第15話 魔球

「ハル坊!」


 オールバックにした黒髪を後ろで束ねた槍使いのトレボーが僕を呼ぶ。


「わかってます!」


 高く上がった打球は確実にホームランコース。満塁だから四点だ。それでも僕は諦めずに追いかけている。腰を落として低く槍を構えるセンターのトレボーを見ればなにがしたいのかは一目瞭然だ。


「せー」

「の!」


 タイミングを合わせて彼の長槍の先に飛び乗る。バランスを取って腰を落した瞬間、トレボーの怪力が槍を跳ね上げ、僕を空高く打ち上げる。


「駄目か!?」


 足元のトレボーが歯噛みする。ボールには僅かに届かず、僕の頭上を越えて背後へと抜けていく。


「諦めんな!」


 イザベラの檄にハッとして僕は無形剣を抜く。後ろから貫くつもりで刀身を伸ばし、軟化させた切っ先で絡めとるようにボールをキャッチする。


「やった! わ、わわぁ!?」


 バランスを崩し真っ逆さまに落ちていく僕をトレボーが受け止めた。


「ボールは!?」

「僕の心配もしてくださいよ」


 呆れながら、僕はしっかりと引き戻したボールを掲げて見せる。


「……スリーアウト! チェンジ!」


 審判の宣言にホッとして、トレボーが拳を突きだした。


「あのくらいの事で怪我する程やわじゃねぇだろうが」

「そうですけどね」


 肩をすくめて僕は拳を重ねる。普段はハル坊とか言って子供扱いする癖に。認められた気がして僕は少し嬉しくなる。


「しゃあああ! ハル、トレボー! よくやったぁ!」

「うぎぎぎ! 敵ながらアッパレですわ!」


 元気な監督達の叫び声が飛んでくる。


 ともあれ、これで二回表が終わった。点数は7対5で負けている。この局面での満塁ホームランは痛すぎるので、一安心と言った所だろう。


 異世界野球はキャッチャーが一番大変だ。グラブがないので――あったところでって感じだけど――捕球には特殊な能力が要求される。それでも、ピッチャーの能力を百パーセント引き出すのは無理だ。エンキオが本気を出せば一撃で竜の心臓を射貫くような魔弾を放つ事が出来るけど、そんなのどう頑張ったってキャッチできないから、かなり加減をしてボールを放っている――ある意味では、そこが異世界野球における力の見せどころなのかもしれないけど。


 変化球や搦手――止まる魔球や増える魔球など――を織り交ぜてどうにか頑張っているけど、相手は歴戦の冒険者達だ。自分の番が来るまでにしっかり観察し、うまく対応してくる。地球の野球と違って割と簡単に点数が入ってしまうのが異世界野球なので、七点で抑えられているのはすごい事なのだとエンキオの名誉の為に言っておく。


 そう言う意味では、バッターの方が振るっていない。この辺でドカンと点数を稼いでおきたい所だ。


「ついにこの時が来たわね……ハル! ここで会ったが百年目よ!」


 本日最初の打席に立つと、ホワイトウルブスのエースピッチャーであるカステット=エクスターが僕を指さす。彼女は僕より少しだけ年上の女の子で、僕と同じくらいの時期にこの街にやってきていた。ピンクがかった赤毛を腰まで伸ばした勝気な雰囲気の魔術戦士で、白狼亭のルーキーとして話題に上がる事が多い。だからなのか知らないけど、一方的に目の敵にされて張り合われている。


「前に野球をしたのは一か月前だし、普通に昨日街ですれ違ったよね」


 新しく出来たシュークリーム屋さんを覗きに行ったら彼女が並んでいた。挨拶をしたら勝手に怒り出して列から抜けちゃったけど。


「こういう時はそういう台詞を言うって決まってるの! とにかく、今度こそ負けないんだから!」


 メラメラと一人で闘志を燃やしている。確かに前回の試合では何度か彼女から点数をもぎ取ったけど、チームとしてはかなりギリギリの試合だったし、別に僕は勝ったとは思ってない――というか、そもそも彼女と個人的な勝負をしていたつもりはなかったんだけど。


「それで野球の練習したの? なんか物凄く上手くなってるけど」


 カステットは前回もピッチャーをやっていたけど、その時は魔術を放つような感覚で握ったボールを飛ばしていた。今回は以前とは違い、わりとしっかりした――ように素人の僕には見える――投球フォームでボールを投げていた。そこに色々な工夫が加わり、ブラックキャッツのバッター達は苦戦を強いられている。


「っ!? う、うるさいわね! 煽てたって手加減なんかしてやらないんだから!」


 真っ赤になってカステットがたじろぐ。正直な感想を言っただけなんだけど。昔から年の近い女の子の考えは今ひとつ理解出来ない僕だった。


 正々堂々――むしろズルかもしれないけど――僕は刀身をバットの形にした無形剣を構える。野球の為に作られた道具だし、この形が一番打ちやすいんじゃないかと思う。


 カステットは何度か深呼吸をしてから頭を振ると、気持ちを切り替えて真剣な表情を見せた。ボールを握り込み、片方の足を高く上げると、澄んだ魔力が淀みなく流れ、綺麗なオーバースローでボールを投げた。


