#2 教室で再会する。幼馴染と駄弁る。

 将来の夢。

 小学生の頃までなら、誰でもなりたいものを素直に作文に書いていたと思う。

 でも高校生になってまで同じ内容を書く人間はどれほどいるだろうか?

 よほど本気か、子どもながらに志が高くない限りは、ほとんど書かないだろう。

 そして、それらに該当しない僕は進路希望調査書に堅実的な夢を記すのである。


 一年A組。小野朝人おのあさと。第一志望、公務員。


「あ~だるい~。なんで入学して早々に進路のことなんて聞かれるワケ~?」


 幼馴染の紗世さよが僕の机に上半身を乗せて「グデ~」という感じに脱力する。

 赤みがかったブラウンの長髪が扇状に広がり、整髪料の甘い香りがムワっと香ってくる。

 書きにくいからどいてほしい。


「進学校なんだから一年から進路のこと考えるのは当然だろ。夏休みには三者面談もあるんだから今のうちにしっかり考えておいたほうがいいぞ」

「うげ~。去年の受験でやったアレまたやんなきゃいけないの~? やだな~。ウチのお父さん横でやたらとアタシの自慢話するからマジで恥ずいんだよね」

「ギスギスするよりマシだろ。俺なんか生きた心地しなかったぞ」

「……ま~、朝人ん家はね~。お父さんめっちゃ厳しいもんね……」

「もちろん溺愛されるほうも見てて大変そうだと思うけどさ。お互いご愁傷様だ」


 紗世の親父さんは昔から僕にやたらと「娘が欲しければ私を倒してみろ朝人くん!」と声高に言うほどに娘を溺愛している。こちらとしては柔道の有段者が素人に勝負をしかけないでほしいと声高に叫びたい。

 そもそも心配せずとも今更腐れ縁に過ぎない紗世を異性として見るわけがないというのに。……と言い出すと「あんなに可愛い娘のどこに不満があるというんだ!?」と絡んでくるので面倒なことこの上ない。


 ……とはいえ幼馴染贔屓を差し引いても紗世は女の子らしく美人になったと思う。わんぱく少年のような見た目だった昔と比べたらとんでもない変化だ。

 高校に上がってからは特にお洒落に気を遣い、化粧もきっちりこなしているようで、より女性らしい雰囲気が増した。

 さっきから机の面積をやたらと占めている押し潰れた胸元の膨らみも、過剰なまでに女性としての成長ぶりを見せ……って、危ない。指が当たりそうになった。というか隣の席の大人しそうな男子が気まずそうに目を泳がせてるからそろそろどけて欲しい。


「あ~、やだなやだな~。授業はムズいし、小テストばっかあるし、夏期講習とかもある予定だし……これが夢見た高校生活か~!? もっと遊びた~い! 華のJKらしい青春送りた~い!」


 愚痴をこぼしながら紗世はジタバタと机を揺らす。

 いくら見た目が女性らしくなっても奔放で雑な性格はちっとも変わってはいないようだ。明らかに進学校に入学するようなタイプではなかった。


「そんな文句言うなら何で進学校受験したんだよお前」

「それは、だって……近いほうが、いいじゃん?」


 チラッと意味ありげな流し目を向けて紗世は言った。


「あのな。そういう理由で受験対策に散々付き合わされた俺の身にもなれ」

「な、なんだよ~。朝人だって同じような理由でしょ~?」

「俺はちゃんと成績に見合った高校選んでんだよ。言っとくけど次の定期テストの面倒までは見ないからな?」

「え? そ、それは勘弁してください朝人さま~! ちゃんと赤点回避しないとお小遣いが! ……あっ!? 胸! 胸触っていいから、なにとぞご教授をば!」

「馬鹿者が。やめんか」


 周りが「えっ!?」って感じに見てくるだろうが。変な噂が流れたらどうしてくれる。

 入学早々、クラスメイトから奇異な目で見られたくはない。……特にこの教室では。

 僕は何気なく、前の座席のほうへ目線を配る。


 彼女はこちらのやり取りを別段気にすることなく、友人たちと談笑していた。

 こちらの品の無いやり取りと違って、穏やかで華やかな雰囲気がある。そこだけ空気が違うかのようだった。特定のグループが形成する見えない壁のようなものではない。

 彼女……有坂乃恵ありさかのえという一人の少女の存在感が、あまりにも異質なのだ。


 絶世の美女。そう過言しても尚足りないほどの美貌の持ち主が……あの桜並木で出会った少女が、この教室に居る。

 いまだに、現実味が湧かない。

 夢や幻だと思っていた存在が、話しかけようと思えば声が届く距離に居る。

 それこそ、ここから彼女の横顔をじっくり観察し、スケッチブックに描き写すことだって……。


 脇腹を突かれて「ぐふっ」と変な声が出る。

 紗世が不機嫌な顔でこちらを睨んでいた。


「……なんすか~? 朝人さんも有坂乃恵に夢中って感じっすか~?」


 なぜか紗世はチンピラのような巻き舌で絡んでくる。


「悪いことは言いません。有坂さんはおやめなさい。高嶺の花すぎるって」

「べつに、そんなつもりで見ていたわけじゃ……」

「……16」

「なんだよその数」

「今日まで有坂さんに告ってフラれた男子の人数。ほとんど先輩らしいけどね。それも結構人気者なイケメンさんたち。その誰もが撃沈だってさ」

「この短い間に、そんなに告白されてるのか」


 一日に一、二回告白でもされないと、そんな数字にならないのではないか?


