第3話 魔導書
この世界にも娯楽はある。
魔導技術というのが発展していて、テレビやゲームの代わりになるような魔導具が存在している――
せっかく墓地にいるから、借りたまま返却期限が迫っているゾンビ映画――部下のミスでゾンビ化した勇者軍を相手に魔王城に籠城する魔王を描いたお馬鹿映画、ブレイバー・オブ・ザ・デッド――でも見ようかなと思ったけど、ちょっと不謹慎だし張り込みには向かないので、収納腕輪から引っ張り出したソファーに寝転んでホラー小説を読んでいる――魔導具を用いた印刷技術があるみたいだけど、現実世界と比較すると本は結構高価だ。
大抵の人は貸本屋を利用するけど、僕は本を綺麗に扱えないタイプの人間なので金に物を言わせて購入している。
内容は時空魔術を研究する魔術士が実験に失敗し、眠る度にランダムな時間軸の自分に存在が乗り移るというSFっぽいお話。突然訳の分からないシチュエーションに放り込まれて主人公は困惑し、それによって時間軸が書き換わる。主人公にとってマイナスになる歴史改変が積み重なり、目覚める度に状況が悪化する鬱移しい展開だ。
左手には小さなテーブルを置いて、黒猫亭の黒ビールを飲みながらスモークサーモンの挟まったサンドイッチをおやつにしている。虫がつくと嫌なので、周囲には弱い結界を張ってある。
無形剣はかっこいいけど、どちらか一つを選べと言われたら僕は収納腕輪を選ぶと思う。教室一つ分のどこでも倉庫は使い勝手がいい。中は時間が止まっているのか、食べ物を入れても腐らないし、ビールは冷たく炭酸もそのままだ――温いだけなら魔術で冷やせるけど、炭酸を足す術はまだ知らない。
だらしない恰好だと思われるかもしれないけど、張り込みを始めてもう三日だし、報酬だって貰ってないんだから――僕が勝手にやってるだけだから仕方ないけど――これくらいは許して欲しい。
もうすぐオチが来そうな所で僕は本を閉じる。
無縁墓地全体に薄めた魔力を霧のように広げている。それは魔力探知という術の一種で、範囲に入った存在を結構正確に把握できる。来訪者は一名。時刻は昨日と明日の間くらい。こんな時間に無縁墓地に用のある人間はろくな奴じゃない。
僕は張り込みセットを収納腕輪にしまうと、透明の術を使って歩き出した。光を曲げて姿を隠す光学迷彩みたいな術を僕はまだ完璧にはマスターしていない。濃い陽炎のような薄靄が残ってしまう。明るい所ではバレバレだけど、暗い所で使う分には実用的だ。
犯人は僕よりも何歳か若く感じる男の子だった。癖の強い黒髪に陰のあるいじけた顔つきの子で、いかにも後ろめたそうな黒いローブを羽織っている。左手には青白い光を放つ魔術仕掛けのランプ、右手には怪しい魔力を湛えた皮張りの魔導書を大事そうに抱えている。
魔導書は特別なドロップとして落ちる事もあるし高レベルの魔術士が書く事も出来る。そこには文字を媒体に魔術的な概念が詰め込まれていて、素人でも魔導書の発する魔力的な導きに従えばそこに封じられた術を再現する事が出来る。
素人でも魔術が使えるマジックアイテムであり、魔術士が新しい魔術を仕入れる際に便利な教本でもある。僕もかなりお世話になった。彼が持っているのは死霊術の魔導書だろう。そんな物をどうして彼が持っているか僕が知るわけはない。
生き物の――多くの場合人間の――死体や骨を操る死霊術は使用は勿論学ぶ事も教える事も違法とされている。魔導書の所持や売買も同じだ。そうは言っても、鑑定能力のない冒険者はドロップで手に入れたアイテム――この場合は魔導書だ――にどんな力があるか分からない。知らずに冒険者の店に持って行った時点で禁忌アイテムとして没収される――呪われた装備なんかも同じ扱いだ。
まともな冒険者の店なら責任をもって処分するんだろうけど、あくどい所だとブラックマーケットに流したりする。そんな感じのが巡り巡って一般人の手に渡る事は珍しくない。で、大体の場合こんな感じで面倒な事になる。
男の子は適当な墓石の前に立つと左手のランプを足元に起き、魔導書を開いてページの上に空いた左手を置いた。魔導書に込められた魔力と彼の魔力がゆっくりと絡み合うのが見える。
「そこまでだ」
墓堀の手間が増える前に僕は声をかけた。
「うわぁ!?」
情けない悲鳴を上げると、彼はランプを置き去りにして走り出す。
「
走って追いかけても余裕で捕まえられたけど、暴れられると面倒だ。僕は遠ざかる背中に右手を伸ばしありきたりな呪文を唱える。
呪文自体には意味がない。本当になんだっていいし、なんなら唱える必要すらない。魔術は魔力を見えざる意志の手でこねて形を与える術だ。僕に最初に魔術を教えてくれた人は多才な人で色々な術を教えてくれた。彼が言うには、術のイメージとキーワードを結び付けて声に出すと咄嗟の時に形にしやすいそうだ。試してみて僕もその通りだと思ったから真似している。
