新たな戦いの予感

 その後の道中は、平穏そのものだった。



 念の為、丁寧に隠蔽魔法をかけながら魔族領まで戻ってくる。

 ここまで来れば、なかなか王国軍も手を出せないだろう。



「それで、この人たちにどこに住んでもらいますか?」

「魔族領には、いくつか開拓村があるからね――労働力が足りなくて困ってる村は多いんだ。悪いようにはならないと思うよ」


 おずおずと切り出す私に、魔王さんはそう言った。

 元・奴隷の亜人たちを預けるため、私たちは護衛も兼ねていくつかの開拓村をめぐる。



「魔王様と聖女様? いったい、こんな辺鄙な村に何の用ですかい?」

「実はお願いがあって……」



 開拓村の面々は、奴隷として虐げられていた亜人たちを快く受け入れた。

 労働力として歓迎されたのもあるが、魔族領には王国での扱いに耐えかねて逃げてきた者も多い。

 似た経験を持つ似た者同士、感じることもあったのだろう。



「何から何まで本当にありがとうございました!」

「この御恩は、一生忘れません!」


 そんな感謝の声を背に、私たちは魔王城に戻るのだった。


***



 その日、王国では再び戦慄が走っていた。



「なあ、聞いたか? グラン商会のこと……」

「ああ。一晩で拠点が壊滅状態だってよ」


 街中で噂になっていたのは、脅迫状を受け取っていたグラン商会の末路であった。


 王国民の心に、魔女の無罪が証言されたフローラ事変は新しい。

 実のところ、その事件への国民の反応は様々であった。

 魔女の最期を思い出して震えた者も居れば、魔族の陰謀だと切り捨てた者も多い。



 そもそもアリシアが生き返ったことを信じなかった。

 ――あるいは信じたくなかった者も多い。



 そのような状況で、魔女を名乗るものが正義を謳い、国内随一の商会を滅ぼしたのだ。

 騒ぎにならない筈がなかった。



「どうするんだよ……。俺、魔女の最期に立ち会っちまった」

「べ、別にグラン商会みたいに直接睨まれることをした訳じゃねえ!」

「俺は魔女が無実だったなんて知らなかった。俺は悪くねえぞ!」

「そんなだから魔女は王国に復讐するなんて言ってるんじゃねえのか⁉」



 どこか遠い世界の話に過ぎなかった魔女の脅威が、突如、傍に近づいてきた恐怖。

 自らの立ち位置は決して安全圏ではないことを理解し、彼らは慌てていた。



「クソッ。シュテイン王子も、フローラの野郎も、何てことをしてくれたんだ」

「まったくだ。善良な市民を巻き込まないで欲しいもんだね」


 そうして至った結論は責任転嫁。

 ヴァイス王国に生きる者が持つ王族への不満は、急速に高まっていった。



 そんな中、シュテイン王子は高らかに声明を出した。


 王国中から上がる説明を求める声を無視できなくなったのだ。

 王城で開かれることになった演説には、王国各地から大勢の民が集まった。



「我々は魔族に徹底抗戦する。魔女・アリシアは、あろうことか魔王と手を組み、真なる聖女・フローラの名を貶めたのだ。奴らは我が国に更なる混沌をもたらし、人間を根絶やしにしようとしている」


 落ちた王国内の求心力を取り戻すべく、徹底的に魔族と戦うという姿勢を示す。

 フローラの自白は、魔王と魔女に操られて喋らされたもので、そこには一片の真実も含まれていないとシュテイン王子は力説した。



「我が国の安全を守り、人が人らしく生きるため、悪逆の限りを尽くす魔族は、滅ぼさなければならない。人間の尊厳を取り戻すため――我が愛するフローラを救い出すため、どうか諸君らの力を貸して欲しい」


 国民に頼み込むシュテイン王子は、真摯な表情を作り出していた。

 アリシアが見ていれば、何を白々しいことをと吐き捨てたことだろう。

 彼はとうの昔に、フローラのことを切り捨てているのだから。


 だとしてもこの場においては、卑劣に捕らわれた最愛の妻を救うという美談となった。



「我々、神聖ヴァイス王国は、宗教国家レジエンテと正式に手を結ぶことに成功した」


 シュテイン王子がそう宣言し、王国民の間に喝采が上がる。

 宗教国家レジエンテ。

 それは数多くの聖女を排出してきた教会の元締めとも言える存在で、どこの国にも深くは肩入れしないことで有名な国家だ。

 神聖ヴァイス王国とは、山一つ隔てて北西に位置する大陸でも有数の超大国であった。



「イルミナ殿下、いらして下さい」


 シュテイン王子の宣言と共に現れたのは、イルミナ・レジエンテ――グラン商会からの撤退時にアリシアたちと遭遇した一人の少女であった。

 宗教国家・レジエンテの王女――それが彼女の正体だったのだ。


「わたくしは、神聖ヴァイス王国の王子が見せた勇気に、敬意を称したいと思います。悪を憎み、正義を愛し、尊い愛を守るために武器を手に取る覚悟を示したシュテイン・ヴァイス殿下に、心より敬意を称します。レジエンテからは、わたくしの力が及ぶ限り、全面的に協力することをお約束いたします」

「イルミナ殿下のご判断に、心より感謝します」



 イルミナの持つ幻想的な雰囲気は、一瞬でその場の空気を呑み込んだ。

 煌めく光に照らされ、白銀の神が淡く発光しているよう。

 白磁のような白い肌も相まって、まるで神のもたらした奇跡を前にしたように、王国民の目がイルミナに釘付けになった。



 魔族への降伏など決してあり得ない。

 神聖ヴァイス王国は、暴走気味に魔族との本格的な戦争に身を投じていくことになる。

 戦争はますます激化していく。


***


 ある意味、王国の未来を決定づける演説の後。

 シュテイン王子とイルミナは、ヴァイス王国の場内で優雅に紅茶を口にしていた。



「聖女・フローラを取り戻すための聖戦でしたっけ?」

「感動的なストーリーだろう?」

「面の皮が厚くないと王族なんて務まらないと、改めて学ばせていただきましたわ。わたくしとしては、魔族領の利権の約束さえ守っていただければ何でも構いませんけどね」



 淡々としたやり取りが続く。


 彼らは勿論、互いに利があり手を結んだに過ぎなかった。

 シュテイン王子は魔族との戦争で、国内の混乱を抑えるため。

 イルミナは目障りな魔族を根絶し、魔族領の利権を手にするため。


 互いに相手を利用するメリットがあったのだ。



「フローラを助け出せたなら、どうするつもりなのですか?」


 フローラを救い出したなら、アリシアへの冤罪のことも明るみに出るだろう。



「分かったことを。フローラが助かるなんてことは、万に一つもあり得ない――魔女は二人とも、きちんと戦死して貰わないとね」

「いっそ清々しいほどまでの屑ですわね」

「ふん。何とで言うが良いさ」



 イルミナは、軽蔑の色を隠そうともしない。

彼らは互いに相手を嫌っていたし、ただ利害関係でつながるだけの間柄であった。

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