「最初の頃も凄かったもんねー。学年関係なく有坂さん目当てで教室に押し寄せてきてさ。……まあ、無理もないよね。モデルさんでもあんな美人さん滅多にいないもん。アタシだってひと目見たとき『え? やば……』って見惚れたくらいだし」


 新入生にとんでもない美少女が入学してきた。と学園では話題が持ちきりだった。「傾国の美女」が決して大袈裟な言葉などではなく、事実存在するものなのだと学園中の人間が思い知ることとなった。


 有坂乃恵は、とにかく美しすぎた。

 彼女が階段を歩いていると、その美貌に目を奪われて足を踏み外した者が多数発生するなど、喜劇みたいな話が現実に起こっているほどだ。

 女性慣れしていない若い男性教師にいたっては授業中、黒板と一緒に自分に向けられる彼女の視線に冷静さを保てず失神する始末である。

 このクラスでも生徒たちはしばらく浮き足立ち、落ち着かない様子を見せた。


 一方、乃恵はそんな自分の途轍もない影響力を自覚しているのか、それとも本気で天然なのか、含みを一切感じさせない爽やかな笑顔で「皆さんと仲良くできたら嬉しいです」と自己紹介で言うのだった。


 実際、乃恵は人当たりが良く、誰とも打ち解けられる少女だった。

 最初こそ彼女を前にすると緊張気味になっていた同級生たちも、いまでは親しげに話せるようになっている。


 彼女ほど異様なまでに注目される新入生が来れば、それまでマドンナとして天下を築いていた女子にちょっかいをかけられそうなものだが、いまのところそういう黒い噂は聞かない。

 というより、もはや嫉妬をするのがバカらしくなるほどに彼女は完璧すぎるのだ。

 容姿も、人格も、勉学もスポーツも、文字通り非の打ち所がなく、彼女を否定するほうが「どうかしているのか?」と人間としての狭量さを周囲から責められかねない。むしろ彼女に憧れる同性のファンのほうが多いのではないか。


「いるんだね~。あんな絵に描いたような完璧超人さん。なんか住む世界が違うって感じ?」

「そうだな」

「だから朝人みたいな冴えない陰キャじゃ勝てる見込みないって。諦めて身近にいる良い子で妥協なさい」

「身近って、そんなのどこにいるんだよ……いてっ!」


 足を踏まれた。踏んだ下手人は「バーカ」と言い捨てて女友達のところに行ってしまった。父親譲りの武道の才を持ってる人間が貧弱な素人に攻撃を仕掛けないでほしい。


「ねえねえ有坂さん、進路希望調査書なんて書いたの?」

「あ、気になる。有坂さんなら何でもなれちゃいそうだよね」


 やかましいのが離れたため、前の席から女子たちの会話が耳に届く。


「えーとね……弁護士かお医者さんかな」


 乃恵がそう答えると「すごーい」と女子たちがはしゃぐ。


 弁護士か医者……とんでもない二択だ。無難に公務員と書いた自分よりよっぽど明確で、レベルも違う。

 彼女ほど優秀なら、きっとどちらの希望も容易に叶えられるだろう。

 紗世の言うとおり、住む世界が違う。

 本来なら卒業まで深く関わることもなかっただろう相手だ。

 けれど……。


 桜並木での、やり取り。あの日、僕は有坂乃恵と言葉を交わした。


 てっきり年上かと思っていた。まさか同級生として再会するとは思わず、こんな奇跡みたいな偶然があるのかと初日はかなり動揺した。

 ……とはいえ、同じクラスになったものの、彼女のほうは僕のことを覚えている様子はなかった。


 まあ、そりゃそうだ。

 些細な出来事だったし、何か印象的なやり取りをしたわけでもない。

 そもそも仮に覚えていたとして、彼女のほうからわざわざ僕に声をかける理由もないのだ。

 それは僕も同じである。

 いったい、あのときのことを持ち出してどうしようというのか?


