呼びかけ

 魔王――ことアルベルトは、執務室の中をそわそわそわそわと歩き回っていた。



「あー、もう魔王様。鬱陶しいです、とりあえず座って下さい」

「だって――、またアリシアが無理をしないか、心配で心配で……」


「なら、直接見に行けば良いんじゃないですか?」

「それは……、あんまりしょっちゅう行くと、鬱陶しがられないか不安で……」


 キールは、はぁと深いため息をつくと、


「魔王様、重症ですね……」


 とため息。


 アリシアが絡むと、魔王はいつになくヘタれ、ポンコツになるのだ。どうもディートリンデ砦の救援に向かってから、拍車がかかっている気がする。

 それ以外は完璧な主君なんだけどなあ――とキールはひとりごちる。



「そんなに心配なら、従属紋で命令すれば良いじゃないですか。戦わないで魔王城で幸せに暮らして欲しいって」

「それは駄目だよ。僕はアリシアを縛りたい訳じゃない」


 こうして話は平行線。

 アリシアに幸せになって欲しい。アリシアに自由にして欲しい。アリシアに楽しく生きて欲しい――色々願って、結局、この人はがんじがらめになっている。


 どこまでも不器用なのだろう。

 それでもその優しさは、たしかにその少女に届いている。手酷く裏切られ、一度は全てを捨てた少女の心の中に、たしかに入り込むことができたのだから。



 その日の午後。

 やるべきことを終え、終わったらアリシアに会いに行こう。

 そう決めたアルベルトは、恐ろしい速度で書類の山を崩し始めていた。キールなど、最初からそうして下さいよ……、と不貞腐れるほどだ。


 そんな何気ない執務室の中に、




「魔族の長よ、聞こえるか?」


 突如、そんな声が響き渡った。


 通信魔法によるものとも違う声。

 気の所為でなければ、己の体内から囁きかけてくるような不思議な感触――アルベルトは、聞こえてきた不快な声に思わず顔をしかめた。




「そういう君は、ヴァイスの王子かい? 随分といきなりな挨拶だね」

「おおっと、そう舐めた口は聞かない方が良い。貴様の心臓は、俺が握っている――貴様ならこの意味が分かるだろう?」


 心臓を奪われること。

 それは魔族にとって、生命的な死を意味しない。

 しかし、心臓に魔力を通せば容易に暴走させられるし、命じられれば、その命令に逆らうことはできない。相手に高度な魔法の知識があれば、容易に行動を操られてしまうだろう。


 ――先代の魔王も、それでやられたのだ。

 先代の魔王は敵に心臓を奪われ、魔王城の中で暴走し、最後には忠臣に討たれることになった。それが一番、魔族に混乱を与えられると人間は考えたのだろう。



 端的に言えば、アルベルトはヴァイス・シュテインという敵国の王子に、致命的な弱点をさらけ出した状態にある。

 


「へー、その程度で勝ち誇ってるのかい?」


 アルベルトは歯噛みしつつ、相手に主導権を握らせまいと口を開く。



 ――あの戦闘で持っていかれたか。

 アルベルトは唇を噛んだ。

 イルミナとの戦いで、後ろを取られ、怪しげな術式をかけられたあの時だ。


 よりにもよって、イルミナはこの王子に心臓を預けたのか。

 いや、それぐらいは警戒しておくべきだった。何よりかけられた術式に気がつけなかった自分の落ち度だ。



「強がるなよ、魔族の王」


 状況は致命的に悪い。

 それでも何とか状況を打開するため、アルベルトは思考を巡らせるのだった。



「ボクに何をさせるつもりだい?」


 まずは口を開く。


「君が手にしたのは、心臓のほんの一部だ。そのことには気がついているんだろう?」


 不完全な術式。


 もし心臓をすべて奪われていたら、完全な操り人形になっていた可能性すらある。

 ゾッとする未来だ、とアルベルトは皮肉げな笑みを浮かべた。



「口に気を付けることだな。俺はいつでも、貴様に命令を下せる」

「やれるものならやってみなよ。状況は、ボクの腹心が把握した――何か命じても魔族に不都合なことなら、ボクが殺されて……、それで終わりだ」


 不敵に笑う。

 大したアドバンテージではないと。

 そう突きつけるように。


 とにかく主導権を渡してはいけない。

 余裕そうな表情とは裏腹に、最悪、自殺も視野に。


 何よりも優先するのは、魔族という種の存続のみ。

 魔王など所詮は1つの地位に過ぎない。

 変わりなど、いくらでも居るのだから。



「ふん、少しも動じないとは……、つまらんな――」


 シュテイン王子が、吐き捨てるようにそう呟いた。

 そうして次の瞬間、シュテイン王子が思いつきのように口にした言葉は、思わずアルベルトを凍りつかせるには十分な言葉だった。



「それなら――アリシアを殺せ、とでも命じてみるか?」

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