第7話 解かれた未練 〜再会〜

 眩い光がそらを貫いた直後、泉付近に緩やかな空気が漂った。泉の畔に咲いている彼岸花と草花はさらさらと音を立て、宙には蛍火のように光の粒が浮かんでいる。ふと風が吹き、泉を挟んだ奥に目を向けると、数十メートル先に霧に紛れてぼんやりとした人影がこちらに向かって来るのが見えた。


「あれは……?」

「そうですね……弟橘媛様、貴女の目でお確かめください」


 私が恐る恐る尋ねると、歩澄は私に人影へ近づくように促し、茂みの奥へと姿を消した。多分歩澄は完全に姿を消した訳ではなく、何処か近くで様子を見ているのだろう。

 本来なら、未練を解かれた者が彼岸先に行く為に通るはずの道。しかしその人影は、向こう側から着実に私の方へ。彼岸の先にある黄泉。そこからこの泉界神社に人が来るなんて前代未聞。私は泉に落ちないギリギリのところまで歩き、やがて視界に捉えた姿に息を呑んだ。視線の先の一人の男性──その人も私を見た途端硬直する。そして数秒の沈黙の後、一言。


「弟橘媛……?もしかして弟橘媛か!?」


 聞きたかった声。信じ難かった。目を疑った。泉の向こうには。逢いたいと切実に願っていた──


倭建命やまとたける様……!」


 強い引力。私は引き寄せられるように、泉の先にいるその人に向かって駆け出した。泉に入った反動で飛び散る雫。水を含み重くなる体。だが今はそんな事気にしている余裕はなかった。必死に水をかく。前にいる倭建命様、その人だけを目指して。


「弟橘媛!!」


 彼も飛沫を立てながら私に近づく。もう姿を見ること、逢うことは無いと覚悟して別れを告げた人の声が、姿が、手を伸ばせば届く距離にある。手に触れると、微かな温もりが伝わってきた。


「ああ……本当に弟橘媛だな?突然前が光って、導かれるように歩いていたら、お前の姿が見えたんだ……。会いたかった。あの日、お前が入水した直後、荒波がおさまって俺は無事に東征を続けることが出来た…全部お前のおかげだ」


 噛み締めるように私の名を倭建命様が呼ぶ。


「はい……私です。あの後波、おさまったのですね……よかった。貴方のお役に立たてたのなら、私はもうそれで十分報われます。ですのでどうか顔を上げてください」


 俯いている彼に声をかけると、倭建命様は徐に顔を上げた。こうして寄り添って話せるのはこれで最後かもしれない。倭建命様が彼岸から来たと言うことは、彼ももう命を落としていることになる。寿命か病に倒れたのか分からないが、1度もこの神社で見かけていないと言うことは彼は私の死後、未練なく前を向けたと言うことだろう。本当に彼は強い人だ。


「倭建命様」


 逢えるうちに、本当に伝えたい気持ちを言わなければ。そう思い、私は滲む視界の中、そっと手を離した。


「再会した今、最後に伝えておきたくて……貴方をお慕いしております。この先も、ずっと」


 共に彼岸へは行けないと遠回しに告げて微笑むと、一筋雫が頬を伝う。人と神は相容れない存在。彼岸の先にいる彼は人間で、私はもう弟橘媛比売命おとたちばなひめみこと、海の女神だ。きっともう私達が一緒にいることは許されないのだろう。私の言葉に目を見張っていた倭建命様は、悟ったように視線を外すと、ふっと表情を緩める。


「そうか。弟橘媛……お前はもう、違うのだな。お前のさがはよく知っている……決めた事は曲げない事も。俺がここで彼岸へ共に行こうと告げても行かないのだろうな」


 諦めたように倭建命様は告げると、私を見据えた。


「けれど俺もお前を忘れたりしない。ずっとお前を想っている」


 その言葉を合図にするよう、私達はお互いに距離をとる。これ以上共にいれば、離れるのが名残惜しくなるだけだ。後ろ髪引かれる思いをそっと堪えて、私は巫女鈴を手に握りしめた。ここへ呼び寄せたのは歩澄。ならば、この神社の『送り巫女』として、倭建命様を再び彼岸へ送るのは私がすべきことだ。


「その言葉は嬉しいです……でも1つ約束をしてください。もしこの先、魂が生まれ変わり倭建命様が、再び現世で過ごす事があれば……幸せになってください。その世界で」


 脳に浮かぶのはこしらえを差した男性に聞いた、琴葉さんの事。昔、男性の妻だった琴葉さんは数百年後に魂が生まれ変わり、再び現世うつしよで過ごして居ることを聞いた。ならばいずれ倭建命様も琴葉さんのようになるのではないかと、そう思ったのだ。神に『死』はないが、人間は違う。この先、生まれ変わりも有り得るのだ。


「お前……なんで。最期くらいお前の願いを俺に聞かせてくれ。お前はいつも相手のことばかりだ」


 哀し気な彼に巫女鈴を持つ手が微かに震える。気丈に振舞っても倭建命様には全てお見通しの様だ。


「それなら……私から1つ。どうか弟橘媛と言う名は覚えていてください。きっと貴方の魂が生まれ変わり、現世に降り立った時、またがあると思うので」


 私の言葉に一瞬戸惑いつつ、倭建命様は力強く頷いた。生前の時と変わらない、決意が固まった表情だ。


「きっとまたどこかで──」


 言葉の代わりに水上でくうをなぞるように鈴を一振り。操られるように水面に弾け飛ぶ雫。辺りにこだまする繊細な鈴音に応えるように舞い上がり、黄金の光を宿す。永遠とわを彷徨う想いを乗せるように揺れて倭建命様を包んだ刹那──私は伏せていた顔を徐に上げた。

___________________

【作者から】

更新開けてしまい、申し訳ないです……4日も。課題に追われておりました。あと2話程で完結です。最後は温かい感じで終わりたいと思っています。伏線もしっかり回収します

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