激辛料理から始まる身分差の恋、猫をぶつける偽王女
鶴屋
第1話 侍女の激辛料理、王女の猫魔法
健国王のブリシュタット陛下いわく。
『どんな人間にも、一つは飛びぬけた才能を持っている。ようは適材適所。使いようだ』
もう何百年も昔に亡くなられた偉人の格言が、今日もまたわたくしの身に沁みます。
「また、まともな人間には食べられない代物が出来上がってしまいました……」
はぁぁぁぁぁ、と、大きなため息がわたくしの口から出ました。
場所は、ブリシュタット王国のきらびやかな王宮の片隅。
エモルトン子爵の娘たるわたくし、フェリス・リッツ・エモルトンは仲の良い宮廷料理人にお願いをし、厨房の片隅と余り物の食材をいただいて、今日もひっそりと花嫁修業中。
目の前には今しがた作ったばかりの子ヤギとにんじんのシチューの成れの果てが、ぐつぐつと凶悪な色を帯びて煮立っておりました。
素敵な殿方の心を射止めるために、料理はとても重要でございます。
結婚すれば一緒に暮らすわけですし、今は婚約者はおろか恋人すらおりませんが、愛する方が出来れば手料理を振舞って『美味しい』の一言もいただきたいというもの。
くすんだ金髪、すっきりしきれない微妙な目鼻のライン。美女とは言い切れないわたくしの容姿ですが、殿方の胃袋を掴めば洗練された社交界のご令嬢とも十分に渡り合えるはずです。
そういう目論見、だったの、です、が……。
目の前にある物体は、魔女の鍋とみまがうような、どどめ色の毒々しい代物。
試しにひとすくいスプーンでとって、口元に運んでみれば――
「うひぃぃいっぃぃぃぃぃぃぃい!!!!」
ぼわっと、炎が口から出ました。
わたくしも年頃の女。しかも貴族の端くれなのですが、令嬢どころか人としてあるまじき叫びが口からほとばしりました。
慌てて近くに用意したバター大さじを口の中ににぶちこんで、どうにかこうにか鎮火させます。
激辛でした。
今日も今日とて、わたくしの料理は激辛でした。
“暴君料理”とつけられた異名に遜色のない激辛ぶりでした。
「はぁ。こんな才能なんて要りませんのに……」
神に誓って言います。調味料だって具材だって、何ら変な物を入れてはおりません。分量だってきちんと確認しております。
レシピを確認した王室料理人がどうにもおかしいと首を傾げ、色んな専門家が原因を調査し最終的に王宮魔術師様が結論を出したところによりますと。
これが、わたくしの固有魔法だそうです。
『手作りのありとあらゆる料理が、人類の限界を試す辛さになる』という……。
しかもこの魔法、常時発動するタイプだとか。
「あはははは。相変わらず馬鹿やってるわねー。おもしろー」
「姫様」
そこへ通りかかったのは、けらけらと悪意なくわたくしの努力を笑う我が主君。
愛嬌と小憎たらしさが同居した偽王女、ロゼッタ・アル・シエラ・ブリシュタット様でした。
****
我が主君、ブリシュタット王国が第一王女(偽物)、ロゼッタ・アル・シエラ・ブリシュタット様について簡潔に申し上げますと、短気、わがまま、幼稚、猫の天才でございます。
なにせ、ことあるごとにキレて猫を投げつけてきますので。
ええ、猫をです。
にゃーん。
もちろん投げつけるのは、生きた猫ではありません。そんなことをしたら猫さんも危ないですし、だいたいいつもいつもロゼッタ様の手元に猫がいるわけもありませんし。
ロゼッタ姫様(偽物。以下くどいので省略)は、わたくし個人としてはものすごく妬ましいのですが、猫魔法の天才なのでございます。
猫魔法とは文字通り、物体をもふもふにゃんにゃんの可愛らしい子猫にする魔法。
「あっ!」
王宮離れの厨房から王宮中枢の自室への移動中。姫様が、うっかりと自分のドレスのすそを踏んづけてつんのめってしまいました。
「あもう、腹立つ!!」
その程度のことで、ロゼッタ様はすぐにキレます。
そしてあたり構わず周囲の視線も気にせず、そこらにあったものを拾っては手近な人間に向かって投げつけるのです。
投げる材料は路傍の小石だったり、食器棚のお皿だったりフォークだったりナイフだったり、机の上の水差しだったり様々です。
それを魔法で次々と猫に変えてぶつけてくるわけです。主に侍女であるわたくしに向かって。何故って、たいてい姫様の一番近くにいるからです。
わたくしに向かって跳びかかってくる猫さんが一匹、猫さんが二匹、三匹、四匹、五匹……。
ああ、素晴らしいにゃんにゃんパニック。
見た目ほっこりしますが、これって王宮に仕える一級魔術師でもできるかどうかという無詠唱の超高等技術。
だってそこらの小石をロゼッタ様が手に取って投げつける間に、手が生え脚が生え毛が生えて愛くるしい猫の造詣をとるわけで、術の発動から完成まで三秒といったところ。まごうことなき猫魔法の天才です。
なので猫を投げつけられた方は、もふもふ可愛いだけ。
痛くはありませんし、ぶつかった魔法猫たちもわたくしの作業着のズボンや靴にすがり付いて無害ににゃーにゃーと鳴くくらい。
難点を言えば魔法できた猫なので、五分ほどで元の素材にもどってしまうことくらいでしょうか。いつまでも愛でていたいのですが。
