコニコしているから、ついついこっちも楽しくなってしまう。
ほんの少し落ち込んだ気分か、真依のおかげで元気になったような気がした。
少し元気になった所で、栄子は遥が昨日帰ったであろう道を進みはじめる。
バイトがない日はいつも遥と帰っている通学路。
もし、昨日私のバイトがなかったら、遥は無事に家に着いてたんだろうか…
そんなもしを考えながら、栄子は歩いていく。
その間も、遥の荷物が何か落ちていないか、目を配りながら。
しかし、まる駅に着くまで、それらしきものは全く見当たらなかった。
少し期待していた分だけ、栄子は落胆してしまう。
仕方ない、遥の家まで行ってみようかな。
そもそも、遥はどこでいなくなったのだろうか。
もし攫われたのだとしたら、まる駅に着くまではきっと大丈夫なはず。
多分遥は私が帰ったあとすぐ帰っているはずだから。
さすがに、人通りの多い道で攫うにはリスクが高すぎるから。
という事に、今更ながら栄子は気づいてしまった。
なら、今日学校へ行ったのは全くの無駄足だったかもしれない。
栄子にとって遥を探すことは自己満足に過ぎないが、それでもせずにはいられなかった。
気を取り直し、今度は遥の家へと向かう。
攫われたと仮定するなら、遥が1人になる時間帯だ。
そうなると、まる駅から住宅街に行くまでの間だろう。
住宅街は、人通りもあるし、この時期はそんなに暗くない。
確か、遥の家に行く間、ちょっと薄暗くてあまり人が通らないって所があったはず。
もしかして、そこだろうか?
遥はそこをあまり良く思っていなくて、通る確率は少ないが、可能性はある。
栄子は、また期待を込めてそこへ向かうことにした。
もちろん、何か落ちていないか、注意しながら。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
あ、私の家このまま真っ直ぐ行ったら近いんだけどね、ちょっと通りたくないから、遠回りしてもいい?
え?うーん、なんかねー、雰囲気が苦手なの。
なんだろ、迷子になった時みたいな、薄暗くて人の気配がない雰囲気。
近所の人もなんとなく、そこを避けてるみたいなんだよね。
そこだけ異様って感じなのかな…?
子どもの頃お兄ちゃんと何回か通ったことあるけど、1人では絶対通らなかったなー。
うん、よく分かんないけど栄子も近づかない方が良いかもね。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
と、遥は言っていたけど…
多分、ここかな。
栄子は、遥との会話と自分の記憶を頼りに、その場所の手前へとやってきた。
確か、あの時はここで右に曲がったはず。
ここで右に曲がれば、大通りに出て、少し歩くと住宅街へ繋がっていた。
だから恐らく、ここの道を真っ直ぐ行けば、そこへ行けるんだろうけど…
遥の言葉を聞いているせいか、少し背中がゾクリとしたような気がした。
だけど、もしかしたら…
と、栄子は足を進めようとしたが、タイミング悪く電話が鳴った。
誰だろう?お母さんかな?
しかし、スマホの画面は秋穂からではなかった。
「遥のお兄さん…」
もしかして、遥が見つかったとか!
