地下牢暮らし
悪夢のようなパーティから一夜。
犯罪紋を刻まれ、私は地下牢に囚われていた。
取り調べは、王国直属の騎士団が担当することになった。
もっとも公平さなど望むべくもなかった。彼らは、最初からまともな取り調べなどする気もなく、私は即座に魔女だと断定された。彼らもシュテイン王子やフローラの意思を汲んで、動いているのだ。
無実を証明することなど不可能。
弁明の機会など、一度たりとも与えられなかった。
──諦観が胸を支配していく。
私の声は、きっと誰にも届かない。
***
地下牢暮らしが日常になった。
聖女から魔女へと身を落とした私の扱いは、最悪の一言だった。
食事は良くて、濁った泥水とカビの生えたパン。
悪いときには、腐ったモンスターの生肉を口の中に無理やり押し込まれた日もあった。嘔吐と下痢が、半日ほど止まらなくなった。
まともな食事は、ついぞ与えられることはなかった。
騎士団員たちは、私をストレス発散のおもちゃとして扱った。
食事のとき、眠っているとき、取り調べと称して──彼らは特に理由もなく、頻繁に私を痛めつけた。それが王国への忠誠を示すことになると、彼らは口々に言っていた。
堪えきれない愉悦に顔を歪めながら。
痛みに声を上げれば、彼らをより喜ばせるだけだ。苦しい時間が伸びていくだけだ。私は次第に、心を無にして時間をやり過ごすようになっていった。
──誰か、助けてよ
──痛いの、もう嫌だよ
心の悲鳴は、どこにも届かない。
そんな日々は、私の心を確実に蝕んでいった。
◆◇◆◇◆
そんな苦しい日々の中。
私に与えられた唯一の楽しみが、親友との僅かな面会時間だった。
「ああ、アリシア様。こんな、こんな酷いことをどうして!」
目に涙を浮かべて、ぼろぼろの私を見る少女の名はリリアナ──今では特務隊の副隊長を務めている少女である。
リリアナと私の付き合いは長い。
彼女は、私とほぼ同タイミングで特務隊に入団した古くからの戦友だ。
彼女は男爵家の生まれでありながら、実家が没落し、厄介払いとして特務隊に送り込まれたそうだ。特務隊には、彼女のように"訳あり"の者が多く集められていた。特務隊は、死亡率の高い魔族との激戦区に率先的に送り込まれることも多い。好き好んで所属するものなど、ごくごく少数である。
同期であった私とリリアナは、必然、一緒の班で作戦に当たることも多かった。今でこそ私は、聖女の力を使ってみんなを助けられるようになったけど、昔はリリアナに助けられっぱなしだった。本当に感謝してもしきれない。
最近では、やたらとキラキラした尊敬の眼で私を見てくるようになってしまった。ちょっぴり恥ずかしいけれど、私は彼女のことをどんなときでも頼りになる相棒だと思っている。
「特務隊の様子はどうですか? 皆さん、元気にしていますか?」
「はい、バッチリです。アリシア様の作って下さったポーションと結界陣のおかげで、無事に魔族の攻撃を凌ぐことが出来ています」
「良かった!」
いくら魔王を封印したとしても、聖女が抜けた穴は大きい。
それは1つの気がかりであった。リリアナの言葉を聞いて、私はホっと胸を撫で下ろす。
「アリシア様──こんなの間違っています。……逃げましょう!」
そんな私を見て、堪えきれないようにリリアナが言った。
「私たち特務隊が協力します。絶対に、絶対に──アリシア様は、こんなところで死んで良いお方ではありません!」
「落ち着いて下さい、リリアナ。大丈夫です、私は大丈夫ですから」
リリアナの表情は真剣だった。
それこそ本当に仲間を集めて、王城を襲撃しかねないぐらいには。
「どうして止めるんですか! 今こそ、私たちに恩返しさせてくださいよ!」