 止めたはずの溶鉱炉が火花を散らして訴える。「わかりきってるだろ?」と。


 あーうるさいうるさい。

 もうそっちに時間を割くことはしないと決めたんだ。

 最初の定期テストも控えているんだ。幼馴染紗世に偉そうに言った手前、真面目にやるべきことはやらないと。

 進路希望調査書に書くべきことを書き、SHRで提出する。


「えー。今週から選択科目の授業が開始されます。先週に選んだ科目は各人ちゃんと把握していますね? 後ろの掲示板に教室一覧を貼ったので、ちゃんと確認しておくように」


 担任が義務的な口調で言う。

 難易度の高い授業の中で、たぶん最も気軽に受けられるのが選択科目だろう。

 音楽、書道等、ほとんどがお遊び感覚のものだ。上級生いわく出席さえすれば出来が悪くとも良い点を貰えるくらい、緩いと聞く。


 放課後、掲示板周りが空いたところで紗世と移動教室を確認する。


「お、ラッキー。書道の教室こっから近いや。ギリギリまで休み時間使える~」

「紗世が書道とか、ぜんぜんイメージじゃないよな」

「なんだよ~。これでも道場に貼ってる『武道の心得』書いたのアタシなんだからね?」

「知ってる。意外と達筆だから『ギャップが激しいな』って思ってるだけ」

「失礼ね。見た目通り美しい文字を書きますけど~?」

「自分で言うな」

「ふん。有坂さんほどじゃないけどアタシだって結構男子に声かけられるんだからね? まあ、どいつもこいつも胸が目当てっぽいから断ってるけど~」

「へー」

「……ちょっとは興味示しなさいよ」


 興味もなにも、紗世ほど容姿が整っていてスタイルが抜群なら惹かれる男がいても不思議ではないと思うしな。

 ……とか言ったら絶対に調子に乗るので口にはしないが。


「ところで朝人は選択授業なに選んだの?」

「……美術」

「は? アンタもう絵描かないとか言ってなかったっけ?」

「『真面目に描くこと』をやめただけだ。ていうか選ぶなら得意分野活かせるやつが一番だろ? 成績のためだよ」


 なにも美大や芸大を意識して描くわけじゃない。ただの選択授業なのだ。適当に描いたもので点数が稼げるのならお得ではないか。


「……なんかさ」

「ん?」

「そういうこと言う朝人、らしくないって思うよ」


 幼馴染はなぜか悲しいものを見るような顔でそう言った。




    * * *



 美大や芸大を受験する気なら、一年生の時点で一日も欠かさず製作に取りかかっているべきだろう。

 一浪、二浪、ヘタをすればそれ以上の浪人生活が当たり前の世界だが、だからこそ時間を無駄にせず作品と向き合わないといけない。

 ……そういう道を選択しなかった僕は、なんともお気楽なものだった。

 もちろん普通に課題はこなさないといけないので、完全にお気楽ではいられないが、世の中の美大志望者と比べればずっと時間にゆとりがある。

 進学校の課題をこなしつつ、絵の訓練までしていたら間違いなくパンクしてしまう。そんな生活、よほど情熱が無い限りは不可能だろう。


 できる人たちは素直にすごいと思う。どれだけの熱意があればそこまで絵に人生を賭けられるのか。

 そして、やっぱりこう考えている時点で僕には素質がないのだとはっきりわかる。


 机に向かって黙々と問題を解く。以前だったら、さっさと終わらせて絵に取りかかっていた。いまはしていない。

 家に帰って絵を描かないだなんて、新鮮だった。


「……道具とか、そろそろ片付けないとな」


 もう使わないものをいつまでも部屋に置いていてもしょうがない。空いた時間に押入に突っ込んでしまおう。

 イーゼルも、キャンバスも、スケッチブックも、油彩絵の具も、筆も、目に付かない場所に置かねば。でないと、また……。


「……あ、いけね。明日の準備しないとだった」


 明日は選択美術がある日だ。となるとスケッチブックと鉛筆を何本か持っていかねば。消しゴムで十分だと思うが一応練り消しも用意しておこうか。あとは……。


「……うん、やっぱり片すのはもうちょっと先だな」


 選択美術にそこまで意気込む必要はないと思うが、道具一式を用意してしまうあたり、染みついた習慣はそう簡単に抜けないようだ。



    * * *



「え~本日は初回なので~、親睦を深める的な感じで~、二人組で似顔絵を描いてもらおうと思います~。はい、じゃあ出席番号近い順から組んで~」


 聞いているこっちが脱力しそうなふんわりとした声で美術教師が指示を出す。


 ちょっと待ってほしい。理解が追いつかないのだが。

 二人組で似顔絵を描く? それはべつにいい。人物画は確かに苦手だが、お遊び程度の授業なのだからべつに本気になって描く必要はない。

 じゃあ何に動揺しているのか?

 問題はその組む相手だった。


「よろしくね、小野おのくん」


 対面に座る有坂乃恵がそう言って微笑んだ。

 有坂と小野。出席番号が近い僕らは、お互いの似顔絵を描くことになった。

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