などと、淡い期待をしながら電話を出る。
しかし、その期待は直ぐに打ち砕かれた。
「こんにちは、康平です。」
遥の兄、康平の声色が全く明るくなかったからだ。
「こんにちは。どうされましたか?」
「はい、一応こちらの状況を栄子さんに伝えておいた方が、栄子さんも安心されるんじゃないかと思いまして。
今お時間大丈夫ですか?」
「あ、はい、大丈夫です。」
栄子は、ほんの少し畏まって、スマホに耳を傾ける。
遥のお兄さんとはいえ、年上の男の人と話すのは緊張してしまう。
「えっと、今になっても遥は帰ってきませんでした。
なので、学校にも正式に連絡して、警察に捜索願いも出しました。
だけど、家出の線もあるからと、警察は簡単に動いてくれないみたいです。
それで学校に、栄子さんに遥がいなくなったことを伝えていると言いましたら、他の生徒には他言しないで欲しいと言われました。
恐らく、学校側から何かしら連絡が入ると思います。」
「はい、分かりました。」
良かった、マーに言わなくて。
自分の言動で大事になってしまったら、大変な所だった。
「栄子さん、もし遥からなにか連絡がありましたら、ぜひ教えてください。」
「はい、もちろんです。」
本当に遥はどこへ行ってしまったのだろう。
どうか無事でいてほしい。
栄子も康平もただ願うことしかできない。
「あれ?なんだろう…」
電話を切ろうとしたその時、栄子の少し前に、何か丸い小さなものが転がっているのを見つけた。
「どうかしましたか?」
不審な声を上げた栄子に、康平は尋ねる。
「いえ、今、遥の家の近くの薄暗い路地のところにいるんですけど、なんか、小さくて丸いものがありまして…」
電話がかかってくる前は気がつかなかったのだろうか。
日の当たる関係なのか、今初めて、そこになにかあることに気がついた。
「え、家の近くのって、あのちょっと不気味なところですか?」
「はい。」
「なんでそんなところに?」
「遥がいなくなったのに、家でじっとしていられなくて…」
「そう…ですよね。俺もです。今日一日、ずっと遥を探していました。
けど、栄子さん、そこは昔から、決して1人で入ってはいけない。って言われているんです。」
「どう言うことですか?」
「そこは方角的に、モノノ怪の道と言われていて、1人で足を踏み入れたら、モノノ怪に喰われる。そう言われているんですよ。」
「モノノ怪に喰われる…?」
そんな訳あるはずないじゃないですか!
と、笑い飛ばしたいが、栄子はなんとなく、それが本当のような気がしていた。
この現代社会、モノノ怪なんているはずが無い。
昔はいた。とおばあちゃんから聞いたことがあったが、私は見たことも、声を聞いたこともない。
だけど、栄子の目の前にある、薄暗い路地を見ていると、なんだかモノノ怪がいるような気がしてならない。
「ちなみに、栄子さんの目の前に落ちているものはなんですか?」
「えっと…」
少し離れたところにある小さなものを見ようと、栄子は目を細め、じっと見つめる。
幸いなことに、栄子の視力は良い方だ。
しばらく見つめていると、それが鈴だということが分かった。
「鈴…みたいですね。」
「鈴?それは、どんな感じですか?色とか形とか。」
「えっと…色は青色っぽくて、形はよく分からないです。」
もう少し近くに行けば分かるかもしれないが、先ほど路地に近づくなと言われたばかりなので、栄子は見える範囲で答えた。
「青色の鈴…」
康平は何か考えているようだった。
しばらく沈黙した後、電話越しに「もしかして…」と呟いた。
「栄子さん、俺が今からそちらに向かいます。
申し訳ないんですが、栄子さん、そこで待っていてもらえますか?」
「え⁉︎」
「もしかしたらその鈴、遥の物かもしれないので!早ければ10分程度で着きますから!」
「え、は、はい!」
そう返事をしたときには、もう電話は切れていた。
栄子は1人、薄暗い路地の前で康平を待つ。
あの鈴が遥のもの…?
でも、一度もつけてるところ見たことなんてないけど…
そんなことを思いながら、栄子は路地から少し離れた場所で、スマホをつつきながら康平を待つことにした。
時刻は間も無く18時。
少しずつ、あたりは紅く染まっていっていた。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
うちのお兄ちゃんさ、超絶シスコンなの。
本当、嫌んなっちゃうよね。
え?羨ましい?
いやいや、面倒臭いだけだから。栄子にも貸してあげようか?
そっか、栄子お姉ちゃんいるんだっけ。何歳違うの?
10歳か〜じゃあ、めっちゃ可愛がられたでしょ?