「相手がどのような手段を使ったとしても、そのようなことは間違っています。それに何より、私のせいでリリアナたちまで捕まってしまう方が怖いんです。だからお願い。分かってリリアナ」
私は頭を下げてリリアナにお願いしていた。
彼女の気持ちは、とても嬉しい。地下牢で悪意に晒されてきた私にとって、リリアナの存在は陽だまりのようだった。そんな彼女が、私のせいで処刑されることにでもなってしまったら、後悔してもしきれない。
「……私、もう1回シュテイン王子に直訴してきます。アリシア様が魔族なんて……。絶対に、絶対にあり得ませんから──!」
「正しいことが通るとは限らないのです。あの人は、結論を覆しませんよ」
「それでも……。出来ることはさせて下さい!」
「──ありがとね、リリアナ」
それからリリアナとは、他愛のないことを話した。
特務隊に舞い込んできた新たな任務。新発売された魔法陣。それから今も続いている魔族との戦い。それは年頃の女の子としては、どうなんだという話題ではあったけれど、私たちにとっては楽しい日常の1つであった。
「そこまでだ」
楽しい時間は続かない。
騎士団員により、面会時間の終了が告げられる。
「また来ますね、アリシア様」
「リリアナ、どうか無茶はしないでね」
そう言ってリリアナは、地下牢を立ち去っていく。
──私も諦めてなんて、居られないな
漠然とそう思った。
◆◇◆◇◆
それからも、地下牢での日々は続いていく。
「一度、裁判を受けさせて下さい。フローラさんの霊薬を調べて下さい──私が魔族だなんて、真っ赤な嘘ですから」
「黙れ! まだ諦めないのか、魔女め!」
「まだ痛い目を見ないと分からないのか‼」
私は、どうにか潔白を証明しようとした。
突如として私が見せた反抗的な態度に、騎士団員による取り調べは激しさを増していった。それでもリリアナにばかり、働かせる訳にはいかない。
私にも、まだ出来ることがあるはずだ。
──状況が好転すると信じて
──襲いくる暴力に耐えながら、私は苦しい日々を必死に耐えていた
***
そんなある日のこと。
私の唯一の楽しみを押し潰すように。
完全に私の心を折るように。
面会時間になってリリアナの代わりに、フローラが姿を現した。
「お久しぶりね、アリシア~。ふふ、相変わらず惨めな姿! 元気にしてた~?」
「──フローラっ!? なんで? ……リリアナは?」
「ああ、あの子? そうねえ、目障りだったから──」
「……まさかッ」
血の気が引いた。
「うふふ、そんな顔しないでよ~。特務隊の任務に戻って貰っただけだから。……今の所はね? いっそ脱走でも企ててくれれば、あなたの目の前であの子を処刑するなんて楽しみ方も出来たんだけどね~」
「フローラッ!」
くすくすとフローラは笑っている。
狂っている──心の底からそう思った。
あの時、リリアナを思いとどまらせて良かった。
「お~、こわい。こわい。それだけ元気なら、大丈夫そうね~。今日からは私の実験に付き合って貰うわよ~。毒薬耐久実験、魔族のあなたにはお似合いでしょう?」
「嘘……でしょう?」
「あら、もちろん本気よ。最後ぐらいは人類のために役立って死になさいよ、魔女さん♪」
フローラは、けらけらと笑った。
それはまさしく悪魔の笑みだった。
「じゃあ、始めましょうか。アリシアは頑丈だから楽しみにしてたのよ~。少しは楽しませてね!」
フローラは鼻歌まじりで薬瓶を1つ取り出し、私の口に液体を流し込んだ。
逆らっても、もっと酷い目に遭わされるだけだ。すでに抵抗の意思は、狩り取られていた。
こ、これはヤミアの熱草……!