「まったくもう。やんなっちゃうわ!」
姫様が落ち着くころには、わたくしはひとしきりにゃあにゃあと可愛らしい猫さんたちを撫で終えた後でした。はっきり言います。役得です。
「姫様、人目がありますのでこのあたりで」
「はいはい、分かりました! うっさいわね」
それはさておき。
ロゼッタ様も、もうすぐ十八歳でございます。
すなわち、次期の女王として認められるため、名ばかりでも婚約者を決めねばならぬお年頃。
しかし先に申し上げたように、ロゼッタ様は偽物の王女。
女王陛下が、暗殺対策に用意した影武者なのでございます。
もっともロゼッタ様ご本人はそのことを知らず、自分が本物の第一王女だと思い込んでおります。加えて、本物の王女様がどなたなのかを知っているのは、実の両親たる女王陛下と王配殿下ほか王室の数名だけ。
女王陛下曰く、本物の王女様はとても謙虚で聡明な方とのことで、今も王宮でひっそりと身分を偽って暮らしつつ、政務について四苦八苦しながらも学んでいらっしゃる最中だとか。ですからわたくし、名前すらも知りません。
ただ、何かにつけ厳しい女王陛下が手放しで絶賛するくらいですから、さぞや能力、人格ともに練れた御方なのでしょう。いつかお会いしたいものです。年齢もわたくしと同じとのことですし、お会いできれば学ばせていただくことはさぞ多いはず。
「フェリス、何を考えているの?」
「ああ、いえ、すみません。王女様の婚約者になられる方について考えておりました」
とっさに、思っていたこととは別のことを言うわたくし。
「あなた、いつも言い回しがくどいわ」
とがめる台詞ですが、ロゼッタ様の顔はまんざらでもありませんでした。
これから、自らが選んだ婚約者候補と会えるのが楽しみなのでしょう。
ロゼッタ様は影武者ですが、対外的には王位継承権を持っておられます。王女様が十八歳にもなって、婚約者の一人もいないというのは異常な状態。
しかし、これまで良縁に巡り合えませんでした。
ロゼッタ様のお顔はすこぶる美しく、ふわふわした金髪の髪といいきらきらとした藍色の瞳といい、口を開かねばかなりのものです。猫魔法も可愛いらしいですし。
けれども素行があまりにも幼稚かつ自己中心的ゆえ、どんな殿方もロゼッタ様との恋人関係は続きません。
なにせロゼッタ様は言動の真ん中から端っこまでに思慮の欠片がありませんし、思いついたら猫のようにまっしぐらで後先を全く考えません。
過去の行状を少し並べますと、
王国の税収を一部ちょろまかして自分のお小遣いにしようとしたり(わたくしが阻止しました)。
王立学園で気に食わない学友を権力にあかせて退学に追い込もうとしたり(わたくしが阻止しました)。
結婚詐欺師めいた貴族の口先にからめとられて真実の愛とやらへの代償に多額の金銭をだまし取られそうになったり(わたくしが阻止しました)。
隣国の王子がイケメンらしいという噂を聞きつけて無理やり我が国へ呼びつけたり(わたくしにも阻止できませんでした)。
とまあ……。
その行状を客観的に見れば、ありていに言って“う〇こ”そのものなのですが、
『王女たるもの、臣下を傷つけるのは良くないわ』
という一点のみは守ろうとはしており、そのために駆使している猫魔法のおかげでどうにかこうにか周りも苦笑いしつつ許しているわけです。
(こんな調子で、今夜のお見合いは上手くいくのでしょうか?)
ロゼッタ様の婚約者を決めるという晩餐会は、今夜に開催されます。具体的に言うとあと五時間とニ十分後。
姫様のお目当て、隣国ラターシュから来られたイケメンという噂の王子様は、昨夜に到着され来賓用の御屋敷にて待機なされております。
「ああそうだ。フェリス。久しぶりにあなたのお菓子を食べたいわ。すぐに作りなさい」
「へ……?」
わたくし、目をぱちくりとさせました。意外な申し出だったからです。
ロゼッタ様は、かなりの辛党なのですが。
そのロゼッタ様をして、『モノには限度があるでしょう、限度が!』とキレられた私の暴君料理。何しろ砂糖菓子だろうが蜂蜜菓子だろうが死ぬほど辛くなってしまい、友人からはスイーツへの冒涜とまで言われた代物が出来上がってしまいます。
「命令よ。あなたの作ったお菓子なら何でもいいから今夜の晩餐会までに用意しなさい。今から作れば間に合うでしょ。急いで」
「は、はあ。かしこまりました」
わたくしの立場は王女付きの侍女ですので、偽物とはいえ王女様から命令とまで言われれば断ることはできません。
しかし、どうして今になって言いだしたのでしょうか。過去にロゼッタ様へお作りした際は、三口が限界だったのですが。
(本当に、ご自分で食べてくださるのかしら?)
見目麗しい婚約者候補を呼んでの晩餐会を前に、緊張をほぐしたいという意図なのかも――だといいのですが。
どうにも、悪戯をたくらんでいるようなロゼッタ様の表情が気になります。
猛烈に嫌な予感がしてまいりました。
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