え、うちはね、3歳差。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
ほんの少しお腹が空いてきたころ、栄子の近くに、黒の普通車が止まった。
かっこいい車だなー。
そう思っていると、中から背の高い男の人が出てきた。
一発でわかった。
この人が遥のお兄さん、康平さんだ。
黒髪で、さっぱりした長さの髪。
シンプルで清潔感のある服装。
イケメンとまではいかないが、爽やかな顔。
そして、滲み出る優しそうな雰囲気。
その雰囲気が遥にそっくりだ。
これはさぞかしモテるだろうなぁ。
現れた康平に、栄子はそんな感想を抱いた。
「あなたが、栄子さんですか?」
「あ、はい!初めまして、麻木 栄子です。」
「初めまして、遥の兄の康平です。」
栄子と康平はお互いに頭を下げる。
男の人、特に歳上の人に全く免疫のない栄子は、思わず顔を赤くしてしまった。
緊張しすぎて、心臓がバクバクしている。
「それで、例の鈴はどこに?」
「あ、えっと、あそこです。」
栄子は鈴のある場所を指さす。
「えっと、あの小さいのですか?」
「はい。」
「何かあるのは分かりますけど、よく鈴だって分かりましたね。」
「目は、良いので…」
康平は凄いなー。と、小さく呟く。
栄子は火が出そうなほど、顔を真っ赤に染めた。
昔からあがり症で、男の人と話すと必ず真っ赤になってしまう。
そのため、ついたあだ名は「ゆでだこ」
恥ずかしくて仕方がない。
「と、その前に。栄子さん、これ、見てください。」
「?」
康平が、路地の塀の部分を指さした。
そこには、小さな石が3個ほど重ねてある。
そして、その反対にも、同じように石が3個ほど重ねてあった。
「なんですか、これ?」
「これは、一種の結界のようなもので。
ここから先は人が踏み入らないように、両脇に石を置いているんです。」
「それって…」
「そう、モノノ怪の道に入らないように。
ここら辺に住んでいる人は、絶対1人ではこの道を通らないんですよ。
理由はさっき言った通り。」
「モノノ怪に喰われるから…」
「そう。
何年か前、この路地に男の子が1人で入って、行方不明になったんです。
その前にも、酔っ払った男が一人で入って、そのままいなくなった。
そして、もっと前には帰りが遅くなった女性が、近道のために1人この路地に入ったきり、いなくなった。」
康平は目を伏せながら、淡々とそう言った。
その言葉を聞いて、栄子は背中がぞくっとし、腕に鳥肌が立つのを感じた。
「あの、いなくなるのは、この路地に一人で入った時ですか?2人なら大丈夫とか…」
「ええ、実はそうみたいです。何故か、2人以上なら大丈夫みたいで。
あと、一人で通ったからといって、必ずいなくなるわけでは無さそうなんです。
肝試しみたいな感じで、一人でここを通った人たちがいるみたいだけど、なんとも無かったみたいで。
だけど、いなくなっている人がいる以上、ここは通らない方がいいと、俺は思うから、遥にもそう言っていたんです。」
「そうなんですね。私も、遥から、ここは一人で通らない方がいいって聞いてました。」
「そっか…」
思わず二人とも押し黙ってしまった。
大事な妹が行方不明になって、康平も心配で仕方がないというのが伝わってくる。
なんと声をかけるべきなんだろう…
「あ、すみません。
取り敢えず、あそこの鈴を拾いましょうか。栄子さん、申し訳ないんですが、少しだけ、この路地に一緒に入っていただけますか?」
「あ、はい!」
元々一人で入ろうと思っていた身だ。
それが、偶然康平から電話がかかってきて、入らなかっただけだ。
二人ならこちらとしてもありがたい。
本当、一人で入らなくて良かった…
栄子は、恐る恐る路地に足を踏み入れた。
鈴までの距離はおよそ大股5歩分くらい。
ズンズンと進んでいく康平の後を追いかける。
「あ、やっぱり鈴だ。」
正直、見間違いの可能性もあったため、近くに来て鈴の形だとわかると、ホッとした。
落ちている鈴を、康平が拾い上げる。
そして、その鈴をじーっと眺めた後、踵を返し、元の道へ戻っていく。
その間、康平は全く話さず、少し怖い顔をしていた。
「あの、大丈夫ですか?」
路地から、また最初の場所へ戻ってきてから、栄子は康平に言葉をかける。
先程から、康平が怖い顔をして鈴を見ているから、心配になった。
「あの…」
「っはぁぁぁ…」
康平は急に大きなため息をついた。
一体何事?
「この鈴、遥のなんです。」
「え?」
「電話で、青っぽい鈴と聞いた時から、なんとなくそんな気はしてたんです。
実際今見て確信しました。これは、遥のものです。」
「ど、どういうことですか?」
なんとなく先の言葉はわかっているが、聞かずにはいられない。
「遥は恐らく、あの道を通りました。」
康平の言葉に、栄子は何も答えることができなかった。
遥が、あの道を通った…?
ということはつまり、遥はモノノ怪に攫われた…?
まさか、そんなわけ。
思わず、路地に目を向けると、先程まで不気味だった道が、今度は恐ろしく思えた。
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