分かったところで、どうしようもない。
瞬く間に強烈な悪寒に襲われ、私はがちがちと震えはじめた。暗殺に備えて、ある程度は毒にも慣らされていたが、その耐性がかえってフローラの楽しみを長引かせることになった。
私は、ひどい嘔吐を繰り返す。
真っ青な顔で全身を苛む毒の諸症状に耐える私を、フローラはいつまでも楽しそうに眺めているのだった。
***
それからというもの、フローラは毎日のように私の元を訪れた。
地下牢の中で絶望する私を見て、ただただ嘲笑うためだけに。
「さすがはアリシア! う~ん、ゴキブリ並の耐久力ね! 次はこっちなら、どうかしら?」
「惜しい~! もう少しで毒が拔けるまで、耐えられたかもしれないのにね~。でも耐えられなかったから、おしおきの時間だよ~」
フローラは、私にゲームを持ちかけた。
断る権利なんてない一方的なゲームだ。
フローラの渡す毒物を飲み干し、1時間意識を保っていられたら私の勝ち。気絶したら罰ゲームと称して、フローラが新しく覚えた魔法の実験台になる。フローラの薬物の知識は確かなもので、彼女は死なないギリギリのラインで私を攻め続けた。
そのゲームは、フローラが飽きるまで延々と繰り返された。
──目の前の少女が、悪魔にしか見えなかった。
休ませて欲しいと懇願しても、弱々しく頼み込んでも、人間の顔をした悪魔は、笑顔のまま私をいじめ抜いた。
私が苦しむ様を見て、ひたすら笑い転げていた。
***
フローラとの"ゲーム"が終われば、次は騎士団員による"取り調べ"が待っていた。
散々フローラに痛めつけられ、すでに限界だったがお構いなしだ。
「も、もう許して下さい…………」
完全に心が折れていた。
涙を流しながら許しを乞う私の髪を、騎士団員が乱暴に掴む。
「この程度で音を上げるとは情けないね」
「もし聖女様なら、まだまだ楽勝だろう?」
騎士団員たちの要求は、魔力の奉納。
それは罪人の義務でもあったが、私に課されたノルマは常軌を逸していた。とても1人で賄える魔力量ではない。
結局、私は魔力が空になるまで魔力を搾り取られることになった。魔力欠乏症でフラフラになった私を見て、騎士団員たちが大笑いしていた。
「おいおい、まだノルマの半分にも届いてないぞ」
「聖女様なら、これぐらいなら楽勝だとシュテイン王子はおっしゃってたよな」
「まあでも、こいつは魔女だからな。罪人の義務である魔力の奉納をサボるなんて、悪い奴だ」
「そういう場合は、刺激を与えてやれば絞り出せるんじゃなかったっけ。こんな風に──な!」
「がっ……!?」
勢い良く壁に叩きつけられ、私はくぐもった悲鳴を上げる。それから彼らは、面白半分に私に魔法を振るった。
魔力の奉納なんて、結局は私を痛めつけるための口実に過ぎない。ノルマの達成は、最初から不可能だった。
常に魔力を搾り取られ、働きが悪いと気まぐれに魔法を撃ち込まれる。
それが私の日常だった。
***
──永遠にも思える地獄の日々が続いた。
それでもせめて、人を恨むことだけはしない。
だって、それは間違ったことだから。
魔女と罵られようとも、私は最期まで聖女として気高くあろう。血反吐を吐きながら、私は祈るように日々を過ごした。
──悲鳴を聞いて、誰もが喝采を上げる。
狂っている。おかしい。
いつから世界は、こんなに歪んでいた?
こちらの声は、何も届かない。
変わらない日々が続く。
ただ毎日が苦しい。
自分以外の人間が、まるで別の生物のように見える。
ああ、本当に自分は魔族だったのだろうか?
だから、こんな目に遭うのだろうか?
眠い。痛い。苦しい。
ぼこぼこに殴られた全身が、熱を持つ。
毒に侵された身体から、悪寒が消えない。
焼かれた背中が。刺された眼が。痛い。苦しい。
もう──早く楽になりたい。
最近は、ずっとそんなことを考えていた。
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