言葉通り、それは魔力で出来た紐を編む術だ。手首の辺りから白く輝く魔力の紐が素早く伸び、男の子の胴体を両腕ごとぐるぐる巻きにする。あまり良い表現じゃないけど、男の子は繋がれた犬みたいになって逃げられなくなった。彼を転ばせないように気をつけながら、僕は紐を引き戻して近づいていく。
「く、来るな!? バケモノ!」
泣きそうな顔で男の子が叫ぶ。うっかりしていた。彼には僕が黒いもやもやに見えている。無縁墓地で悪さをする彼には恐ろしい亡霊に見えた事だろう。
「僕はただの人間だよ」
下手くそな透明の術を解いて姿を現す。
「お、お前、誰だよ! こんなことして、ただじゃ済まないぞ!」
「僕は冒険者のハル。名もなき死者の遺骨で遊ぶ悪い奴を張り込んでた。最後の台詞はそのまま返すよ」
僕の言葉に男の子が青ざめる――元から青くなっていたけど。
「ご、ごめんなさい! 許して! 出来心だったんだ! こんな事が親に知れたら勘当されちゃうよ!」
「理由次第だ。どうしてこんな事をしてたんだい」
男の子は泣きそうな顔で俯いた。
「言えないなら勇者官に突き出すよ。親にバレるし学校にも連絡がいく」
勇者官はこの世界の警察みたいな存在だ。
彼が何者かは大体予想がついた。街の高級市民の子だろう。いい学校に通うおぼっちゃまというわけだ。
「駄目! 言うから! それだけはやめて!」
この世の終わりみたいな顔で男の子が言う。僕は促すように肩をすくめた。
「……僕、学校でいじめられてるんだ。魔術の成績も悪いし、出来損ないの役立たずだって。おじい様の部屋でこの魔導書を見つけて……あいつらを見返してやろうと思って……」
僕は肩をすくめる。
「いいよ。見逃してあげる」
彼の魔力の流れを見るに嘘は言ってない。僕は警察じゃないし、人一人の人生を背負うのは煩わしいから見逃す事にする。
「本当!?」
「でもその本はここで壊すよ」
僕の言葉に、男の子が本を庇うようにして身を丸める。
「ま、待ってよ! もう少し、あと一回か二回練習したら物に出来そうなんだ!」
「そこまで見逃すとは言ってないけど」
「頼むよ! たった一つでいい! 魔術が使えるようになればあいつらを見返せるんだ!」
彼の魔力がぎこちなく淀む。
「死霊術の使用は犯罪だ。そんな事をしたら君は破滅する。バレないように復讐するつもりなんでしょ」
魔力を読むまでもない。正直者の顔がぐにゃりと歪む。
「……いいじゃないか……僕は散々ひどい目に遭ったんだ! あいつらは最低なんだ! 誰にも迷惑をかけてない! ちょっと仕返しをするぐらい――」
「お調子者のニールセン、泣き虫のリーベロッタ、嫌われ者のジェスロ」
「……ぇ?」
理解出来なかったのだろう、男の子が怪訝そうに僕を見返す。
「君が玩具にした人達の名前だよ。ほんの一部だけどね。特別に仲がよかったわけじゃないけど、それなりに思い出はあった。ニールセンにはよく酒をたかられたけど、彼のお陰で僕は店のみんなと打ち解けられた。リーベロッタの焼いてくれたお菓子は美味しかったし、ジェスロには嫌な思いでしかない。君が操り人形に変えたせいでどの墓に彼らが眠っているのか分からなくなった。僕はもう、彼らに手を合わせる事も出来やしない」
その事で僕は少しムカついていた。本当はぶん殴ってその辺の木に吊るしてやろうと思ってたんだけど、こんな子供じゃそれも出来ない。
「う、う、うぁあああああ、ごめんなさい! ごめんなさい!」
ようやく自分のした事の意味を理解したのか、男の子は泣き出した。僕が魔紐を解いても彼はしばらく泣き続け、最後にもう一度謝ると魔導書を差し出した。
「炎よ《ファイア》」
唱えると、手の中の魔導書が炎に包まれ、禍々しい魔力を吐き出しながら灰に変わる。
男の子は泣き出しそうな顔で見ていたけれど、不意に思い立って僕に言った。
「ぼ、僕に魔術を教えてください!」
予想外の展開だ。
「先生とか柄じゃないから」
「お願いします! お金なら払いますから! なんでもします! お願いします」
男の子が土下座する。僕はそれにイラつく。地べたに這いつくばって頭を下げるだけで身勝手なお願いが通ると思う甘えた考えに腹が立つ。
「だったら、君をイジメてる連中に歯向かってみてよ。それが出来たら考えてあげる」
「そんな、無理だよ!」
「知らないよ。僕は迷惑を受けた側なんだ。条件を出すだけ有難いと思って欲しいね」
僕は歩き出す。
魔導書は焼いた。暫くは僕の思い出が荒らされる事もない。早く帰って小説のオチを読みたい。
「待ってよ!」
僕は待たない。
「待ってってば!」
止まることなく僕は立ち去った。
「お願いだから!」
「……お願いだよ……」
「う、うぅぅ…………」
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