(後編)暑さが酷すぎて頭にサバを乗せてみた
「氷が足りなかったので、サバとか何か大きめの魚を大きい人の頭にのっけて来た」
「溶けたら生臭いだろ。早くなんとか」
「その前にここに氷持ってきてくれ」
「さらにその前に君は早く中央と連絡を取ってこの事態を解明してくれないかな」
しないならボクは別の場所に避難する、とアスタロトさんが公言している。
そうですね、それこそ埒が明かないですもんね。
確かに自然風が涼しいらしいことがわかれば、避難の仕様もあるのだろう。
「連絡とりながらアパームのとこに移動する。ならどうだ」
「君にしては完璧だ。ボクも便乗する」
やっぱり暑さは尋常ではないらしい。アスタロトさんが便乗とかダンタリオンを褒めるとか、二度とお目に書かれない言動かもしれない。人間だって猛暑が酷暑になると開き直って暑さを楽しむ人以外は軒並み壊れるので、まぁわかる。
「私も行っていいですか」
「お前だけ行ってどうするんだ。オレも行く」
絶対涼しい。ここより自然な感じで涼が取れる。今日の暑さは人間にだって厳しいんだ。
忍が好奇心から便乗しようとするので避暑、という言葉がぴったりな女神さまの館に全員で移動することになった。
直属の運転手がやられていたためハイヤーの方が回るのが遅く、大使館の玄関先に出てしまったが……
「なるほど、緑地だと外の方が涼しいな」
「いや、天気おかしくない? なんかいつのまにか黒雲が……」
とたんに雷が鳴りだした。これヤバいやつだ。庭の木陰で涼んでいたオレたちだったが、建物に忙しく戻ろうとしたその時。
「豪雨注意報、出てたっけ?」
バケツをひっくり返したような雨が降ってきた。広い庭園が災いして避難しきれなかった。オレたち人間組は手近な木の下に逃げ込むが、それでも濡れる。
そしてものすごい土砂降りの中、やっぱりフラットな口調で降りくる雨を見上げるアスタロトさんとその隣でダンタリオン。二人とも避難すらしなかった。
「そんなの見る必要ないからなー。涼しくなったな」
手遅れ感が満載なのか今からする気もなさそうだ。
涼しくなったどころじゃないわ。
ずぶ濡れの自分たちの姿に違和感は。ってかこれが神魔のゲリラ豪雨に対するナチュラルな反応なのか、暑さが酷すぎたのかわからない。
いや、多分、魔界の貴族がずぶ濡れとか一生で見かける確率の方が限りなくゼロに近かったんだろうけども。
「何か……ものすごく珍しい光景を見ている気が」
「そうだな。公爵はともかくアスタロトさんがずぶ濡れとかない」
「平然としてるところがもう、何をどうしようもないって感じですよね」
オレたちも着替え必須な感じで濡れ始めている。
「頭が少し冴えてきた。というか」
その言葉とほぼ同時に、アスタロトさんの足元の芝が円を描くように薙いで風が巻いたのが見えた。パン、という乾いた音とともに、すっかり濡れた肩掛けの薄い黒コートが一瞬翻り、その頭上の雨がシャットアウトされる。
「!?」
振り向いたアスタロトさんが一言。
「戻った」
「……」
何が戻ったのかは明白だった。先ほどまでのフラットさ……虚ろともいう、が消えているのはアスタロトさんを見慣れているオレたちにはよくわかる。
その隣でだんまりのダンタリオン。濡れたままだが……
「何がどうなってるんだ、これは……」
静かにお怒りのご様子。
うつむいたまま顔を上げない。アスタロトさんのように降りくる雨を遮断しない様が物語っている。怒りマークが頭上に浮いて見えそうだ。
「雨も小降りになってきたね。こういうのはあっという間だ」
あっという間にずぶ濡れですが、大丈夫ですか。
オレは今日ばかりはそのお気遣いの言葉を音にすることができなかった。
「アスタロトさん、大丈夫ですか?」
「オレも気遣え」
「あとで凍ったサバ持ってきてやるからお客優先しろよ」
「生臭いんだよ、それもう溶けてるだろ」
すっかり止みそうな気配の雨は会話を普通に通してくれる。
その時、司さんの無線が入った。この雨だとスマホはやられていてもおかしくなさそうだが、防水なのか普通に通信だ。
そして、終わるとちょっと言いづらそうな顔で、内容を伝えた。
「隊員経由で清明さんから報告が来ました」
清明さん。結界を管理したり、神魔との間に入るすご腕らしきこの国の術師。
晴明ではなく清明なのは、登録の際に和局長が間違えてその漢字にしたらしいエピソードにも怒らない懐の深い人。
「停電が起きていたようです」
「停電?」
この疑問はオレと忍からだった。
「魔力的な停電。一過性で魔界の出身者だけに影響が出る磁場の分断がどうたら」
司さんは説明を省略した。
「なんだそれは~~……!」
理由はもちろん、その先も説明すれば矛先が自分に向きかねないからだろう。正しい選択だと思う。
「あとで清明さんに連絡してください。ここに連絡入れても誰も出なかったようなので」
「お前、スマホ持ってたよな」
「スマホ……? そんなの鳴らなかっ……電源落ちてる」
悪魔なのに現代的通信手段を持ち歩いている魔界の貴族、ダンタリオン。
どこから取り出したのか暗くなったままの画面に視線を落としている。
「壊れたんだろ。さっきの雨で」
「ふざけんな。朝一で落としたデータまだ移してないんだぞ」
同期しとけよ。文明の利器使いこなせるなら。
訳の分からないところに怒りの矛先を向けたダンタリオンを前に
「停電か~ちょっと長かったよね?」
「それ、ふつうの停電な。なんか難しい問題なんじゃないの?」
「とりあえず厨房を見に行くか」
これ以上巻き込まれないように、現場確認に行く司さんについていくオレたちだった。
「断固、再発防止策を講じるように求める!」
「まぁ、滅多にない体験ではあったけどね」
なお、アスタロトさんは制約のかかった観光神魔であったため、暑さの程度はダンタリオンより上だったらしいことは、後日判明することとなる。
それから、サバはまだ溶けてなかった。
魔界の貴族たちを虚ろにさせてしまう日本の夏。恐るべし。
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