聖女、ミスト砦に舞い降りる
翌日。
ついに私たちは、目的地となるミスト砦に到着した。
ミスト砦の兵たちは、疲労の色も濃かった。
それでも魔王の姿を見ると、誰もがホッとした表情を浮かべ、気力を充実させていた。魔王は、本当に魔族たちの心の支えとなっているのだと実感する。
作戦決行にあたって、ミスト砦の指揮官を合わせて作戦室で簡単な打ち合わせが行われた。
王国軍の野営地の情報や、フローラの位置の予測が語られる。
敵は予想通り油断している。
作戦は、予定通り本日の夜に決行だ。
***
会議が終わり、陽動部隊の魔族たちはそれぞれ持ち場に展開していった。
フローラを討つ役回りの私と魔王は、そのまま砦に残り夜を迎えることになる。
「魔王様もアリシア様も、長旅でお疲れでしょう。夜の作戦決行に向けて、どうか今のうちに休息を──」
「いいえ。まずは、やるべきことをやらせて下さい」
私が向かったのは、負傷した兵が寝かされている医療室だ。
ナースの服を着たサキュバスのお姉さんが、慌ただしく室内を走り回っていた。
魔族の中に、治癒魔法を使える者はほとんど居ない。傷口にハーブを当てて痛みを和らげ、あとは本人の生命力に任せるのが関の山のようだ。
激しい戦いが繰り広げられていたのだろう。
ミスト砦には、負傷して動けない兵たちも多く居た。中には手足を失った兵もおり、苦しそうなうめき声を上げている。
「アリシア、様?」
医療室に居たナースが、しげしげと私を見ていた。
元・王国の人間が何をしに来たのかと、疑われて居るのだろうか?
「心配は要りませんよ。魔王軍に不利益になることが出来ないように、私には従属紋が刻まれていますから」
「ちょ、アリシア!?」
安心させようとする私の言葉に、魔王が慌てて声を上げた。
「こんな小さな女の子に、まさか従属紋って──見損ないましたよ、魔王様!」
「違う、違うから! ね、アリシア!?」
サキュバスのお姉さん──ミスティと言うらしい──の冷たい視線が、魔王に向けられる。慌てて否定する魔王に同意を求められ、わたしはこくりと頷いた。
「大丈夫ですよ。治療魔法をかけて回るだけですから」
そう言いながら、私は医療室の中を見て回る。
予想通りに、医療室には所狭しと怪我人が横たわっていた。
範囲回復魔法で一斉に回復させるには、症状の差が大きすぎるかな?
私は、症状の重い者から順に治癒魔法をかけていくことにする。
「家に、残してきた嫁に……せめて最期に──」
「ひどい怪我……。無理に喋らないで下さい、大丈夫ですよ」
最初に診るのは、全身に酷い火傷を負った魔族だった。一つ目の小柄な悪魔で、全身を包帯でぐるぐる巻きにされている。
最期に家族に会いたい、と涙を流していた。
事実、このまま放っておけば命を落とす可能性もあるだろう。
『ハイヒーリング』
1人1人の魔族が、王国と戦うための貴重な戦力だ。
このまま失わせるなるものか。
私の一番の得意分野は、実は治癒魔法であった。聖女時代は、目の前で失われていく命を前に、何も出来ないことも数え切れないほどあった。あのような思いは二度としたくないと、私は治癒魔法の効果を最大化するべく必死に魔法陣の改良を行ったものだ。
命さえあれば、どんな怪我でも治してみせる──それが私の信念であった。
透き通るような淡緑の光が、横たわる魔族を優しく包み込む。
「まだ、痛みますか?」
「っ……!?」
大きな目をまんまるに見開き、その魔族は不思議そうに起き上がった。
控えていたサキュバスナースのミスティも、信じられない物でも見るようにその光景を眺めていた。
「も、もう大丈夫です。痛みも……ありません」
「良かったです。これからも魔王軍のために、その力を貸してくださいね」
今日の夜は、総力戦となることだろう。
怪我で倒れていた魔族たちには酷な話かもしれないが、彼らにはまだまだ働いて貰わなければならない。
その後も私は、治癒室の中を縦横無尽に駆け回った。
怪我が特に酷い魔族には、高ランクの回復魔法を惜しみなく使った。
『エリアヒーリング』
最後の仕上げとばかりに、部屋全体を覆うように範囲回復魔法を使用。
部屋中の魔族の怪我を治していく。
広範囲に渡ってかけ続けた隠蔽魔法に、高位回復魔法を連発したのだ。
魔力の使いすぎて一瞬だけくらっとしたが、そんな様子はおくびにも出さず私は部の中を見渡した。
「怪我が治ったばかりの皆さんに、こんなお願いするのも恐縮ですが……。今夜はこちらから攻める絶好の好機になります。どうか皆さんのお力を──」
せっかく助かったのに、再び戦場に立って欲しいという残酷なお願いだ。
「奇跡だ──奇跡が起きた!」
「これが、王国の聖女・アリシアの力……!」
「あなたに救われた命です。当然では、ありませんか!」
「俺もです。一度は失われたこの命、どうか自由にお使い下さい!」
しかし私の予想に反し、魔族たちは涙を流しながら口々にそんなことを言っていた。まるで主人にに忠誠を誓うように。
そう願って治癒魔法をかけた私が、思わず引いてしまうほどの熱量。
「ここでは気休め程度の治療しか出来ませんでした。アリシア様、本当にありがとうございます」
更にはミスティまでもが、深々と頭を下げる始末。
これには思わず、面食らってしまった。
今回、彼らを助けたのは純粋な善意ではない。こうすれば作戦の成功率も上がるだろう、という打算的な一面が大きかったのだ。
「ちょっと、魔王さん。楽しそうに見てないで、助けてくださいよ!」
困惑する私を、どこか楽しそうに魔王が見ていた。
私の呼びかけに、魔王は何がおかしいのかくくっと笑うのだった。
***
それから時間は流れ、ついに夜になった。
「そろそろだね、準備は良い?」
「ええ。任せてください」
魔王の言葉は、開戦の狼煙となる。
私は、魔族たちにかけられた隠蔽魔法を解除し──ミスト砦防衛戦の火蓋がついに切って落とされるのだった。
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