 途端にボールが太陽みたいに光り出し、僕は思わず目を背ける。


「ストラーイク!」


 ロボットみたいな重装鎧を着たキャッチャーの籠手の中にガチン! とボールが収まり、審判が宣言する。


「見たか! ハルに勝つ為に編み出した99の魔球の一つ! 光る魔球よ!」

「見たかって言われても、眩しくて見えなかったよ」

「そういう意味じゃないでしょ!?」


 カステットが地団駄を踏む。


 ボールに強力な発光魔術をかけただけなんだろうけど、眩しくて全然見えないから普通に厄介な魔球だ。


「せっかくだから他の魔球も見せてよ」

「ベー、だ! 光る魔球を攻略出来ないからそんな事言ってるんでしょ! その手には乗らないんだから!」

「ちぇ。バレたか」


 短い舌を出すと、カステットが投球フォームに入る。真面目にこれまでの魔球を観察してたのに、いきなり僕用の魔球に変えるなんてズルい。イザベラに大見得を切っちゃったし、チケット十枚の為にも、どうにか魔球を見切って点を入れておきたい所だ。


 カステットが光る魔球を投げる。


煙幕スモーク


 顔の前に煙を広げてサングラスの代わりになるか試してみるけど全然ダメ。ただの発光魔術かと思ったけど、思っていたよりもずっと厄介だ。ちょっとした障害くらいなら余裕で貫通するっぽいし、魔力的な眩しさも伴っているから、視覚だけじゃなく魔力感覚でも捉える事が出来ない。運頼みで思いっきり振ってみるけど、当たるわけもなく。


「ストラーイク、ツー!」


「ニヒッ! イヒヒヒ、あたしの魔球に手も足も出ないみたいね! 良い気分だわ!」


 口元を三日月みたいに歪めて、とっても嬉しそうにカステットが笑う。そこまでされると流石に僕も少し悔しくなる。でも、攻略方法は全然わからない。眩しいだけの魔球がこんなに打ちづらいなんて。キャッチャーもよくこんなボールが取れるものだと感心する。


 ……お?


 もしかして、閃いちゃったかもしれない。


 でも、確証はない。


 その可能性はそこそこ高いけど、ハズレの可能性だってある。わざわざバラす必要もないし、僕は悔しそうな顔で無形剣を握り直す。


「こいつで終りよ!」


 カステットが三球目を投げる。


 僕はボールから目を背けたまま、思いきりバットを振りかぶる。


 バットの形に硬化させた刀身に小気味よい手応えが響き、カキーン! と空にもう一つの太陽が打ち上る。


「……嘘でしょ」


 カステットの目が点になる。


 ホームランになるかはまだわからない。さっき僕とトレボーがやったみたいにファインプレイで捕られる可能性は全然ある。でも、マーセリスが稲妻魔球を反転させたみたいに、撃ち返された魔球は相手の外野手にとっても脅威になる。向こうも飛び道具で撃ち落そうと頑張るけど、眩しくて全然上手くいかず、無事僕の打ち上げた打球はフィールドを越えた。


「ホームラン!」


「なんで、なんでよ!? なんで打てちゃうのよ!?」


 一周して戻ってきた僕に悔し涙を浮かべたカステットが言う。一度打たれた魔球を二度使うカステットじゃないから、僕は普通に種明かしをする。


「光る魔球は完璧だったよ。完璧すぎて、キャッチャーにも見えないと思ったんだ。そうなると、カステットはキャッチャーが構えてる所に正確に投げ込むしかないよね」


 どこに飛んでくるか分かっていれば見えなくたって関係ない。でも、気づいたのは偶然みたいなものだし、かなりすごい魔球なのは確か。この弱点だって、なにか工夫をしたら改善できそうな気がしないでもない。


「ぐ、ぬぬ……勝負はまだ始まったばかりなんだから! この程度で勝ったと思わないでよね! まだまだ、すごい魔球が98個も残ってるんだから!」


「そんなに打席は回ってこないよ」

「うるさい!」


 カステットにどやされて、僕はすごすごと自分のベンチに戻っていく。


「やったなハル!」

「今のまぐれカ? それとも、なにか秘策があるネ?」

「はは、カステットの嬢ちゃん、まだお前の事睨んでるぜ!」

「ハル君、喉乾いてない? 水分補給忘れちゃだめだよ!」


 イザベラやブラックキャッツのメンバー達、チアガール兼マネージャーのキッシュが声をかける。


 それらに答えながら、僕は審判席のスコアボードに視線を向ける。


 7対6。とりあえず、一歩前進だ。

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